君のとなり〜拓実と〜

 十一月。

 今日は、高校最後の文化祭。

 朝から校内は、いつも以上に賑やかだった。

 廊下には色とりどりの装飾が飾られ、教室からは楽しそうな声が聞こえてくる。

「瑠夏、どこから行く?」

「うーん……あっち!」

「あっちって、また食べ物?」

「だって文化祭だもん」

「それ、昨日も言ってたよね」

「いいの!」

 友達と笑いながら、校内を歩く。

 今日は実行委員でもない。

 部活の出し物もない。

 だから、朝から一日中、文化祭を楽しめる。

 展示を見たり、模擬店を回ったり。

 友達と写真を撮ったり。

 笑って、騒いで。

 高校最後の文化祭を、思いきり楽しんでいた。

 そんなときだった。

 スマホが震えた。

 画面を見る。

 拓実。

 胸が、一瞬で高鳴った。

「もしもし?」

『瑠夏、今どこにいる?』

「え? 学校だけど?」

『そっか』

「……どうしたの?」

『いや……ちゃんといるなって思って』

「え?」

 意味が分からず、私は首を傾げる。

『じゃあ――』

『そのまま、後ろ見て』

「……え?」

『ゆっくりでいいから』

 言われた通り、私はゆっくり振り返った。

 そして――

 そこに、拓実がいた。

 満面の笑顔で、私を見ている。

「……拓実?」

 拓実は何も言わず、両腕を広げた。

 おいで。

 そう言われている気がした。

「……っ」

 気づけば、私は走り出していた。

 拓実の胸に飛び込む。

「拓実……!」

 ぎゅっと抱きつく。

 拓実の腕が、すぐに私の背中へ回った。

「……会いたかった」

 耳元で囁かれた声に、胸がいっぱいになる。

「私も……」

 拓実の胸に顔を埋める。

 ずっと会いたかった。

 そう思っていたことを、今さら隠せなかった。

「びっくりした?」

「びっくりしたよ……」

「ふふ」

 拓実が笑う。

 その声が近くて、また胸が高鳴った。

「文化祭、楽しんでる?」

「うん!」

「じゃあ、俺も混ぜて」

「……うん!」

 私は笑った。

 拓実と一緒に文化祭を回る。

 模擬店を覗いたり、展示を見たり。

 友達と写真を撮ったり。

 拓実が隣にいるだけで、いつもの学校が少し違って見えた。

「これ、瑠夏好きそう」

「ほんと?」

「うん」

「じゃあ食べたい!」

「買ってくる」

「私も行く!」

「……ふふ」

 拓実が笑う。

「そんなに離れたくない?」

「……だって」

 久しぶりに会えたのに。

 せっかく会えたのに、離れているなんてもったいない。

「……一緒にいたいもん」

「そっか」

 拓実が嬉しそうに笑った。

「じゃあ、一緒に行こ」

 並んで模擬店へ向かう。

 そんな何気ない時間さえ、嬉しかった。

 しばらくして、私たちは買ったものを手に、友達のところへ戻った。

「美味しい?」

「うん!」

「よかった」

 拓実が笑う。

 その笑顔が好き。

 隣にいるだけで、こんなに嬉しい。

 そう思っていたときだった。

「拓実じゃん!」

 声に振り返る。

 そこには、拓実の高校時代の同級生が三人いた。

「久しぶり!」

「おお、久しぶり」

「拓実、大学生になっても変わんないな」

「そう?」

「背、高っ!」

「それ、今さら?」

「いや、改めて見るとやっぱ高いわ」

 みんなで笑う。

 久しぶりに会った友達との会話は、自然と昔話になっていった。

「大学どう?」

「まあまあ」

「ちゃんと大学生やってる?」

「やってるよ」

「そういや、拓実って大学でも相変わらずモテてる?」

「……知らない」

「またまた」

「高校のとき、すごかったじゃん」

「知らないって」

 拓実は笑いながら答える。

 私もつられて笑った。

 だけど――

「大学でも相変わらずモテてる?」

 その言葉だけが、なぜか胸に残った。

 大学。

 私の知らない場所。

 私の知らない女の子たち。

 もしかしたら、拓実の周りには、たくさんの女の子がいるのかもしれない。

 大学生になった拓実は、どんなふうに過ごしているんだろう。

 女の子に告白されたりしてないかな。

 ……可愛い子と、一緒にいるのかな。

 考え始めると、胸の奥が少しだけざわついた。

「じゃあ、またな」

「おう」

 拓実が同級生たちと別れる。

 私たちのところへ戻ってくると、友達も一緒に歩き出した。

「久しぶりに会えてよかったね」

「うん。懐かしかった」

 拓実が笑う。

 その横顔を見ながら、私はさっきの言葉を思い出していた。

 ――大学でも相変わらずモテてる?

