「お待たせしました。……なんですか」
今日は桐谷くんのお家に行く予定の日。
準備をすると言って出て行った桐谷くんは別人になって戻ってきた。
普段ストンと下ろしているストレートボブは内側に巻かれ、唇はうるつやなピンク。
ほっぺたにもピンクが乗っていて、普段よりも血色よく見えるし、まつ毛はバサバサ。
「女子より可愛い男子っ……ぐぬぬ……」
「悠人って……ほんとに慣れてるんだ……」
「ええ。だから男一人を女の子にすることくらい朝飯前なのです。安心して女装しなさい」
月乃さんが悔しそうにする横で、斎藤くんは心底安心したように胸を撫で下ろしていた。
その後に続いた「個人の努力次第でもありますが」という言葉にはちょっと震えてたけど……。
桐谷くんは簡単な変身用の道具が入っているという大きなカバンを持ち直して「十分後の電車を逃すと向こうでの乗り換えが一時間遅れます」と早歩きで昇降口に向かって行った。
ん?
十分後……?
めちゃくちゃギリギリだ……!
昇降口から駅まで普通に歩いて十五分はかかる。
「それ先に言って……!」
宗介くんが悲痛な声を上げて桐谷くんを追い、わたしたちも大急ぎであとに続いた。
わたしたちは昇降口から全力疾走し、「扉が閉まります」というアナウンスが入るギリギリで電車に乗り込めた。
残暑の中、西日に当てられながら大荷物持ってのダッシュはしんどかった……。ちょっとやそっとの運動じゃピンピンしてるくらい体力がある阿部さんでさえ、ハンカチで汗を拭くくらい。
「ここから終点まで行って乗り換え、鹿野川村という駅で降ります」
「かのかわむら?」
「十年ほど前に合併であらかたなくなったので今は県内唯一の村です。人口三千人ちょっとですが、いいところですよ。鹿はよく出ますけど、駅周辺に熊は出ませんし」
ほっ……。
「……家の近くには出ますけど」
それは聞きたくなかった……!
生きて帰れるかな……。
「茜、間違っても戦いを挑んじゃダメだからね」
「たまちゃんにとってあたしって猛獣かなんかなの? さすがに爪とタッパある相手には挑んだりしないからね?」
つまり相手が熊じゃなければ挑む可能性があると!?
「家までは車なので、道中で出ても大丈夫ですよ。ホームページの熊情報も直近一週間はないですし」
なにも出ないことを祈ろう……。
鹿野川村駅に着いたら桐谷くんのお母さんがマイクロバスで迎えに来てくれていて、それに乗車。
お泊まりさせてもらうことになったからお母さんから受け取った手土産も渡して、後ろの席に座った。
そうしてバスに揺られること四十分。
ようやく着いた桐谷くんのお家は、目を見張るほどの広さだった。
瓦屋根のついた塀とか蔵だけじゃなくて剪定された松の木、錦鯉の泳ぐ池に……馬!?
広い芝生をカポカポ歩いているのは二頭の馬。
阿部さんの家は洋風の豪邸だったけど、桐谷くんのお家は日本昔ながらのお屋敷って感じだ……。
「悠人ん家って……元大名かなん……?」
宗介くんが絞り出すような疑問を投げるまで、わたしたちはなにも言葉を発することができなかった。
「歴史があるというだけで、名を遺したとは聞いていませんよ。精々地方地主止まりじゃないでしょうか」
それでも肩書きとしては十分すぎるよ……。
「そんなことはさておき。部屋に案内します」
引き戸を開けるとわたしの家の倍は広い玄関スペース。わたしの家も広い方なはずなんだけど……。
高床になっている一階に上がるための階段には赤い絨毯も敷かれていて、ちょっと踏むの緊張する……。
「女子が梅のふすま、男子は竹のふすまに人数分の布団を用意しておきました。僕の部屋は松のふすまです。夜中なにかあればどうぞ」
二階に上がると墨で絵が描かれた木のふすまがたくさん並んでいた。わたしたちが泊まらせてもらうところは昔はお祖父さんとお祖母さん、幼少期のお母さんが住んでいたらしい。
「荷物を置いたら水回りと居間に案内します」
はしっこの布団の近くにカバンを置いて、桐谷くんについていった。
お手洗いは階段の踊り場の横、お風呂は渡り廊下の先に男湯と女湯で分かれていた。一番多いときが十二人家族だったみたいで、そのときに増設したらしい。
居間には床の間や違い棚もあって、歴史の教科書を見ているみたいだ。
「初志貫徹……」
床の間にかかっていた掛け軸には力強い筆文字でそう書いてあった。
意味は確か……最初に決めた目標を最後まで諦めずにやり通すことだったかな。
「曽祖父の座右の銘だったのが家訓になって、いつの間にかあの場所に置かれていました。牧野さんも置きたければ紙は差し上げます」
「え……!?」
掛け軸描けるの!? た、楽しそう……!
だ、だけど……家訓を退けてまでやるのは抵抗が……。
「床の間はこの家の至るところにあるので描き放題ですよ」
そう言われるとやりたくなる……。
「に、日本画とか水墨画とか、練習した方がいいかな……?」
「何年かける気ですか」
「もし描いたら俺にもほしいな。悠人より前に」
「あたしもほしい!」
「電車の広告で見たんだけど、この地域の特産品って確か和紙だったよね? 今週末プライベートで来ようかな」
えぇぇぇぇ!? そんなに!?
あ……! それなら……。
「学園祭用に何枚か描くつもりだから、それ和紙に描こうか?」
まだ案出しの段階だし、画用紙は部室にあったものだから今からなら方向を変えられる。
短期間で日本画とか水墨画を習得するのは難しそうだからそれは長期的な目標にするとして、和紙なら水彩画でも和な雰囲気のある絵になるはず。
「いいね!」
「節約できそうだし、浮いたお金でここのいい和紙買っちゃおう」
「ならぼく、描いてほしいのある」
「でも空にばっかり負担かかるよね? 大丈夫?」
「平気だよ。水彩画なら慣れてるし、絶対楽しいから」
それに、わたしはこれくらいでしか役に立てないから。
「それなら明日、帰るときに近くの和紙工房に行って相談してきます」
「了解。俺も晴人たちビデ通組に共有しとく。空、何枚になるかわからないけど、お願いしてもいい?」
わたしから提案したことだけど、こうやって頼ってもらえるのが嬉しい。
「もちろん! まかせて!」
「ゆうゆう、ちょっと手伝ってー」
「お客さんの前でもそう呼ぶんですね……」
ひょこっと顔を出した桐谷くんのお母さんのお手伝いをして、温かいご飯を食べたあとはお風呂。
着付けが始まったのは七時ごろだった。


