君のとなり〜拓実と〜

 合格発表の日。

 私は、朝から落ち着かなかった。

 スマートフォンを何度も手に取っては、画面を消す。

 そして、意を決して大学の合格発表ページを開いた。

 受験番号を入力する。

 指先が、少し震えた。

 WEBのページを開いた。

 画面を確認した私は、そのままお母さんのところへ向かった。

「お母さん」

「どうしたの?」

 私は、お母さんに結果を伝えた。

「分かった。お父さんにはお母さんから伝えておくわね」

「うん」

 それだけ言って、自分の部屋へ戻る。

 スマートフォンを握る。

 拓実に、言わなきゃ。

 私はメール画面を開いた。

 その頃、拓実はスマートフォンを見ていた。

 瑠夏からメールが届いている。

『拓実、大事な話があるの』

 その文字を見た瞬間、ふと手が止まった。

 ――この言葉。

 どこかで聞いたことがある。

 そうだ。

 前にも、瑠夏から同じメールが来た。

 あのときは、インターハイに出場することが決まったという話だった。

 だから今回も、何か驚かせるようなことなのかと思った。

 けれど。

 次のメールを開いた瞬間、その考えは消えた。

『もう、私に会いに帰ってこなくていいよ』

「……え?」

 私に会いに帰ってこなくていい。

 その言葉が、頭の中に引っかかった。

 なんで?

 瑠夏は、何を言ってるんだ?

 大学の進路が決まる時期だから、何か関係があるのかもしれない。

 でも――。

 俺、何かした?

 最近のメールを思い返してみる。

 何か変なことを言ったか。

 瑠夏を傷つけるようなことをしたか。

 思い当たらない。

 それなのに、嫌な考えばかりが浮かんでくる。

 好きな人ができた?

 その瞬間、胸の奥がざわついた。

 まさか。

 いや。

 そんなこと――。

 瑠夏は、俺を好きだと言ってくれた。

 離れていても、ちゃんと繋がっている。

 そう信じてきた。

 それでも。

 俺の知らないところで、誰かと出会っていたら?

 ふと、別の名前が頭をよぎる。

 ――翔。

「……っ」

 すぐに首を振った。

 違う。

 瑠夏は、翔への気持ちには区切りをつけた。

 俺のことを選んでくれた。

 分かってる。

 分かってるのに、一度浮かんだ名前が消えてくれない。

 じゃあ、どうして?

 どうして私に会いに帰ってこなくていいなんて言う?

 俺たちは、離れていても恋人だった。

 会えない時間があっても、ちゃんと繋がっている。

 そう思っていた。

 なのに――。

 スマートフォンが震えた。

 新しいメール。

『私達、もう遠距離恋愛を続ける必要がなくなったと思う』

「…………」

 言葉が出なかった。

 遠距離恋愛を続ける必要がない。

 その意味を考える。

 会いに帰ってこなくていい。

 遠距離恋愛を続ける必要もない。

 じゃあ――。

 俺たちは?

 まさか。

 別れるってことなのか?

 そんな考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が痛くなった。

 嫌だ。

 そんなの、嫌に決まってる。

 でも、瑠夏がそう望んでいるなら――。

 俺は、どうすればいい?

 俺、何かした?

 もっとちゃんと連絡すればよかった?

 会えるときに、もっと会えばよかった?

 受験で大変な瑠夏に、何か無理をさせた?

 考えても考えても、答えが出ない。

 ただ一つだけ分かる。

 瑠夏を失いたくない。

 それだけだった。

 指先が止まる。

 それでも、聞くしかなかった。

『……瑠夏』

 何度も迷って。

 ようやく、送った。

『それって……別れたいってこと?』

 送信したあと。

 拓実はスマートフォンを握ったまま、動けなかった。

 返信が怖い。

 もし――。

 『うん』

 そう返ってきたら。

 俺は、どうすればいい?

 スマートフォンが震えた。

「……っ」

 恐る恐る画面を見る。

『違うよ』

「……え?」

 一瞬、思考が止まった。

 違う?

 じゃあ、何?

 次のメールが届く。

『私』

 指が止まる。

『関東の大学に行く!』

「…………」

 意味を理解するまで、ほんの少し時間がかかった。

 そして、そのすぐ下に写真が届いた。

 大学名。

 瑠夏の名前。

 その横に――合格の文字。

「…………」

 拓実は、画面を見つめたまま動かなかった。

 合格。

 瑠夏が。

 関東の大学に。

 俺と同じ関東に来る。

「……そういうことかよ」

 その瞬間。

 身体から、一気に力が抜けた。

「……っ」

 立っていた拓実の膝が、ふらつく。

 そのままソファに腰を落とした。

 いや。

 腰を抜かすって、こういうことか。

 さっきまで。

 本当に、瑠夏を失うと思っていた。

 俺が何かしたのかもしれない。

 好きな人ができたのかもしれない。

 まさか、翔なのかもしれない。

 別れたいのかもしれない。

 そこまで考えていた。

 なのに――。

「……関東って」

 思わず、笑いがこぼれた。

 目の奥が熱くなる。

「……びっくりさせんなよ」

 そう呟いた声が、少し震えた。

 俺は、瑠夏に電話をかけた。

 今は、ちゃんと声を聞きたかった。

 呼び出し音が鳴る。

 そして。

『もしもし?』

「……瑠夏」

『拓実?』

「うん」

 その声を聞いた瞬間。

 胸の奥に残っていた不安が、ゆっくりほどけていった。

「瑠夏、おめでとう」

『……ありがとう』

 嬉しそうな声。

 それを聞くだけで、また目の奥が熱くなる。

「……本当に、よかった」

『うん』

「関東に来るんだな」

『うん』

 少しだけ沈黙があった。

「……なぁ、瑠夏」

『ん?』

「次からさ」

『うん?』

「『大事な話がある』って送るの、やめてくれない?」

『え?』

「俺、あの言葉見るたびに寿命縮むんだけど」

『……ふふっ』

「笑い事じゃないから」

『ごめん』

 少し間があって。

『びっくりさせてごめん』

 その声が、優しく響いた。

『拓実、大好きだよ』

「……っ」

 胸の奥が、ぎゅっとなる。

 さっきまで、失うと思っていた。

 それなのに。

 今、瑠夏が俺に「大好き」と言ってくれている。

 目の奥が熱くなって、思わず俯いた。

「……俺も」

 声が少し掠れた。

「俺も、瑠夏が大好き」

『……うん』

 電話の向こうで、瑠夏が笑った。

 その声を聞いているだけで、幸せだった。

「瑠夏」

『ん?』

「関東で待ってる」

『……うん』

「春になったら、迎えに行くから」

『うん』

 今度こそ。

 春が待ち遠しい。

 離れていた時間の先に。

 瑠夏がいる。

 そう思うだけで、胸がいっぱいになった。