美術館を出ると、九月の少し傾きかけた太陽が、駅前の通りをオレンジ色に染め始めていた。
心地の良い疲労感の中、俺たちは美術館の裏手にある、テラス席のついた小さなカフェに足を運んでいた。
「あー、歩いた!本当に楽しかったなぁ」
結衣さんは運ばれてきたアイスカフェのストローをくわえ、生き返ったような声を上げた。
バーで見せる『疲れた大人の顔』とも、学校で見せる『凛とした先生の顔』とも違う、ただの等身大の女性としての無邪気な姿。その表情を、遮るもののない太陽の光の下で独占できている事実に、俺の胸はまた小さく跳ね上がる。
昼の光の下に映える、彼女のクリーム色のサマーニット。それに合わせて、いつもとは違う爽やかな私服を選んで本当に良かったと、心から思った。
「航平くんは、大学ではどんなこと勉強してるの?さっきの絵の感想もそうだけど、やっぱりどこか大人っぽいよね」
結衣さんがグラスを置き、両手で頬を支えながら、まっすぐに俺を見つめてきた。
キタ、と心臓が冷たく跳ねる。一番嘘をつかないといけない、鬼門の質問だ。
俺は今日のために用意していたネイビーのカーディガンの袖を少し手繰り寄せ、あらかじめ用紙していた『設定_を口にする。
「経済学部です。でも、講義よりもサークルの方が忙しくて……」
「サークル?何やってるの?」
「サッカーです。一応、小学校の頃からずっと続けてて……」
これだけは嘘じゃない。俺の人生そのものだ。
「へぇ、サッカー!かっこいい。ポジションはどこなの?」
「……フォワードです。泥臭くても、とにかくゴールを狙うような」
「あはは、航平くんの真面目な性格っぽくていいネ!でも、一つのことをずっと続けられる男の子って素敵だと思うな」
結衣さんは本当に感心したように微笑んだ。その視線が、なんだか気恥ずかしくて、俺は慌てて自分の冷たいジンジャーエールを喉に流し込んだ。
大人のフリして、一生懸命に背伸びをしてついている嘘。だけど、サッカーの話をしている時だけは、十七歳の俺の話をしている時だけは、十七歳の俺の『本当の熱量』が言葉に乗ってしまう。
「先生ってさ…あ、いや、仕事って大変だけど、やっぱりやりがいある?」
「先生ってさ」と言いかけて慌てて誤魔化した俺の失言に気づかず、結衣さんは少し遠く見つけるように視線を落とした。
「うーん……大変だよ、本当に。授業の準備も終わらせないし、生徒たちは言うこと聞かないし。……でもね
今週、その立花くんがね、ボソッと言ってくれたの。『先生に俺の絵を見せて、驚かせたかっただけだ』って」
「え…」
「他校のサッカー部の子にそう言われ、ハッとしたんだって。あの子、本当は私に自分の絵を見て欲しかったんだよね。私、正しい先生でいようとしすぎたのかも。……だから、そのきっかけをくれた他校のサッカー部のことには感謝してるんだ」
結衣さんは愛おしそうに目を細めて語る。
まさかその『他校のサッカー部員』が、今、目の前でいつもと違うお洒落をしてお茶をしている自分だなんて、結衣さんはこれっぽっちも思っていない。
自分の隠された真実が、回り回って彼女の心を救っていた。その切なすぎる繋がりに、俺は胸の奥がギュッと締め付けられるように痛む。
「……そのサッカー部の人も、きっと純粋に、立花くんの絵の凄さに圧倒されたまま、思ったことを言っただけなんじゃないですかね」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「え?」結衣さんが驚いたように目を丸くする。俺はハッとして、慌てて「あ、いや! 同じサッカーをやってる身としての想像です。熱くなってやってる奴の気持ちは、なんとなく分かるというか……」と手を振って取り繕った。
結衣さんはしばらくぽかんとしていたが、やがてふっと柔らかく微笑んだ。
「ふふ、そっか。……でもね、その偶然に、私はすごく救われたんだ。航平くんが先週、高校生の本音を教えてくれたのもそう。色んな人に支えられてるなって、改めて思ったの。本当にありがとう」
オレンジ色の夕日が、テラス席のガラスに反射してキラキラと輝いている。
「あ、もうこんな時間。楽しすぎてあっという間だったなぁ。」
結衣さんは名残惜しそうに空になったグラスを見つめ、それから俺を見て、優しく微笑んだ。
「ねぇ、航平くん。また……こうして、土曜日もお出かけして進路相談(仮)に乗ってくれる?」
「はい。喜んで」
俺は小さく頷いた。
嘘をついている罪悪感は、消えることはない。だけど、夕闇に溶けていく彼女の笑顔を見つめながら、俺はこの心地いい魔法が一日でも長く続くことを、ただ強く願っていた。
