コーヒーマシンのポットに落ちたコーヒーをマグカップについで、廉が持ってきた時、泉はグランドピアノの前に座って、ベートーヴェンを弾いていた。
隣の部屋のスピーカーの音は扉を閉めていると全く聞こえない。泉はピアノを前にしてすぐ自分の世界に入ってしまった。廉はピアノの譜面台の脇に泉のカップを置いて、立ったまま一口飲んだ。
廉は黙って泉のピアノを聞いていたが、しばらくして自分のカップを壁際のサイドテーブルに置いた。そしてピアノを弾いている泉を後ろからそっと抱いた。
泉は驚いて手を止めてしまった。廉が耳元で「続けて」とささやく。
泉を抱いたままの姿勢でいた廉は、しばらくすると泉の上げてきた髪であらわになったうなじに口づけした。
背中に電気が走ったような気がして、泉はびくっと震えた。もうこれ以上弾けない……
廉はピアノの長いすに反対側から座り、泉の手をとって、自分の方へ身体を向けさせた。
「……私、そろそろ帰ります。明日も……」
なんとか口を開いた泉に、廉は人差し指を立てて黙らせた。
「僕たちは高校生じゃない。君はそんなに早く家に帰りたいの?」
「そうじゃありませんけど……でも……」
「泉……」
廉は泉を自分の方へ引き寄せて抱きしめた。泉はこれから何が起こるのか不安で身体がかちかちになった。それを感じたのか、廉は抱いた腕を緩めて泉の顔を見た。
そうして廉は泉の唇を奪った。
頭に血が昇ってる。心臓の音が聞こえてしまいそう……
泉は廉にキスされている間、息ができなくてぼうっとしていた。自分が何かできる余地などなかった。
……なんだか目が回ってきた。
廉の片手は泉の頭を支えており、もう片方の手は肩をつかんでいた。廉は激しく泉を求め、泉はただされるがままだった。
このままもしかして……肩をつかんでいた廉の手が自分の胸の上に降りてきた。
ああ……どうしよう……
その大きな掌が泉の胸をつかんだとき、泉は驚いて廉の手をよけるように抵抗した。しかし、廉はやめようとはしなかった。胸に触られることには抵抗していたが、キスも止む気配はなかった。
ああ……だめ。頭がおかしくなりそう。
泉はたまらなくなって、廉の腕の中でもがくようにして廉から逃れた。
気まずい雰囲気だ。泉は自分を何とか取り戻すように下を向いて深呼吸した。
どうしよう? こうなることがわかっていてついてきたのだろうと、彼は考えているだろう。きっとそうだ。
心臓のどきどきが止まらない……泉はゆっくり呼吸しながら、今起こったことがどういうことか考えていた。
廉はどう思っているのだろう。あんなことで、子供みたいに慌てて。
「泉……」
廉は小さくため息をついて立ち上がり、泉を立たせた。
「送っていこう」
今日、ピンクペッパーに行く前は、廉は泉の手を引いていたのに、駐車場に行くときはそうしなかった。
車の中でも二人とも何も話さなかった。廉は怒っているのだ。
どうしよう……どうしよう……彼を怒らせた。
こんなことで抵抗するなんて、やってられないと思っただろうか。たぶんそうだ……
ああ、馬鹿みたい。どうしてあんなにあわてちゃったんだろう。私はその先に進んでみたかったはずなのに……
入谷の部屋の前に着くと、廉は黙って泉のシートベルトをはずした。
「泉……」
ドアに手をかけた泉を廉が呼んだ。涙でいっぱいになった瞳を見て廉は驚き、少し迷って言った。
「僕と付き合うのは嫌か?」
このまま車を降りて部屋に逃げるならそうすればいい。廉は泉に無理強いするつもりはなかった。しかし、泉はようやく口を開いた。
「わたし、今日、目一杯努力してきました。あなたに……よく見られようと思って。でも……子供みたいって笑われそうだけど、さっきはちょっと……びっくりしてしまって……だから」
「泉……」
廉は大きくため息をついて、泉の不安そうな顔に手をやった。そして自分の方へ引き寄せて抱きしめた。
「僕は別に急いでるわけじゃない。けど、そう都合よく止められない……もし……もう一回って言ったら?」
泉はうなずいて、自分を落ち着かせるように息を吸い、目を閉じた。廉の唇が優しく触れる。そして、泉が逃げないのを確認すると、強く口を吸い、舌で口の中を探った。泉もこわごわだったが、それに応えた。
