普通の関係ではありませんが、私達は仲良しです。



父に殴られた。

平手打ちのビンタではなく、男のグーの拳で……。

もう女の子って歳ではないが、子供を殴る親は碌でもない。

昔から、父が嫌いだった。

それでも、大人しく従ったのは、私がなんの力も持たない、無力な子供だったから。

今は違う。

大人になって、力を持った。


口の中が切れて、血の味がした。

大人になった、成長の痛みだ。甘んじて受け入れた。

成長には痛みが伴う。


「お前を勘当する。今後一切、我が家の敷居を跨ぐな。元貴とも会わせない。お前は産みの親だが、我が家の跡取りだ。元より、その覚悟があっての事だろう。」

「……はい。お世話になりました。」

私は頭を下げて、応接間を出た。

廊下を出ると母が何事かと私に聞いたが、無視して通り過ぎた。


「由貴ちゃん……?……どうしたの?」

玄関で靴を履いてると、兄の妻の美妃さんが心配そうに声を掛けて来た。

明らかに殴られた跡のある私の顔を見て、息を呑んだのが分かった。

その腕には、元貴が抱かれていた。

久しぶりに顔を見る、我が子だった。

兄夫婦に養子に出した。


「美妃さん、元貴をお願いしますね。……バイバイ、元気でね。」

そう告げ、実家の玄関を出て行った。


父に鳳不動産の御曹司で、夫である伊吹さんと離婚すると、報告すると殴られて勘当された。

思った通りの反応で、驚きはしなかった。


記入した離婚届を差し出して、伊吹さんに離婚して下さい、と言うと、伊吹さんは受け入れた。

鳳家の跡取りの充葉は、伊吹さんか、義両親か、義兄夫婦が、育てる事になる。

離婚届が受理されれば、正式に離婚が成立した。


私は家族三人で暮らした、マンションを出て、幼馴染の奏矢が住むマンションに引っ越した。

奏矢は私の願いを叶えてくれる。


“奏矢、私と子供を作って欲しい。”

そう幼馴染にお願いした。

お願い出来るのは、奏矢しかいなかった。


“……伊吹さん、夫とは離婚する。もう子供は、欲しくないみたいだから……。”

