卒業式の日。
体育館に並んだ椅子を見つめながら、私は静かに息を吐いた。
今日で、この学校ともお別れ。
入学した日のことが、ついこの前のことみたいに思える。
あの日は、新しい制服に袖を通しただけで嬉しくて、これから始まる三年間がどんなものになるのか、期待と少しの不安を抱えていた。
それが、気づけば今日。
笑ったり、泣いたり、悩んだり。
新体操に夢中になって、何度も壁にぶつかって、それでも最後まで手具を握り続けた。
恋をして、大切な人と出会った。
嬉しいだけじゃなく、会いたいのに会えない寂しさも知った。
自分の弱さに負けそうになったこともあった。
それでも、ひとつずつ乗り越えてきた。
振り返れば、三年間は長かったようで、あっという間だった。
卒業証書を受け取ったとき、胸の奥がいっぱいになった。
高校生の私が、今日で終わる。
寂しい。
でも、それだけじゃない。
これから始まる未来を思うと、少しだけ胸が高鳴った。
*
式が終わり、校庭へ出る。
そこには、たくさんの友達や後輩たちが集まっていた。
「瑠夏先輩、卒業おめでとうございます!」
「瑠夏先輩、大学行っても頑張ってください!」
「ありがとう」
後輩たちの笑顔に囲まれて、自然と笑顔になる。
何度も写真を撮って、何度も「またね」と言い合った。
この校庭で、みんなと笑っていられることが嬉しかった。
ここで過ごした時間が、本当に終わるんだと思うと、少しだけ寂しい。
でも、泣いてしまうより、笑っていたかった。
そんな中、少し離れたところに翔がいた。
「翔くん」
「瑠夏」
呼ぶと、翔がこちらへ歩いてくる。
「卒業、おめでとう」
「翔くんも。おめでとう」
向かい合って笑う。
中学生の頃から、ずっと一緒だった。
たくさん笑って、たくさん話して。
楽しいことも、苦しいことも、いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていた。
そんな翔と、今日で同じ高校を卒業する。
「瑠夏は、これから関東だな」
「うん」
「大学、頑張れよ」
「翔くんもね。スポーツトレーナーになるんでしょ?」
「うん。だから、これからも勉強しないとな」
翔が少し照れたように笑った。
「瑠夏も、大学とかモデルとか。いろいろ大変そうだけど」
「うん。でも、自分で決めたことだから」
「そっか」
少しだけ沈黙が落ちる。
今までなら、こんなふうに言葉が途切れても、またすぐにくだらない話をしていた。
でも今日は違う。
私たちは、それぞれ別の場所へ進む。
それが少し寂しくて。
それでも、嬉しかった。
翔が手を差し出した。
「じゃあ、お互い頑張ろう」
「うん」
私はその手を握った。
長い時間を一緒に過ごした人。
これから先、今までのように隣にいることはなくなる。
でも、この人と過ごした時間までなくなるわけじゃない。
「また、どこかで会えたらいいね」
「うん」
手を離す。
「元気でな、瑠夏」
「翔くんも。頑張ってね」
「瑠夏もな」
「うん」
翔が友達のところへ戻っていく。
私は、その背中を見つめた。
少しだけ胸が痛んだ。
でも、それは戻りたいという痛みじゃない。
長い時間を一緒に過ごした大切な人を、ちゃんと送り出すための痛みだった。
「ありがとう」
小さく呟く。
翔には聞こえない。
それでいい。
私は校庭を見渡した。
友達が笑っている。
後輩たちが手を振っている。
先生が遠くからこちらを見ている。
この景色を、きっと私は忘れない。
胸いっぱいに息を吸う。
そして、私は前を向いた。
*
卒業式から、数日が経った。
「忘れ物ない?」
「うん、大丈夫」
玄関で、お母さんが私の小さなバッグを確認する。
大きな引っ越し荷物は、もう先に送ってある。
向こうの部屋には、これから始まる生活のための荷物が届くことになっている。
「引っ越し屋さん、3時に来るからね」
「分かってる」
「向こうに着いたら、ちゃんと連絡するのよ」
「うん」
いつもの会話。
いつもの玄関。
なのに、今日だけは少し違って見える。
ここから学校へ通った。
ここへ帰ってきた。
嬉しい日も、泣いた日も、全部ここにあった。
今日からは、自分で選んだ場所で暮らす。
少しだけ寂しい。