二人の間に走った雷のような何かのせいで、廉の頭の中の回路は飛んでしまった。泉とのキスは正気を失わせる。
この恐ろしく気持ちのいい時間を終わらせるのは、本当に難しかった。泉がかわいい。自分の気が短いことで損しているのは良くわかっている。
送っていくなんて言わなければ良かった。もっと時間をかけてゆっくりやればよかったのだ。そうすればあのまま……
廉は自分の考えがおかしな方に向かっていく前に、何とか体を離した。
長く離れがたいキスの後、二人はお互いに深呼吸した。廉は泉の手を取って自分の大きな手の中に収め、その吸い付くような白い皮膚の感触を確かめた。
「僕をもっと知りたいって言っただろ?」
この間のことだ。こくんと頷いて泉は廉を見た。
「僕も君を知りたい。でも、君が嫌がることはしない。たぶんね……僕も男だから……保証はできないけど」
泉はまた真っ赤になって下を向いてしまった。27にしては純情すぎる。
「今度は、ちゃんと……普通に……」
廉は笑いながら泉に言った。
「いいんだ。そんなに難しく考えなくても」
ドアを開けて自分の部屋へ戻っていく泉を見ながら、廉は泉がもう少し楽に自分に接してくれたらと思った。
自分といるとあんなに緊張しているのはどうしてなんだろう? 俺はまるで悪いことをしている大人みたいだ。
さっきのキスで彼女がこわごわでも反応した時は、正直言って彼女を押し倒すかもしれないと思った。けれど泉は大事にしたい。
廉は車を出して部屋に戻った。
今度、廉とゆっくり会う日はいつなんだろう?
泉は心の中で考えていた。もちろん自分から訊けばいいのだ。
そうすれば廉はきっと夜中でも時間を作ってくれるだろう。だけど、その時は多分……
27にもなって、この事に尻込みしているのは、他でもない、泉に経験がないからだった。今までに付き合った男たちとは、どういうわけかそういうことにならなかった。寸前までいったこともあったのに、結局、経験することはなかった。廉はまさか自分が経験がないなんて考えてもいないだろう。
今どき27までヴァージンを守る女がどこにいる?ほとんど天然記念物だ。
次にああいうことになった時は、逃げ出すなんてできない。でも、廉はきっと驚くだろう……それも気が重いが……
隣の部屋のスピーカーの音は扉を閉めていると全く聞こえない。泉はピアノを前にしてすぐ自分の世界に入ってしまった。廉はピアノの譜面台の脇に泉のカップを置いて、立ったまま一口飲んだ。
廉は黙って泉のピアノを聞いていたが、しばらくして自分のカップを壁際のサイドテーブルに置いた。そしてピアノを弾いている泉を後ろからそっと抱いた。
泉は驚いて手を止めてしまった。廉が耳元で「続けて」とささやく。
泉を抱いたままの姿勢でいた廉は、しばらくすると泉の上げてきた髪であらわになったうなじに口づけした。
背中に電気が走ったような気がして、泉はびくっと震えた。もうこれ以上弾けない……
廉はピアノの長いすに反対側から座り、泉の手をとって、自分の方へ身体を向けさせた。
「……私、そろそろ帰ります。明日も……」
なんとか口を開いた泉に、廉は人差し指を立てて黙らせた。
「僕たちは高校生じゃない。君はそんなに早く家に帰りたいの?」
「そうじゃありませんけど……でも……」
「泉……」
廉は泉を自分の方へ引き寄せて抱きしめた。泉はこれから何が起こるのか不安で身体がかちかちになった。それを感じたのか、廉は抱いた腕を緩めて泉の顔を見た。
そうして廉は泉の唇を奪った。
頭に血が昇ってる。心臓の音が聞こえてしまいそう……
泉は廉にキスされている間、息ができなくてぼうっとしていた。自分が何かできる余地などなかった。
……なんだか目が回ってきた。
廉の片手は泉の頭を支えており、もう片方の手は肩をつかんでいた。廉は激しく泉を求め、泉はただされるがままだった。
このままもしかして……肩をつかんでいた廉の手が自分の胸の上に降りてきた。
ああ……どうしよう……
その大きな掌が泉の胸をつかんだとき、泉は驚いて廉の手をよけるように抵抗した。しかし、廉はやめようとはしなかった。胸に触られることには抵抗していたが、キスも止む気配はなかった。
ああ……だめ。頭がおかしくなりそう。
泉はたまらなくなって、廉の腕の中でもがくようにして廉から逃れた。