「瑠夏?」

「……なに?」

「さっきから、なんか静かじゃない?」

「そう?」

「うん」

 拓実が私の顔を覗き込む。

「もしかして、ヤキモチ?」

「……違うもん」

「ふふ」

「笑わないで」

「ごめん」

 そう言いながら、拓実は嬉しそうだった。

 その様子を見ていた友達が、突然笑った。

「拓実先輩、余裕ですね」

「え?」

「瑠夏がヤキモチ焼いてるの分かって、嬉しそう」

「ちょっと!」

 私は慌てて友達を見る。

「だって、拓実先輩ばっかり余裕なの、なんか悔しいじゃん」

 友達がニヤッと笑った。

「じゃあ、拓実先輩にも聞いてみよ」

「何を?」

「体育祭のハチマキ交換のこと」

「えっ……」

「瑠夏、何人から申し込まれたんだっけ?」

「言わなくていいって!」

 友達は楽しそうに笑う。

「結構いたよね?」

 拓実の表情が変わった。

「……何人?」

「ほら」

 友達が笑う。

「拓実先輩も気になるんじゃないですか?」

「……うん」

 拓実が私を見る。

「瑠夏、本当に何人?」

「……えっと」

 私は思い出しながら、指を一本ずつ折っていく。

「一人……二人……それから……」

「……もういい」

 拓実が、私の手をそっと握った。

「え?」

「それ以上聞いたら、俺、本当に余裕なくなりそう」

「……ふふ」

 思わず笑ってしまう。

「何笑ってんの」

「だって……」

 さっきまで私のことを笑っていたくせに。

 今度は拓実がヤキモチを焼いている。

 それが、なんだか嬉しかった。

「拓実先輩、瑠夏のことになると余裕なくなるんですね」

 友達が笑う。

「……うるさい」

 拓実が少し照れたように笑う。

「瑠夏のことになると、仕方ないだろ」

 胸が、きゅっとなる。

 拓実はそのまま、握った私の手を離さなかった。

 むしろ――

 指を絡めるように、しっかりと握り直した。

「……拓実?」

「ん?」

「手……」

「嫌?」

「……嫌じゃないけど」

「じゃあ、このまま」

 そう言って、何でもないことのように歩き出す。

 だけど。

 その横顔は、さっきまでとは少し違っていた。

 余裕たっぷりに笑っていた拓実が、今は私の手をしっかり握っている。

 まるで、

 ――俺の彼女だから。

 そう言っているみたいだった。

 友達が、そんな私たちを見て笑う。

「じゃあ、私たち先に行ってるね」

「え?」

「まだ見たいところあるし」

「ちょっと……」

「ゆっくりしてきて」

 そう言って、友達はもう一人の友達と一緒に、人混みの中へ消えていった。

「……行っちゃった」

「うん」

 二人きりになる。

「大学のこと、気にしてた?」

「……ちょっとだけ」

「俺がモテるかどうか?」

「……うん」

 拓実が笑う。

「そんな心配しなくていいよ」

「でも……」

「俺が好きなのは、瑠夏だから」

 まっすぐに見つめられる。

「俺の彼女は、瑠夏だけ」

「……私も」

「ん?」

「拓実が好き」

 拓実の目が、優しく細められた。

「知ってる」

「……もう」

「だって、顔に書いてある」

「書いてないもん」

「書いてるよ」

 そう言って笑ったあと、拓実は私の肩を抱いた。

「……拓実?」

「ん?」

「みんな見てるよ」

「いいよ」

「でも……」

「俺の彼女なんだから」

 さらっと言われて、胸が跳ねる。

 拓実はそのまま、私を自分のほうへ引き寄せた。

「高校では、まだ俺がいない時間のほうが長いだろ?」