でも、怖くはなかった。
私は、未来へ進む。
「……じゃあ、行ってきます」
「瑠夏」
振り返る。
「いってらっしゃい」
「うん」
笑って、家を出る。
ドアが閉まる。
その向こうで、お母さんが小さく息を吐いた。
「なんだか、お嫁に行くみたいね」
「……まぁ」
お父さんは玄関を見つめたまま、少し笑った。
「拓実くんなら、安心だな」
「そうね」
二人の声は、もう瑠夏には届かない。
*
新幹線の窓から、流れていく景色を眺める。
見慣れた街が、少しずつ遠ざかっていく。
高校生活が終わったんだ。
そう思うと、胸の奥が静かに熱くなった。
いろんなことがあった。
楽しいことだけじゃなかった。
新体操に夢中になって、限界まで頑張ったこと。
受験勉強に追われて、余裕がなくなったこと。
そんなとき、拓実が帰ってきてくれた。
会って、話して。
ぎゅっと抱きしめてもらう。
その腕の中にいると、張りつめていたものがほどけていくようで、また頑張れる気がした。
大切なときには、ちゃんと帰ってきてくれた。
だからこそ、普段は会いたいときに会えないことが寂しかった。
隣にいてほしいと思っても、すぐには会えない。
触れたいと思っても、距離がある。
それでも私は、自分の毎日を頑張ってきた。
新体操も。
受験も。
そして、これからの未来も。
関東の大学へ進むのは、拓実がいるからじゃない。
私が、自分で選んだ道。
その先に拓実がいる。
それが、ただ嬉しかった。
窓の外の景色が変わっていく。
もうすぐ、関東。
そして――拓実に会える。
そう思うと、自然と口元が緩んだ。
*
やがて、新幹線が駅へ滑り込んだ。
扉が開く。
私は小さなバッグを持って、ホームへ降りた。
以前、拓実と一緒に来たことのある駅。
今日は、その拓実が私を待っている。
駅の中へ進む。
たくさんの人が行き交っている。
私は辺りを見回した。
どこにいるんだろう。
約束した場所は分かっている。
それでも、人の波の中ではなかなか姿を見つけられない。
そのときだった。
「瑠夏!」
聞き慣れた声がした。
胸が、大きく跳ねる。
「……え?」
振り向く。
人の波の奥。
そこに――拓実がいた。
「拓実……!」
目が合う。
拓実が笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がいっぱいになった。
大切な日に帰ってきてくれたときも。
ぎゅっと抱きしめてくれたときも。
離れていて寂しかった日も。
会いたいと思いながら、自分の道を頑張ってきた時間も。
全部が、今この瞬間につながっている。
拓実が、両腕を広げた。
何も言わない。
ただ、私を見ている。
でも、分かった。
――おいで。
そう言っているように見えた。
胸が熱くなる。
もう、止まれなかった。
私は走り出した。
人の波を抜ける。
小さなバッグが揺れる。
それでも、足を止めない。
目の前にいる拓実だけを見て。
あと少し。
あと少し。
「拓実……!」
その胸に、飛び込んだ。
すぐに、拓実の腕が私の背中を包む。
ぎゅっと抱きしめられる。
その瞬間、張りつめていたものが、ふっとほどけた。
この温もり。
この腕の中。
何度も安心させてもらった場所。
私は拓実の背中に腕を回した。
もう少しだけ強く。
離れていた時間を確かめるように。
拓実の胸に顔を埋める。
涙が頬を伝った。
しばらく、何も言わなかった。
ただ抱きしめ合っていた。
やがて、拓実が耳元で囁く。
「……会いたかった」
その声に、胸がいっぱいになる。
私も、同じだった。
会いたいときに会えないことが、ずっと寂しかった。
それでも、今日まで頑張ってきた。
自分で選んだ未来へ進んで、その先で――やっと拓実のところまで来た。
「私も……」
それだけ言うと、また涙がこぼれた。
拓実の腕に、そっと力がこもる。
私はその温もりの中で、目を閉じた。
もう、遠くない。
これから始まる毎日は、きっと今までとは違う。
嬉しい日も、苦しい日も、また会いたくなる日もあるだろう。
それでも、今度はもっと近くにいられる。
拓実から贈られたリボンのブレスレットが、瑠夏の手首で小さく揺れている。
これからもずっと、君のとなりにいたい。
――高校編・完。