気まずい雰囲気だ。泉は自分を何とか取り戻すように下を向いて深呼吸した。
どうしよう? こうなることがわかっていてついてきたのだろうと、彼は考えているだろう。きっとそうだ。
心臓のどきどきが止まらない……泉はゆっくり呼吸しながら、今起こったことがどういうことか考えていた。
廉はどう思っているのだろう。あんなことで、子供みたいに慌てて。
「泉……」
廉は小さくため息をついて立ち上がり、泉を立たせた。
「送っていこう」
今日、ピンクペッパーに行く前は、廉は泉の手を引いていたのに、駐車場に行くときはそうしなかった。
車の中でも二人とも何も話さなかった。廉は怒っているのだ。
どうしよう……どうしよう……彼を怒らせた。
こんなことで抵抗するなんて、やってられないと思っただろうか。たぶんそうだ……
ああ、馬鹿みたい。どうしてあんなにあわてちゃったんだろう。私はその先に進んでみたかったはずなのに……
入谷の部屋の前に着くと、廉は黙って泉のシートベルトをはずした。
「泉……」
ドアに手をかけた泉を廉が呼んだ。涙でいっぱいになった瞳を見て廉は驚き、少し迷って言った。
「僕と付き合うのは嫌か?」
このまま車を降りて部屋に逃げるならそうすればいい。廉は泉に無理強いするつもりはなかった。しかし、泉はようやく口を開いた。
「わたし、今日、目一杯努力してきました。あなたに……よく見られようと思って。でも……子供みたいって笑われそうだけど、さっきはちょっと……びっくりしてしまって……だから」
「泉……」
廉は大きくため息をついて、泉の不安そうな顔に手をやった。そして自分の方へ引き寄せて抱きしめた。
「僕は別に急いでるわけじゃない。けど、そう都合よく止められない……もし……もう一回って言ったら?」
泉はうなずいて、自分を落ち着かせるように息を吸い、目を閉じた。廉の唇が優しく触れる。そして、泉が逃げないのを確認すると、強く口を吸い、舌で口の中を探った。泉もこわごわだったが、それに応えた。
二人の間に走った雷のような何かのせいで、廉の頭の中の回路は飛んでしまった。泉とのキスは正気を失わせる。
この恐ろしく気持ちのいい時間を終わらせるのは、本当に難しかった。泉がかわいい。自分の気が短いことで損しているのは良くわかっている。
送っていくなんて言わなければ良かった。もっと時間をかけてゆっくりやればよかったのだ。そうすればあのまま……
廉は自分の考えがおかしな方に向かっていく前に、何とか体を離した。
長く離れがたいキスの後、二人はお互いに深呼吸した。廉は泉の手を取って自分の大きな手の中に収め、その吸い付くような白い皮膚の感触を確かめた。
「僕をもっと知りたいって言っただろ?」
この間のことだ。こくんと頷いて泉は廉を見た。
「僕も君を知りたい。でも、君が嫌がることはしない。たぶんね……僕も男だから……保証はできないけど」
泉はまた真っ赤になって下を向いてしまった。27にしては純情すぎる。
「今度は、ちゃんと……普通に……」
廉は笑いながら泉に言った。
「いいんだ。そんなに難しく考えなくても」
ドアを開けて自分の部屋へ戻っていく泉を見ながら、廉は泉がもう少し楽に自分に接してくれたらと思った。
自分といるとあんなに緊張しているのはどうしてなんだろう? 俺はまるで悪いことをしている大人みたいだ。
さっきのキスで彼女がこわごわでも反応した時は、正直言って彼女を押し倒すかもしれないと思った。けれど泉は大事にしたい。
廉は車を出して部屋に戻った。
今度、廉とゆっくり会う日はいつなんだろう?
泉は心の中で考えていた。もちろん自分から訊けばいいのだ。
そうすれば廉はきっと夜中でも時間を作ってくれるだろう。だけど、その時は多分……
27にもなって、この事に尻込みしているのは、他でもない、泉に経験がないからだった。今までに付き合った男たちとは、どういうわけかそういうことにならなかった。寸前までいったこともあったのに、結局、経験することはなかった。廉はまさか自分が経験がないなんて考えてもいないだろう。
今どき27までヴァージンを守る女がどこにいる?ほとんど天然記念物だ。
次にああいうことになった時は、逃げ出すなんてできない。でも、廉はきっと驚くだろう……それも気が重いが……

