担降りしたはずの推しが、隣に引っ越してきました

ようやく原稿を送り終えたとき、外はすっかり日が暮れていた。
時計は八時を少し過ぎたところ。
突然、インターフォンが鳴った。
「こんばんは」
モニターに愁が映っている。
「めずらしいコーヒー豆もらったんだけど、飲みに来ない?」
締め切りを終えたばかりで、ボーッとしていたせいもあるかもしれない。
少年っぽい笑顔に警戒心が緩んだ。
「……お邪魔します」

部屋の中は柔らかな照明に包まれていた。
愁は慣れた手つきで豆を挽き、丁寧にお湯を注ぐ。ナッツのようなコーヒーの香りが部屋を満たしていった。
昔、ライブのMCで話していたことを思い出す。
――俺、コーヒー苦くて飲めないんですよ。
あれから十年。
人は変わる。
当たり前のことなのに、そのことが妙に嬉しいような、ちょっと切ないような。

「作家って、孤独じゃない?」
ふいにそう聞かれた。
「……感じる時もあります。でも、その孤独がないと書けないんだと思います」
愁は静かに頷いた。

しばらくして。
「十年前のこと、覚えてる?」
息をのんだ。
「あの報道のことだとしたら……忘れられるわけないです」
愁は少し驚いたように目を見開いた。
それから、ゆっくり笑った。
「……あの頃のこと、少し話してもいい?」
「はい」
愁はカップを見つめたまま話し始めた。