体育館に並んだ椅子を見つめながら、私は静かに息を吐いた。
今日で、この学校ともお別れ。
入学した日のことが、ついこの前のことみたいに思える。
あの日は、新しい制服に袖を通しただけで嬉しくて、これから始まる三年間がどんなものになるのか、期待と少しの不安を抱えていた。
それが、気づけば今日。
笑ったり、泣いたり、悩んだり。
新体操に夢中になって、何度も壁にぶつかって、それでも最後まで手具を握り続けた。
恋をして、大切な人と出会った。
嬉しいだけじゃなく、会いたいのに会えない寂しさも知った。
自分の弱さに負けそうになったこともあった。
それでも、ひとつずつ乗り越えてきた。
振り返れば、三年間は長かったようで、あっという間だった。
卒業証書を受け取ったとき、胸の奥がいっぱいになった。
高校生の私が、今日で終わる。
寂しい。
でも、それだけじゃない。
これから始まる未来を思うと、少しだけ胸が高鳴った。
*
式が終わり、校庭へ出る。
そこには、たくさんの友達や後輩たちが集まっていた。
「瑠夏先輩、卒業おめでとうございます!」
「瑠夏先輩、大学行っても頑張ってください!」
「ありがとう」
後輩たちの笑顔に囲まれて、自然と笑顔になる。
何度も写真を撮って、何度も「またね」と言い合った。
この校庭で、みんなと笑っていられることが嬉しかった。
ここで過ごした時間が、本当に終わるんだと思うと、少しだけ寂しい。
でも、泣いてしまうより、笑っていたかった。
そんな中、少し離れたところに翔がいた。
「翔くん」
「瑠夏」
呼ぶと、翔がこちらへ歩いてくる。
「卒業、おめでとう」
「翔くんも。おめでとう」
向かい合って笑う。
中学生の頃から、ずっと一緒だった。
たくさん笑って、たくさん話して。
楽しいことも、苦しいことも、いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていた。
そんな翔と、今日で同じ高校を卒業する。
「瑠夏は、これから関東だな」
「うん」
「大学、頑張れよ」
「翔くんもね。スポーツトレーナーになるんでしょ?」
「うん。だから、これからも勉強しないとな」
翔が少し照れたように笑った。
「瑠夏も、大学とかモデルとか。いろいろ大変そうだけど」
「うん。でも、自分で決めたことだから」
「そっか」
少しだけ沈黙が落ちる。
今までなら、こんなふうに言葉が途切れても、またすぐにくだらない話をしていた。
でも今日は違う。
私たちは、それぞれ別の場所へ進む。
それが少し寂しくて。
それでも、嬉しかった。
翔が手を差し出した。
「じゃあ、お互い頑張ろう」
「うん」
私はその手を握った。
長い時間を一緒に過ごした人。
これから先、今までのように隣にいることはなくなる。
でも、この人と過ごした時間までなくなるわけじゃない。
「また、どこかで会えたらいいね」
「うん」
手を離す。
「元気でな、瑠夏」
「翔くんも。頑張ってね」
「瑠夏もな」
「うん」
翔が友達のところへ戻っていく。
私は、その背中を見つめた。
少しだけ胸が痛んだ。
でも、それは戻りたいという痛みじゃない。
長い時間を一緒に過ごした大切な人を、ちゃんと送り出すための痛みだった。
「ありがとう」
小さく呟く。
翔には聞こえない。
それでいい。
私は校庭を見渡した。
友達が笑っている。
後輩たちが手を振っている。
先生が遠くからこちらを見ている。
この景色を、きっと私は忘れない。
胸いっぱいに息を吸う。
そして、私は前を向いた。
*
卒業式から、数日が経った。
「忘れ物ない?」
「うん、大丈夫」
玄関で、お母さんが私の小さなバッグを確認する。
大きな引っ越し荷物は、もう先に送ってある。
向こうの部屋には、これから始まる生活のための荷物が届くことになっている。
「引っ越し屋さん、3時に来るからね」
「分かってる」
「向こうに着いたら、ちゃんと連絡するのよ」
「うん」
いつもの会話。
いつもの玄関。
なのに、今日だけは少し違って見える。
ここから学校へ通った。
ここへ帰ってきた。
嬉しい日も、泣いた日も、全部ここにあった。
今日からは、自分で選んだ場所で暮らす。
少しだけ寂しい。
でも、怖くはなかった。
