担降りしたはずの推しが、隣に引っ越してきました

ドラマの撮影も中盤に差し掛かった頃だった。
その日は美咲も撮影現場を訪れていた。
スタッフに挨拶をしながら、少し離れたところから撮影を眺める。
カメラの前に立つ愁は、
背筋を伸ばし、役の感情をまとい、カメラの向こうにいる誰かをまっすぐ見つめている。
その面影が、かつてステージの上で歌っていた彼と重なる。
やっぱり、この人は光の中にいる人なのだ。

休憩に入り、愁がこちらに向かって歩き出す。
その時、
「西島さん」
呼び掛ける女性の声に、愁が振り返った。
一瞬。
愁の表情が固まった。
「……彩香さん?」
その名前を聞いた瞬間、美咲の心臓が大きく鳴った。

望月彩香。
十年前。
愁の熱愛報道の相手として名前が出た女性。
写真の中で、愁の隣にいた人。
美咲が忘れようとしても、忘れられなかった名前。
「久しぶり」
彩香はそう言って笑った。
以前、ニュースで見た写真よりもずっと落ち着いた雰囲気だった。
派手さはない。

「少し前から、ここの制作会社で働き始めたの。まさか、また一緒になるなんて思わなかった」
「……そうなんだ」
愁は戸惑いを隠すように、淡々と答えた。
声にも、表情にも、大きな感情は出ていない。
「……よろしくお願いします」
それだけ言って、仕事へ戻ろうとする。
けれど彩香が、その腕をつかんだ。
「愁」
その呼び方に、美咲の胸がざわついた。
十年前からそう呼んでいたのだろうか。
自分の知らない愁を知っている。
そのことが、思った以上に苦しかった。
「少しだけ、話せない?」
「仕事中だから」
「わかってる。今日の撮影が終わってから、少しだけ……」
愁は数秒の沈黙のあと、小さく息を吐いた。
「わかった」
頷いて、スタッフのいる方へと戻っていった。