君のとなり〜拓実と〜

 お盆が明けた頃。

 私は病院にいた。

 インターハイが終わってからも、右足に少しだけ違和感が残っていた。

 大会前から感じていたものだった。

 でも、もう新体操は引退した。

 だから、そのうち治るだろうと思っていた。

 診察を待っていると、スマホが震えた。

 画面を見る。

 拓実からだった。

『元気?』

 たった一言なのに、拓実の顔が浮かぶ。

 すぐに返事をしようとした。

 でも、そのとき診察室から名前を呼ばれた。

 私は既読だけをつけて、スマホをバッグにしまった。

 診察を受ける。

 右足の状態を確認してもらい、念のためMRIを撮ることになった。

 待合室に戻り、スマホを見る。

 拓実からのメールが残っている。

 私は慌てて返信した。

『すぐに返事できなくてごめんね』

『今、病院にいて、これから検査なの』

『また後で連絡するね』

 送信。

 すぐに返信が来た。

『え? 病院?』

『なんで?』

『大丈夫?』

 私は画面を見つめた。

 やっぱり心配させちゃった。

 でも、私自身もまだ何も分からない。

 私はスマホをバッグにしまった。

 その頃、拓実はスマホを握ったまま、落ち着かない時間を過ごしていた。

 病院。

 検査。

 その言葉だけが頭から離れない。

 病気なのか。

 どこか悪いのか。

 何の検査なんだ。

 何度スマホを見ても、瑠夏からの連絡はない。

 以前、「大事な話がある」と言われたときもそうだった。

 あれ以来、瑠夏からのメールには、どうも身構えてしまう。

 今回だって、瑠夏は何気なく送っただけなのかもしれない。

 それでも、拓実には気が気じゃなかった。

 私は右足のMRIを撮った。

 検査を終えて、再び診察室へ入る。

 先生から結果を聞く。

「中足骨に疲労骨折が見られます」

 新体操の練習による繰り返しの負荷が原因だと思われること。

 歩けているため、今は保存的な治療で大丈夫なこと。

 一か月から二か月くらいで良くなる見込みだということ。

 説明を聞き終える。

「分かりました」

 思っていたより大変なことではなかった。

 もう部活は引退している。

 しばらく安静にしていればいい。

 私はそう思った。

 病院を出て、拓実にメールを送る。

『検査終わったよ』

 すぐに返信が来た。

『どうだった?』

『足の甲の骨が、疲労骨折してたみたい』

『……骨折?』

『うん』

『でも、歩けるし、手術もしなくていいって』

『一か月から二か月くらいで良くなるみたい』

 少し間を置いて、私は続けた。

『大会の前から、ちょっと違和感があったんだ』

『だから、テーピングしてた』

『……大会のとき、右足にしてたよな』

『気づいてた?』

『気づくよ。瑠夏のことだもん』

 その言葉に、胸が少し温かくなる。

『でも、大会が終わるまでは言わないって決めてた』

『最後だったから』

『そっか』

 少しして、拓実からまたメールが届く。

『でも、本当に大丈夫?』

 私は画面を見ながら、少し考えた。

『大丈夫じゃないかも……』

『え?』

『夏休みの宿題……大ピンチ』

『……そっち?』

『うん』

『まだ結構残ってる』

『インターハイ終わったらやろうと思ってたんだもん』

『じゃあ、安静にしてる間に頑張らないとな』

『そうなの』

『でも、無理するなよ』

『分かってる』

 私はスマホを見ながら笑った。

 きっと拓実は、まだ心配している。

 でも、大丈夫。

 そんなに心配しなくてもいいのに。

 そう思った。

 少しして、また拓実からメールが届いた。

『練習のときにしてた膝は?』

『あぁ、あれ?』

『うーん……忘れた!』

『忘れたって……』

『だって、もう大丈夫だもん』

 私は笑った。

 拓実はきっと、呆れながら笑っている。

 でも――。

 拓実の頭には、インターハイが終わったあとのことが浮かんでいた。

 一緒に夕食を食べた。

 夜の街を歩いた。

 公園にも行った。

 ホテルまで送った。

 あのとき、瑠夏の右足に疲労骨折があるなんて知らなかった。

 知らなかったとはいえ、結構歩かせた。

 もう少し気をつければよかった。

 拓実は、ほんの少しだけ後悔した。

     *

 二学期が始まった。

 放課後。

 教室に残っていた友達も、次々と帰っていく。

「じゃあね、瑠夏」

「うん。また明日」

 手を振って、笑う。

 みんながいなくなった教室で、私は鞄を持った。

 いつもなら、この時間から部活だった。

 着替えて。

 体育館へ行って。

 音楽をかけて。

 みんなと練習する。

 それが、ずっと当たり前だった。

 でも。

 今日は、どこにも行かない。

 私はしばらく、教室の中に立っていた。

 窓の外から、運動部の声が聞こえる。

 ボールを追う音。

 走る足音。

 掛け声。

 私はその音を聞きながら、鞄を肩にかけた。

 帰ろう。

 そう思った。

 けれど、足は廊下へ出ても、家には向かわなかった。

 階段を上る。

 気づけば、屋上の扉の前に立っていた。

 扉を開ける。

 夏の終わりの風が、頬を撫でた。

 私は、いつものベンチに腰を下ろした。

 隣を見る。

 誰もいない。

 少しだけ、笑ってしまった。

 ここで拓実とお弁当を食べた。

 くだらない話をして。

 笑って。

 夜には、後夜祭の花火を一緒に見た。

 あのときの横顔を思い出す。

 唇に触れた感触まで、まだ覚えている。

 雨の日には、ここで一人で泣いた。

 それでも、次の日になれば新体操があった。

 練習があった。

 大会があった。

 そして、拓実と帰る時間があった。

 私は、もう一度隣を見る。

 やっぱり、誰もいない。

 新体操も、もうない。

 拓実も、いない。

 そう思った瞬間。

 胸の奥に、ぽっかりと空いたものを感じた。

 思っていたより、大きい。

 私は膝の上で手を組んだ。

「……私、何にもなくなっちゃった」

 ぽつりとこぼれた声が、風に消える。

 少しだけ俯く。

 そして、隣の空いた場所を見つめた。

 今、会いたい。

 顔が見たい。

 声が聞きたい。

 ただ、それだけだった。

「……拓実に会いたいな」