カデンツァ


「専務からも話がありましたが、アリオン全体の業績改善のため、今年の初め、社内改革推進部という部署が立ち上がりました。ご存知の通り、アリオンの業績は決してよくありません。私たちは約3ヶ月で店舗側の改善計画、準備をやってきましたが、ようやく各店舗の方で実践にはいります。社員の方々は当然ですが、講師の方々にもいろいろご協力をいただかねばなりません。今後ともよろしくお願いします」
廉は頭を下げた。泉はもう一度、廉の方を見た。もりしま、れん……森嶋は講師の方を満遍なく見ていたが、泉と視線が合うと、口の端をちょっと上げた。見られた?泉は真っ赤になって、顔を下に向けた。
「えーと、社内改革推進部から来ました、千葉です。よろしくお願いします」
もう一人の若い方もそう言って、自己紹介をはじめた。
「僕は、フロアの方をいろいろやっていましたが、今年の初め、社内改革推進部に配置換えになりました。森嶋部長とはまだ3ヶ月の付き合いですが、本当にいろいろ勉強させてもらっています。皆さんと一緒に、がんばりますのでよろしくおねがいします」
ぱらぱらと拍手があった。リストラの話が広まっているので、とても歓迎ムードとはいかないが、だめになったアリオンをどう立て直していくのか、講師たちも興味はあるのだ。
「では、本題に入ります。お手元の資料をご覧下さい」
机の上に配られた資料を森嶋が説明し始めた。業界全体の業績、アリオン・ミュージックの業績、各店舗の業績、その内訳、業績が悪化している理由についての考察、他店の動向、長期的な改善計画、直近の目標などについて記載された内容が、抜粋ということではあったが、非常に詳細に述べられている。泉は大学を卒業した後、たった3年ではあったが普通の企業に勤めていた。そこでは日々、一体どうやってお金をもうけるか、会社のいたるところで議論されていた。しかし、ビジネスの世界から程遠いところにいるこの場の講師たちには、こういうものを受け入れる準備があるだろうか?
「……というのが、この資料の概要です。何か質問のある方は?」
説明を終えた森嶋が講師たちの顔を見回したが、誰も手はあげなかったので、森嶋は次の話をしようとした。そこで、ヴァイオリンクラスの御大と呼ばれている峰が手を上げた。
「ちょっと先に行く前に、聞きたいことがあるんだけど」
森嶋は峰を指して「どうぞ」と言った。
「最近、噂になっちゃってるんだよね。近々リストラがあるって。そこんとこをはじめに説明してもらいたいんだよね。うちらは契約社員だけど、仕事を切られるなら次を探さなきゃなんないからさ」
他の講師が小声で口々に肯定しているのが聞こえる。
森嶋は再度講師たちを見回し、その後、鳴海も下を向いて何も言わないのを見て取ると、腕を組んで言った。
「確かに、採算のとれていない店舗の社員を何人も雇って置けるほど、アリオンはうまくいっているわけじゃないので、社員については最悪の場合、こちらが意図したとおりに働いてもらえない方についてはそういうこともあるかもしれません。しかし契約社員、つまり講師の皆さんは、基本的にその対象ではありません」
講師たちの間から、ため息のようなものがもれた。
「他に何かありますか?」
森嶋は峰から他の講師たちに視線を移したが、それ以上何も質問はでなかった。

「ではここから本題に入ります。アリオンの厳しい状況はお分かりいただけたかと思います。4月から私たちは本部の業務改革に取り組んできましたが、この7月からいよいよ各店舗で計画展開にはいることになりました。千葉君、次の資料を」
千葉が配った資料が配られるとすぐ、講師たちはそれに目を通し始めたが、すぐにあちらこちらでひそひそ話しが始まった。それを静止するように森嶋は説明をはじめた。その資料には、教室運営に関しての改善項目と、講師への協力要請項目がつづられていた。

 講師たちへの要請の中で何をおいてもとりわけ一番大きいのは、給与体系に来年度から一部コミッション制を取り入れるということだった。生徒数が一定ライン以上の講師はこの給与体系が取り入れられ、生徒数が増えれば増えるほど、コミッションの額が上がっていく。しかし、それ以下の場合は、逆にマイナスとなり、最低ラインがアルバイトの泉たちの時給とほぼ同じところまで落ちるらしい。

 新しく始められるプロフェッショナルコースの設立や、新入会生徒のクラス見学による希望制について、講師たちは特に何も言わなかった。クラスの希望制については、場合によっては死活問題となる。講師たちの中には特にこれといった工夫もなく、漫然とレッスンしている者も多い。本当はプレーヤーとして音楽をやりたいのに、食べていくために仕方なく講師をしている者たちもいる。ネームバリューがあればそれでもカリスマとしてやっていける講師もいるかもしれないが、このやり方だと、生徒が集まらない講師は淘汰されていくことが明らかだった。また、来年度からということで漠然としているが、コミッション制の導入については、誰がどう考えても今までより厳しい評価制度になっただけだった。
 プロフェッショナルコースへ移る講師については、また後日発表、コミッション制についても今年の秋までに詳細を決めるということで森嶋は話を終えた。その後、質疑応答の時間が取られ、講師たちからは、もっと早く決まらないのかとか、契約の評価体制を変えることへの不満がいくつか出た。しかし実際のところ、不満を言う講師はコミッション制になれば給料が下がるだろうと思われる講師ばかりで、あまり同調されるような意見でもなかったため、森嶋は軽く質問をかわしてその場を切り抜けた。

 会議の最後、「私たちもがんばりますので、講師の皆さんもご協力お願いします」と鳴海が頭を下げた。講師たちはそれを合図に立ち上がり、三々五々教室を出て行った。泉も真紀たちと一緒に席を立ったが、その時、廉が自分の方をじっと見ているのに気が付いた。泉はどうしていいかわからず、それに気がつかなかったふりをして、廉たちに遠い出口を選んで教室を出た。

講師の控え室に戻ると、ピアノ科の女性講師たちが数人集まって話をしていた。
「あの話どう?」
「さあ、私には良くわからない。インセンティブって、要は給料を下げるって事かしら?」
「私もよくわからないけど、能力次第ってことじゃないの?」
「じゃあ、生徒の人数が少ないと下がるって事?」
「それはそうかもね。でも基本部分との割合もあるし、一概には言えないかも」
「何でもいいけど、私はあの森嶋廉の顔が気に入った」
「そうそう!いまどきあんまりお目にかからない二枚目よね」
笑い声が講師室内に響いた。泉はそれを横目に次のレッスンの譜面を持って講師室を出て行った。