カデンツァ

その日、デラロサはいつもより大音量でアンプを鳴らすヘビメタバンドが騒いでいた。暗い店内を目を細めて探していると、河部が廉に入り口の反対側のテーブルで一人で寝ている理恵を指差した。廉と河部は理恵を引きずるようにその席から連れ出し、待たせていたタクシーに乗り込んだ。

タクシーの中から河部が富田の家に電話し、酔っ払った理恵を見つけて、今から連れて帰ると告げた。理恵は廉が来たことはわかっていて、ずっと廉の腕にしがみついている。白金台の富田の家まで河部が運転手に道案内して、理恵を連れて帰った。家に着いたときには理恵はすっかり眠りこけており、廉が背中におぶって家に入った。

富田の家では、理恵の父親と母親が珍しくそろって家にいた。それにこの前、教授に口紅をつけて理恵を激怒させた女もいたが、廉はほとんど何も話をせずに理恵を家の中に入れただけですぐ外に出た。理恵はかわいそうだが、この家と係わり合いを持ちたくない。後は河部が何とかしてくれるだろう。廉は河部が何やら理恵の父親からしつこく礼を言われているのを玄関の外で聞いていた。

富田の家からようやく開放された河部は、石の階段を降りながら廉に言った。

「さっき、タクシーでご一緒されてた女性は?」

廉は河部をにらんだ。

「あなたに関係ありません」
「廉さんも、隅に置けませんな。智香子さんが日本に戻ってこられてるそうですよ。例のパーティにはいらっしゃいます」


智香子が……

廉は声もなく河部を見た。

「そろそろ年貢の納め時では?お遊びもほどほどにして下さい」

河部はにやりと笑って、帰りのタクシーを拾うため手を上げた。

藤井智香子とは昔、結婚の話まで持ち上がった仲だった。智香子の父親は日本実業銀行の頭取である。レグノは廉の祖父の時代からこの銀行に大きな融資を受けている。しかし、廉が米国の会社に就職し、レグノを継がないと廉が言ったことからその結婚話は立ち消えとなっていたのだった。
智香子が帰ってくるからと言って、別に何かが変わるわけではない。ただ、父や母がまた結婚、結婚とうるさく騒ぎ出すのは目に見えていた。



一方、一人で部屋に帰った泉は、暗い気分から抜け出せずにいた。
結局、この付き合いは無理なのかもしれない。廉が一体どういう人間なのか、あまり良く知らないうちにこんなことになってしまったが、自分が付き合うには少し生活のレベルが高すぎる。廉は外資に勤めているから、あれぐらいのマンションに住んでいてもおかしくはないのかもしれないが、あの音楽室は、個人でやるには少々やりすぎだ。大体ピアノがあれだけ弾けるということは、小さいときからかなりやっていたのだ。部屋のピアノ線がいつ切れるか心配ばかりしている自分なんかと釣り合うとはどうしても思えない。

こんな背伸びの連続の付き合いが、一体いつまで続けられるのか?

廉は今のところ、私が持たざるものだということを十分理解している。けれど、そのうちいつか、理解しているだけではどうにもできない状況が来る。やはりこんな付き合いは早いうちにやめてしまったほうがいいのではないか。彼と一緒にいる時に感じる幸せな時間とその胸が苦しくなるような考えを、泉は何度も天秤にかけた。


夜に廉から電話をもらった泉は、廉の言い訳をまるで人事のように笑って聞き流した。それ以外にどんな態度を取ったらいいのかわからなかった。廉のことを自分がどうするべきか、もう少し考える時間が必要だ。泉は今日は疲れているからと言って、早々に電話を切った。

次の日曜日には、アリオンの60周年記念パーティが催されることになっている。それにはアリオンの社員、取引先だけでなく、契約社員やその家族まで招待されていた。泉のところにも1ヶ月ほど前に招待状が届いており、講師にはそれぞれの店の店長から直接、全員参加の要請が来ていた。アリオンにいれば、都合が悪くなっても彼と顔を合わさなければならないこともある。職場やバイト先で恋愛するということはそういうことだ。

パーティには、一体何を着て行ったらいいだろう…… 

泉は現実的な悩みにもどって眠りについた。