自分だけの子が欲しくなった。

寂しさを埋める為の道具、が欲しいのかも知れないが。


充葉も元貴も、自分が産んだ我が子ではあるが、鳳家の跡取りと、白山家の跡取りだ。

鳳家の義両親が、今後の教育方針について、口を出して来る可能性は高い。

自由には出来ない。

従うしかない。いつも、誰かに服従して来た。


私は画家として、成功し始めた。

まだ駆け出しではあるが、画家として、食べて行けるくらい、お金を稼いでいた。


こうして、夫の伊吹さんと離婚した。

間もなく、奏矢の子供を妊娠した。

祖父は変わらず、私のスポンサーでお金を出してくれた。


臨月になると、蘭々さんが買い物に行ってくれて、届けてくれるようになった。

蘭々さんは私の絵の元ヌードモデルで、私の芸術の女神、ミューズになってくれて、現在も付き合いがあった。

蘭々さんがオーナーを務める、社交サロン『Lulu』の常連客だった。


父親である奏矢は、幼馴染でプロのチェリスト。

コンサートを開催したり、子供達にチェロを教えていた。

国際的なコンクールで受賞歴がある、才能豊かな若き演奏家だ。

蘭々さんのお店で、奏矢は演奏するようになって、三人で良く一緒に過ごした。


名前も三人で考えた。

性別が女の子だと分かって、可愛い名前を付けたいと、三人で頭を散々悩ませた。

奏矢は父親がイギリス人でハーフ。

なので、娘はクウォーターになる。


名前は有栖子(アリス)に。

イギリスが設定の少女が出て来る話の主人公、なのと私が由貴子なので、子の漢字を入れた。


有栖子が生まれて来てくれて、本当に嬉しかった。

奏矢とは籍を入れずに、私生児として出生届を出した。


奏矢の両親は離婚していて、自宅でピアノ教室をしていた奏矢のお母さんは、私達が中学生の時に、病気で亡くなった。

プロのチェリストの奏矢の父親は、世界的に活躍する演奏家で、家庭を顧みない人だった。

けど、息子である奏矢はピアノではなく、チェロを専攻する道を選んだ。

奏矢なりの復讐、だ。


父親を超える演奏家になる、……決意の表れ。

一番のファンでいると私は約束した。




「……可愛い。天使ね。」

有栖子を抱く蘭々さんは、愛おしげに呟いた。

さながら蘭々さんは、聖母マリアだ。

社交サロン『Lulu』は午後六時から深夜までの営業なので、私が絵を描いてる作業の間、蘭々さんがお世話してくれた。

午後六時からは、私が有栖子のお世話をした。


奏矢はコンサートで、地方に行っていた。

奏矢が『Lulu』で演奏するのは、月に二、三度だった。


後はコンサートで海外と地方各地を回ったり、子供達にチェロを教えるイベントを開催した。


有栖子の親は、三人いるようなもの。

奏矢と蘭々さんがいれば、心強かった。


この世で信頼してる、三人のうちの二人……。

残りの一人は祖父だ。

普段は側にいない、離れていても、祖父は無条件で、私の味方でいてくれた。

家族の中で一番身近な存在で、祖父が大好きなおじいちゃん子なのは、昔から変わらなかった。

奏矢の事も、祖父は可愛がってた。


夫の伊吹さんが好きだった、……愛してた。

最愛な人だった。

けど、政略的な結婚で、信頼はしてなかった。


体は許しても、心は許さなかった。

心は自分だけのもの。


……誰にも渡さない。

渡す気が、初めからなかった。




「おかえり。」

夜遅くにチェロを背負う、奏矢が帰宅した。

「ただいま。有栖子はもう寝てるよね。」

「うん。少し前に寝てくれたところ。」

有栖子に授乳して、寝かし付けた。

蘭々さんはお店に出てる時間だった。


私達は引っ越して、四人で暮らし始めた。

私のアトリエと、蘭々さんのお店の中間地点にある、一軒家を借りて、家賃は大人三人で均等に払っていた。

ルームシェアしてる感じ。


私は二十七歳になった。

奏矢は私の一学年下の幼馴染で、二十六歳だ。

莉亜ちゃんと奏矢は、直接面識はないけど、私が後輩の女の子をモデルにして、絵を描いてると当時、話した……。

バレリーナで妖精みたいに、美しい女の子だと。

蘭々さんは私の二歳年上なので、二十九歳に。


元夫の伊吹さんは、三十二歳。

元気にしてると良い。

……充葉も。

五歳になって、もうすぐ小学生になる。

元貴は三歳……。


離れていても、我が子の健やかな成長を願っていた。




私と有栖子が同じ部屋で寝ていて、奏矢と蘭々さんはそれぞれ、一人の個室があった。

一軒家の間取りは、LDKの他に部屋が三つあった。

小さなお庭もあり、お気に入りのお家だ。


奏矢におやすみと、言って、有栖子が寝る部屋に戻った。

……美しい天使の寝顔。

私も目を閉じて、眠った。


私の最近のスケジュールは、有栖子に授乳して、朝ご飯を食べて、アトリエで絵を描く作業をする、お昼ご飯を食べて、またアトリエで絵を描く作業をする、だ。

母乳と粉ミルク、混合で飲ませていた。

蘭々さんがミルクを作って飲ませて、オムツが汚れたら変えてくれて……。

本当に助かった。

子育てを、一緒に出来て。




「もう既に購入を希望したいと、お客様から申し出がありました。白山先生には、熱心なファンの方が多いですよね。」

新しく絵を描き上げ、画廊に届けに行くと、私の担当をしてくれてる、薬師寺さんから言われた。

作品を見る前から、購入したいと希望のお声が掛かったらしい。

私は画廊に置いてた作品の買い手が、全て決まったので、補充しにやって来た。


薬師寺さんは若手の展覧会を企画したり、画家と作品を売り出すお手伝いをしていた。

値段交渉は薬師寺さんにお任せした。


私が幼稚園児の頃から通っていた、絵画教室は美大に合格者を多く輩出する、老舗の名門だった。

祖父の伝手で私は入門した。

本格的な技法や、受験生向けの対策をしてる、専門的な教室なので、普通は小学校高学年からしか、入門出来なかった。

けど、祖父は絵画教室が主催する、展覧会で気に入った作品をいくつも購入していたので、上客であった。

そんな祖父から、孫娘を入門させたいと、話があり白山様の孫娘様ならと、特例で認められたのだった。

コネは実力のうち、だ。


英才教育を受けた賜物で、名門美大にストレート合格した。




奏矢はカメラを買って、有栖子の成長を記録していた。

蘭々さんも、良く写真を撮った。

私は有栖子をデッサンした。


伊吹さんが写真を撮ってるところを、一度も見た事がなかった。

充葉も元貴も、撮らなかった。

ミルクを飲ませてあげる事もなく、オムツを変える事もなかった。

我が子を抱き上げる事さえ、しなかった。

たったの一度も、だ。


私と雇ってくれた、ベビーシッターの菖蒲さんに任せきりだった。

……愛してなかった、とは言わないが、そんなに関心がなかった。

鳳家の跡取りとして作った、私が二人目を欲しがった、白山家に養子に出す子……。

そう言う、認識だったと思う。


嫌味なくらい、完璧過ぎる伊吹さんだが、父親としては何かが欠落していた。

完璧な人間はいないんだと、なんだか安心した。




「やぁ、由貴子!調子はどうだい?」

「……。」

耳障りな声の男が来た……。

薬師寺さんがお茶と、フィナンシェを出してくれて、画廊の待合室で食べてると、雲母が顔を出した。

雲母は百貨店の創業者一族の人間で、百貨店の中で開催されるイベント、絵画展、彫刻展、写真展、などを企画して、客足が伸びる芸術家を見付け、スカウトする仕事をしていた。

