数日後、お母さんは個室から6人部屋の病室へ移動した。容体が安定しているからだ。
お見舞いに行くと、お母さんはいつもベッドの上で新聞を広げている。活字を読むと脳の体操になるらしい。しかし、新聞だけでは物足りないようで、何とかっていう医学書を持ってきてほしいと頼まれた。
自宅の書斎で探し当てたその本は、百科事典のように分厚く重たかった。パラパラと眺めてみたものの、何のこっちゃ分からない。だけど、お母さんはそれを理解できるだけでなく、ほとんどの内容が頭に入っているらしい。すごいね、と褒めると、だって医者だもん、と笑った。
「退院したら、すぐにでも仕事復帰できちゃいそうですね」
点滴のボトルを交換していた若い看護師が、朗らかに会話に混ざってきた。場を和ませるために言ったのだろう。だけど、お母さんにそのつもりがあったとして、現実的に叶うのだろうか。熱心にページを捲るその横顔には、微細な焦燥が滲んでいた。
看護師はなおも続けて、「あ、そうだ。お家にアルバムありますか?」と陽葵に水を向けた。写真を見て一緒に思い出を語らうのも、脳にいい刺激になるという。
さっきから余計なことばかり言って……
陽葵の内側には苛立ちが募ったが、仕方がないと割り切る。この人は知らないんだ。お母さんが夫を病気で亡くしていることも、事故に遭った息子が未だ行方不明であることも。
「アルバムはある、けど……」
チラリと顔色を窺うと、お母さんは本に視線を落としたまま、「それもいいかもね」と言った。そして顔を上げ、陽葵に明るく笑いかける。
「明日、持ってきてくれない?」
次の日、陽葵はアルバムを持って行かなかった。うっかり忘れたことにした。数学の小テストがあってと嘘の言い訳をしていたとき、お母さんの顔が目に見えて曇った。
「久しぶりに見たかったのに、残念」
言葉通り、お母さんは残念そうに肩を落とした。明日は持って来ると言いながら、陽葵はどうしようか迷った。
リビングのテレビ横にある、木製のチェスト。その上から二段目の引き出し。
毎日必ず目にするのに、開けることは滅多にない。一体いつから開けていないだろう。少なくとも三年間は一度も触れていない。
未来のない人との過去なんて、どうして見ようと思えるだろう。悲しくなるだけだ。戻らない日々の寂しさに押し潰されるだけだ。それが分かり切っているから、どうしてもアルバムを見ることができない。見たくない。