「……うん」

「だから」

 少しだけ声を落とす。

「俺の知らないところで、変な男に近づかれたら困る」

「……ふふ」

「何?」

「拓実、やっぱりヤキモチ焼いてる」

「焼いてるよ」

 今度は迷わず認めた。

「瑠夏のことだから」

 そう言って、私の額に軽く唇が触れる。

「……っ」

「これで分かるだろ」

「何が?」

「瑠夏には彼氏がいるってこと」

 拓実が笑う。

 いつもの余裕のある笑顔。

 だけど、私を抱く腕だけは、ほんの少し強かった。

「……俺の彼女だから」

 耳元で囁かれて、胸がいっぱいになる。

 私も、拓実の腕の中で小さく笑った。

 高校最後の文化祭。

 拓実と一緒に過ごせるだけで、特別な一日になっていた。

 夕方。

 文化祭も終わり、校内から少しずつ人が減っていく。

「楽しかったね」

「うん」

「最後の文化祭、満喫できた?」

「できた!」

 拓実と並んで歩く。

 昇降口へ向かおうとしたとき、ふと足を止めた。

「……あ」

「どうした?」

「忘れ物した」

「教室?」

「うん」

「じゃあ、取りに行こう」

「ごめんね」

「いいよ」

 二人で教室へ戻る。

 さっきまで賑やかだった校舎は、少しずつ静かになっていた。

 教室の扉を開ける。

 誰もいない。

 私は自分の机へ向かい、忘れていたものを手に取った。

「見つかった?」

「うん」

 振り返る。

 その瞬間――

 ふと、あの日のことを思い出した。

 日直だった私が、教室に残っていた日。

 拓実が、迎えに来てくれた。

 瑠夏と一緒に帰りたかったから。

 そう言って。

 あの日、拓実は私にキスをしようとした。

 でも私は――

 「……待って」

 そう言ってしまった。

 拓実も、私の表情に気づいたみたいだった。

「……覚えてる?」

「……うん」

「ここで、俺……止められた」

「……うん」

 拓実が、一歩近づく。

 私は、思わず一歩後ろへ下がった。

 もう一歩。

 また一歩。

 背中に、壁が触れた。

 拓実の顔が近づく。

「今度は……大丈夫?」

 胸が大きく鳴る。

 私は小さく頷いた。

「……うん」

 拓実の腕が、私の横の壁につく。

 逃げ道を塞ぐような仕草なのに、不思議と怖くない。

 むしろ――

 今は、この距離が嬉しい。

 拓実の指が、そっと私の頬に触れる。

「……可愛い」

「……恥ずかしいよ」

「なんで?」

「だって……」

 拓実が少し笑う。

「俺は、今の瑠夏が一番好き」

「……拓実」

「大好き」

「……私も」

 拓実の顔が近づいてくる。

 今度は、止めなかった。

 目を閉じる。

 唇が重なる。

 ほんの一瞬。

 それなのに、胸の奥まで熱くなる。

 離れた拓実が、私を見つめる。

「……瑠夏」

「……なに?」

「大丈夫?」

「……うん」

 私は自分から、拓実の服をそっと掴んだ。

「……もう一回」

「え?」

「……キス」

 拓実が、一瞬だけ目を見開く。

 それから――

 嬉しそうに笑った。

「……うん」

 もう一度、唇が重なる。

 今度は、さっきより少しだけ長く。

 拓実の腕の中で、私は目を閉じた。

 文化祭の最後に残った教室。

 誰もいない静かな場所で、私は拓実の胸にそっと顔を寄せた。

「……幸せ」

「俺も」

 拓実の声が、すぐそばで聞こえる。

 その腕に包まれながら思った。

 高校最後の文化祭。

 きっと私は、ずっと忘れない。

 拓実と過ごした、この一日を。