心地の良い疲労感の中、俺たちは美術館の裏手にある、テラス席のついた小さなカフェに足を運んでいた。
「あー、歩いた!本当に楽しかったなぁ」
結衣さんは運ばれてきたアイスカフェのストローをくわえ、生き返ったような声を上げた。
バーで見せる『疲れた大人の顔』とも、学校で見せる『凛とした先生の顔』とも違う、ただの等身大の女性としての無邪気な姿。その表情を、遮るもののない太陽の光の下で独占できている事実に、俺の胸はまた小さく跳ね上がる。
昼の光の下に映える、彼女のクリーム色のサマーニット。それに合わせて、いつもとは違う爽やかな私服を選んで本当に良かったと、心から思った。
「航平くんは、大学ではどんなこと勉強してるの?さっきの絵の感想もそうだけど、やっぱりどこか大人っぽいよね」
結衣さんがグラスを置き、両手で頬を支えながら、まっすぐに俺を見つめてきた。
キタ、と心臓が冷たく跳ねる。一番嘘をつかないといけない、鬼門の質問だ。
俺は今日のために用意していたネイビーのカーディガンの袖を少し手繰り寄せ、あらかじめ用紙していた『設定_を口にする。
「経済学部です。でも、講義よりもサークルの方が忙しくて……」
「サークル?何やってるの?」
「サッカーです。一応、小学校の頃からずっと続けてて……」
これだけは嘘じゃない。俺の人生そのものだ。
「へぇ、サッカー!かっこいい。ポジションはどこなの?」
「……フォワードです。泥臭くても、とにかくゴールを狙うような」
「あはは、航平くんの真面目な性格っぽくていいネ!でも、一つのことをずっと続けられる男の子って素敵だと思うな」
結衣さんは本当に感心したように微笑んだ。その視線が、なんだか気恥ずかしくて、俺は慌てて自分の冷たいジンジャーエールを喉に流し込んだ。
大人のフリして、一生懸命に背伸びをしてついている嘘。だけど、サッカーの話をしている時だけは、十七歳の俺の話をしている時だけは、十七歳の俺の『本当の熱量』が言葉に乗ってしまう。
「先生ってさ…あ、いや、仕事って大変だけど、やっぱりやりがいある?」
「先生ってさ」と言いかけて慌てて誤魔化した俺の失言に気づかず、結衣さんは少し遠く見つけるように視線を落とした。
「うーん……大変だよ、本当に。授業の準備も終わらせないし、生徒たちは言うこと聞かないし。……でもね
今週、その立花くんがね、ボソッと言ってくれたの。『先生に俺の絵を見せて、驚かせたかっただけだ』って」
「え…」
「他校のサッカー部の子にそう言われ、ハッとしたんだって。あの子、本当は私に自分の絵を見て欲しかったんだよね。私、正しい先生でいようとしすぎたのかも。……だから、そのきっかけをくれた他校のサッカー部のことには感謝してるんだ」
結衣さんは愛おしそうに目を細めて語る。
まさかその『他校のサッカー部員』が、今、目の前でいつもと違うお洒落をしてお茶をしている自分だなんて、結衣さんはこれっぽっちも思っていない。
自分の隠された真実が、回り回って彼女の心を救っていた。その切なすぎる繋がりに、俺は胸の奥がギュッと締め付けられるように痛む。
「……そのサッカー部の人も、きっと純粋に、立花くんの絵の凄さに圧倒されたまま、思ったことを言っただけなんじゃないですかね」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「え?」結衣さんが驚いたように目を丸くする。俺はハッとして、慌てて「あ、いや! 同じサッカーをやってる身としての想像です。熱くなってやってる奴の気持ちは、なんとなく分かるというか……」と手を振って取り繕った。
結衣さんはしばらくぽかんとしていたが、やがてふっと柔らかく微笑んだ。
「ふふ、そっか。……でもね、その偶然に、私はすごく救われたんだ。航平くんが先週、高校生の本音を教えてくれたのもそう。色んな人に支えられてるなって、改めて思ったの。本当にありがとう」
オレンジ色の夕日が、テラス席のガラスに反射してキラキラと輝いている。
「あ、もうこんな時間。楽しすぎてあっという間だったなぁ。」
結衣さんは名残惜しそうに空になったグラスを見つめ、それから俺を見て、優しく微笑んだ。
「ねぇ、航平くん。また……こうして、土曜日もお出かけして進路相談(仮)に乗ってくれる?」
「はい。喜んで」
俺は小さく頷いた。
嘘をついている罪悪感は、消えることはない。だけど、夕闇に溶けていく彼女の笑顔を見つめながら、俺はこの心地いい魔法が一日でも長く続くことを、ただ強く願っていた。