私は、未来へ進む。
「……じゃあ、行ってきます」
「瑠夏」
振り返る。
「いってらっしゃい」
「うん」
笑って、家を出る。
ドアが閉まる。
その向こうで、お母さんが小さく息を吐いた。
「なんだか、お嫁に行くみたいね」
「……まぁ」
お父さんは玄関を見つめたまま、少し笑った。
「拓実くんなら、安心だな」
「そうね」
二人の声は、もう瑠夏には届かない。
*
新幹線の窓から、流れていく景色を眺める。
見慣れた街が、少しずつ遠ざかっていく。
高校生活が終わったんだ。
そう思うと、胸の奥が静かに熱くなった。
いろんなことがあった。
楽しいことだけじゃなかった。
新体操に夢中になって、限界まで頑張ったこと。
受験勉強に追われて、余裕がなくなったこと。
そんなとき、拓実が帰ってきてくれた。
会って、話して。
ぎゅっと抱きしめてもらう。
その腕の中にいると、張りつめていたものがほどけていくようで、また頑張れる気がした。
大切なときには、ちゃんと帰ってきてくれた。
だからこそ、普段は会いたいときに会えないことが寂しかった。
隣にいてほしいと思っても、すぐには会えない。
触れたいと思っても、距離がある。
それでも私は、自分の毎日を頑張ってきた。
新体操も。
受験も。
そして、これからの未来も。
関東の大学へ進むのは、拓実がいるからじゃない。
私が、自分で選んだ道。
その先に拓実がいる。
それが、ただ嬉しかった。
窓の外の景色が変わっていく。
もうすぐ、関東。
そして――拓実に会える。
そう思うと、自然と口元が緩んだ。
*
やがて、新幹線が駅へ滑り込んだ。
扉が開く。
私は小さなバッグを持って、ホームへ降りた。
以前、拓実と一緒に来たことのある駅。
今日は、その拓実が私を待っている。
駅の中へ進む。
たくさんの人が行き交っている。
私は辺りを見回した。
どこにいるんだろう。
約束した場所は分かっている。
それでも、人の波の中ではなかなか姿を見つけられない。
そのときだった。
「瑠夏!」
聞き慣れた声がした。
胸が、大きく跳ねる。
「……え?」
振り向く。
人の波の奥。
そこに――拓実がいた。
「拓実……!」
目が合う。
拓実が笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がいっぱいになった。
大切な日に帰ってきてくれたときも。
ぎゅっと抱きしめてくれたときも。
離れていて寂しかった日も。
会いたいと思いながら、自分の道を頑張ってきた時間も。
全部が、今この瞬間につながっている。
拓実が、両腕を広げた。
何も言わない。
ただ、私を見ている。
でも、分かった。
――おいで。
そう言っているように見えた。
胸が熱くなる。
もう、止まれなかった。
私は走り出した。
人の波を抜ける。
小さなバッグが揺れる。
それでも、足を止めない。
目の前にいる拓実だけを見て。
あと少し。
あと少し。
「拓実……!」
その胸に、飛び込んだ。
すぐに、拓実の腕が私の背中を包む。
ぎゅっと抱きしめられる。
その瞬間、張りつめていたものが、ふっとほどけた。
この温もり。
この腕の中。
何度も安心させてもらった場所。
私は拓実の背中に腕を回した。
もう少しだけ強く。
離れていた時間を確かめるように。
拓実の胸に顔を埋める。
涙が頬を伝った。
しばらく、何も言わなかった。
ただ抱きしめ合っていた。
やがて、拓実が耳元で囁く。
「……会いたかった」
その声に、胸がいっぱいになる。
私も、同じだった。
会いたいときに会えないことが、ずっと寂しかった。
それでも、今日まで頑張ってきた。
自分で選んだ未来へ進んで、その先で――やっと拓実のところまで来た。
「私も……」
それだけ言うと、また涙がこぼれた。
拓実の腕に、そっと力がこもる。
私はその温もりの中で、目を閉じた。
もう、遠くない。
これから始まる毎日は、きっと今までとは違う。
嬉しい日も、苦しい日も、また会いたくなる日もあるだろう。
それでも、今度はもっと近くにいられる。
拓実から贈られたリボンのブレスレットが、瑠夏の手首で小さく揺れている。
これからもずっと、君のとなりにいたい。
――高校編・完。