雲母とは、美大時代からの知り合い。


馴れ馴れしく、由貴子と呼び捨てにして来る、無礼な男だ。

学生展覧会で、声を掛けられたが断った。


女を舐めてる。

客寄せパンダにしようと、してるのが分かった。

私の才能を評価してない。

私が若い女である、話題性やルックスを評価していた。

なので、初めて会った時から嫌い。


「個展の話、考えてくれた?」

「……。」

画家として売れて来たので、すり寄って来た。

私は権力者に媚を売り、愛想を振り撒く必要はない。

私の祖父は白山銀行の先代頭取で、現在は美術館の館長を務めてる。

祖父には政財界に太いパイプがあり、そんな祖父の孫娘に手を出す、命知らずはいない。


芸術の世界では、作品を買ってやるから、やらせろと、関係を迫ったり、愛人にしようとしてくる、男が普通にいる。

私は私の絵を好きだと、気に入ってくれた相手にしか売らない。

嫌いな相手に、我が子のような作品を託すわけがない。


「丁重にお断りさせて頂きます。」




『Lulu』に出る時、蘭々さんは夜会服とも呼ばれる、イブニングドレスを着る。

クラシカルなシルエットで、高貴さを引き立て、蘭々さんをより、魅力的な女性に飾っていた。

魔性の女、って言葉がぴったり。

芸術家は虜になる……。

……魅力に、逆らえない。


蘭々さんの体に触れて、肌の感触を知ってる。

どこが好きで、気持ち良くて。

どんな甘い声をあげるのかも、知っていた。


蘭々さんの前で、服を一枚も脱いだ事がないし、蘭々さんは私の体を知らない。

が、女同士の繋がりは、精神的な方が強い。


奏矢は私のファーストキスの相手で。

子供を作る為だったとは言え、セックスをした。


奏矢に好きだと、告白された事がある。

私が大学一年生で、奏矢が高校三年生の頃だった。

彼氏彼女になりたいわけじゃないと、言われたけど、初めてのキスをされた。


一軒家で昼ドラもびっくりな、泥沼の三角関係に発展するのではと、危惧してたのだが、その心配はなさそうであった。

二人の事は大好きだから、仲良くしてくれると嬉しい。




兄の銀太郎は三十一歳。

大学の経済学部を卒業後、高校の同級生で交際中だった、美妃さんと結婚。白山銀行に就職した。

弟の遼河は二十四歳。

大学の理工学部を卒業後、SE(システムエンジニア)をしていた。主に開発系の仕事をしてる、と。

遼河は自由人で、結婚する気がなさそうだった。

跡取り問題を抱えるのは可哀想……。


好きな事を仕事に出来て、本当に良かった。

遼河は可愛い、……弟だ。


自由に生きて欲しかった。

白山家に縛られて、一生を終えるのではなく。


長男で嫡男の兄は、結婚二年目、三年目になっても、子供を授からなかった。

自然妊娠は難しいと判断、不妊治療を始めたが、それでも授からなかった。

不妊治療は不自然な子供の作り方だと、父と母は反対していた。

そもそも、兄と美妃さんの結婚には反対だった。

母子家庭で育った。

良家のお嬢様では、なかったから。


兄と美妃さんは、愛し合って結婚した。




個人の自分の部屋に、蘭々さんは私が描いた絵を飾ってくれてる。

『Lulu』には画壇の重鎮で、大きな影響を持つ、画家の高嶺先生を始め、著名な先生の作品が飾られていた。

中には、私が大ファンで恋焦がれてる、終夜先生の作品も……。

世界的に活躍する、彫刻家の先生だ。

……大理石製の裸婦像が、『Lulu』にはある。


私はまだ、一度もお会いした事がなかった。

祖父に連れられて行った、個展で作品を拝見して、息を呑む程、美しくて心を奪われてしまった。

終夜先生はその時、席を外していて、お会い出来なかった。

日本ではなく、イタリアに工房があり、創作活動に専念されていた。


いつか、……欲しい。

手に入れたいと、頑張ってお金を溜めてるが、貯まる前に寿命が尽きる気がする。

それぐらい高価なのだ。終夜先生の作品は。

けど、自分の力で手に入れないと、意味がない。

蘭々さんは作品のモデルになった事があり、その縁で譲って頂いたそう。


サインだけでも、頂けないかな。

もしくは、同じ空気を吸うだけでも。