君のとなり〜拓実と〜

 会場へ着いたのは、まだ朝だった。

それなのに、もう暑い。

照りつける太陽と、遠くから聞こえてくる蝉の声。
全国から集まった選手たちが、会場へ吸い込まれるように入っていく。

インターハイ。

ここまで来るために、何度も練習してきた。

そう思うと、胸の奥が少しだけ震えた。

会場の前まで来ると、見慣れた姿が目に入った。

「あっ……!」

コーチだ。

「コーチ!」

駆け寄る。

「来てくれたんですね!」

「当たり前じゃない! あなたの勇姿、ちゃんと見に来たわよ」

「ありがとうございます!」

嬉しくて、自然と笑顔になる。

すると、コーチの顔が少し引き締まった。

「最後で雑にならないこと。疲れてくると身体が縮むから、最後までしっかり伸ばして」

「はい!」

「今日が最後よ。胸を張って、楽しんできなさい」

「はい!」

力強く返事をした。

会場の中へ入ると、顧問の先生がいた。

「瑠夏は32番目だから、まだだいぶ時間があるわね」

「はい!」

「焦らなくていいからね。招集がかかったら声をかけるから」

「お願いします」

瑠夏は椅子に腰掛けた。

しばらく、何もせずにフロアを見つめる。

全国から集まった選手たちが、次々と演技をしている。

ここで、私も演技をする。

そう思うと、また少しだけ緊張した。

ふーっ。

ゆっくり息を吐く。

そして、小さく呟いた。

「よし」

気持ちを切り替える。

右足首にテーピングを巻き、演技の準備を始めた。

しばらくすると、見慣れた顔が次々と見えてきた。

「瑠夏先輩ー!」

「みんな!」

部員たちが笑顔で駆け寄ってくる。

「来てくれたの?」

「来ますよー! 全国大会ですよ?」

「応援するって言ったじゃないですか!」

「でも、遠いのに……」

「そんなの関係ないです!」

「瑠夏先輩の演技、絶対見たいもん!」

「ねー!」

みんなが口々に言うから、思わず笑ってしまう。

「ありがとう!」

「瑠夏先輩、緊張してます?」

「ちょっとだけ!」

「えー、瑠夏先輩でも緊張するんだ!」

「するよ!」

「じゃあ、私たちがいっぱい応援します!」

「うん、お願い!」

「任せてください!」

みんなで笑い合う。

いつもの部活みたいで、なんだかホッとした。

そのとき――。

「あ!」

一人の後輩が、私の後ろを見て声を上げた。

「拓実先輩だ!」

「えっ、どこどこ?」

「ほら、あそこ!」

「ほんとだ!」

「相変わらずカッコいい……」

「瑠夏先輩、彼氏さん来てくれたんですね!」

「えっ……」

急にみんなの視線が私に集まる。

「ちょっと、みんな!」

「だって気になるじゃないですかー!」

「もう!」

恥ずかしくなって笑っていると、拓実がこちらへ歩いてきた。

「おはよう」

「おはよう、拓実」

目が合う。

拓実が小さく笑う。

私も笑い返した。

「大丈夫?」

「うん!」

その一言だけで、不思議と緊張が軽くなる。

「瑠夏先輩、頑張ってくださいね!」

「うん! 頑張る!」

みんなの笑顔を見ていると、自然と元気が出てきた。

その少し後――。

「瑠夏!」

聞き慣れた声がする。

振り向くと、お父さんとお母さんが立っていた。

「お父さん、お母さん!」

「頑張ってね」

「うん!」

まさか、両親まで来てくれるなんて。

嬉しくて、自然と笑顔になる。

今日、頑張ろう。

みんなが来てくれたんだから。

最高の演技を見せたい。

やがて、私の出番が近づいてきた。

招集がかかる。

「瑠夏、行ってらっしゃい」

顧問の先生が声をかけてくれる。

「はい!」

立ち上がる。

心臓が、少し速くなる。

だけど、不思議と怖くない。

観客席を見る。

部員のみんな。

お父さんとお母さん。

そして、拓実。

みんながいる。

それだけで、大丈夫だと思えた。

名前が呼ばれる。

私は、ゆっくりとフロアへ向かった。

中央に立つ。

深く息を吸う。

会場が静まり返る。

その瞬間――。

「瑠夏先輩! ファイトー!」

後ろから、聞き慣れた声が飛んできた。

「頑張ってー!」

私は振り返らない。

だけど、自然と笑顔になった。

そして――。

音楽が流れ始める。

身体を動かす。

一つ一つの動きを、丁寧に。

音楽を感じながら、身体を伸ばしていく。

手具を受け取る。

投げる。

追う。

身体の軸をぶらさない。

練習してきた動きを、一つずつつないでいく。

音楽が進むにつれて、身体も大きく動いていく。

そして――。

アチチュード。

片脚で身体を支え、もう一方の脚を後方へ大きく引き上げる。

その形に入った瞬間、背後から落ちてきたボールを、腰と引き上げた脚で挟み込む。

――キャッチ。

決まった。

次の動きへ。

身体を伸ばす。

回る。

跳ぶ。

最後まで、絶対に気を抜かない。

音楽が終わる。

最後のポーズ。

静止。

一瞬の沈黙のあと――。

会場いっぱいに拍手が広がった。

私はゆっくりと顔を上げる。

大きな拍手。

その中に、みんなの声も混じっている。

観客席を見ると、部員たちが笑顔で拍手している。

お父さんも、お母さんも。

そして、拓実も。

まっすぐ私を見ながら、嬉しそうに拍手していた。

胸がいっぱいになる。

終わった。

ちゃんと、最後までできた。

私は小さく息を吐いた。

そして――。

ひときわ大きな歓声と拍手が、観客席から響いた。

「瑠夏先輩ー!」

「最高ー!」

私は思わず笑顔になった。

その頃――。

拓実の隣に、一人の男が腰を下ろした。

「お久しぶりです、先輩」

「翔! 来てたのか」

「はい」

拓実が翔を見る。

翔は、まだフロアのほうを見ていた。

「瑠夏、すごかったですね」

「ああ」

拓実が少し笑う。

「本物の妖精みたいだろ?」

「はい。可愛かったです」

「だな」

二人の間に、短い沈黙が落ちる。

やがて翔が口を開いた。

「先輩、去年俺、先輩に瑠夏が好きだって言いましたよね」

「ああ。覚えてる」

「俺、体育祭の後、瑠夏に告白したんです」

拓実の目が、ほんの少し揺れた。

「まぁ、振られましたけど」

翔は苦笑する。

「中学の時は好きだったって。でもそれは、中学の時に終わった初恋だったって言われました」

拓実は、黙って翔を見る。

あの日。

瑠夏が泣いていた理由が、今になって分かった。

「俺、中学の頃から瑠夏が頑張ってきたの、ずっと見てきたんです」

「……うん」

「だから、最後まで見届けたかった」

拓実は、静かに頷いた。

「じゃあ、俺、帰ります」

「瑠夏に会っていかなくていいのか?」

翔は、一度だけフロアのほうへ視線を向けた。

少し離れた場所に、瑠夏の姿が見える。

けれど――。

「いいんです。会わずに帰ります」

「……そうか」

「はい」

翔が立ち上がる。

「ありがとうございました、先輩」

「ああ」

それだけ言って、翔は歩き出した。

振り返らなかった。

そして――。

すべての演技が終わり、結果発表の時間になった。

フープとボールの合計点で、順位が決まる。

発表された結果を、私は息を止めて見つめた。

一つずつ名前を追っていく。

そして――。

自分の名前を見つけた。

8位。

「……8位」

思わず、声が漏れた。

全国で、8位。

嬉しい。

もちろん、もっと上を目指したかった気持ちもある。

だけど――。

ここまで来られた。

最後まで、自分の演技をやり切った。

それが、今は嬉しかった。

振り返る。

そこには、拓実がいる。

目が合う。

「おめでとう」

その笑顔を見た瞬間、私も笑った。

夏の蝉の声が、会場の外から聞こえていた。

今年の夏を、私はきっと忘れない。