君のとなり〜拓実と〜

 お正月の朝。

「瑠夏、こっち向いて」

「うん」

 母が、私の帯を整えてくれる。

 鏡に映っているのは、いつもの制服姿じゃない私。

 淡い色の着物に袖を通して、髪もいつもより少しだけ丁寧にまとめてもらった。

「どう? 苦しくない?」

「大丈夫」

「そう。じゃあ、これでいいわね」

 母が満足そうに笑う。

「今日は拓実くんと?」

「……うん」

 少し照れながら答えると、母も嬉しそうに笑った。

「楽しんできなさい」

「うん」

 母は、私が拓実を好きなことを知っている。

 そして、ずっと応援してくれている。

 だから余計なことは何も聞かない。

 ただ、私の背中をそっと押してくれる。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 玄関を出る。

 冷たい空気が頬に触れた。

 でも、今日は少しだけ心が軽かった。

 あの日から、少し時間が経った。

 あれほど苦しかった「関東」という言葉も、今は少しだけ違って聞こえる。

 もちろん、離れたくない。

 その気持ちは、今も変わらない。

 だけど――。

 拓実には、拓実の未来がある。

 私にも、私の未来がある。

 それでも私たちは、今までだって毎日会えていたわけじゃない。

 部活で会えない日もあった。

 拓実が勉強で忙しい日もあった。

 そんな日は、メールをした。

 電話もした。

 だから。

 離れることが怖くても。

 会えないことが寂しくても。

 それだけで、すべてが終わるわけじゃない。

 少しずつ。

 ほんの少しずつだけど。

 私は、そう思えるようになっていた。

 * * *

「瑠夏」

「拓実」

 待ち合わせ場所で拓実を見つけた。

 私に気づいた拓実が、足を止める。

「……」

 何も言わずに、私を見ている。

「拓実?」

「……ごめん。ちょっと見惚れた」

「え……」

 思いがけない言葉に、頬が熱くなる。

「着物、すごく似合ってる」

「……ありがとう」

「いつもと違うから、なんか新鮮」

 拓実が、少し照れたように笑う。

「すごく綺麗だよ」

「……そんなに言われると、恥ずかしい」

「だって、本当にそう思ったから」

 胸が、きゅっとなる。

 拓実が手を差し出した。

「行こうか」

「うん」

 その手を取る。

 並んで歩き始める。

 いつものように歩いているつもりだった。

 でも――。

 少しすると、拓実の歩く速度がゆっくりになっていることに気づいた。

「拓実、なんか歩くの遅くない?」

「そう?」

「うん」

 拓実が私を見る。

「瑠夏に合わせてる」

「……私?」

「着物だと、いつもみたいには歩けないだろ」

 さらっと言って、また歩き出す。

 私はその横顔を見つめた。

 歩幅まで、私に合わせてくれている。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 拓実が笑う。

 その自然な優しさが、胸に沁みた。

 * * *

 神社に着くと、たくさんの人で賑わっていた。

 二人でお参りをして、それから境内をゆっくり歩く。

「拓実、合格祈願のお守り買おうよ」

「うん」

 二人でお守りが並ぶ場所へ向かう。

「これがいいんじゃない?」

 私が一つのお守りを指差す。

「これ?」

「うん。拓実が持ってたら、きっと大丈夫」

 拓実が少し笑った。

「じゃあ、これにする」

「うん」

 拓実がお守りを手に取る。

 小さな袋を見つめながら、私は心の中で願った。

 どうか。

 拓実が、無事に合格しますように。

 そして――。

 この先も、ずっと一緒にいられますように。

 * * *

 初詣のあと。

「寒くない?」

「ちょっとだけ」

「じゃあ、暖かいところ行こう」

 拓実が連れて行ってくれたのは、近くのカフェだった。

 店内は暖かくて、外とは別世界みたいだった。

 二人で向かい合って座る。

 温かい飲み物がテーブルに置かれる。

「……落ち着くね」

「うん」

 しばらく、他愛のない話をしていた。

 でも。

 拓実がふっと表情を変えた。

「瑠夏」

「ん?」

「進路のこと、ちゃんと話したい」

 胸が少しだけ緊張する。

「うん」

 拓実がカップに視線を落とす。

「関東の大学のこと」

「前から決めてたんだよね?」

「ああ」

「そっか」

 私は、少し笑った。

「拓実らしいね」

「……怒ってない?」

「怒ってないよ」

「本当に?」

「うん」

 私は、少しだけ息を吐いた。

「私ね……最初に聞いたときは、すごく怖かった」

 拓実が黙って私を見る。

「関東って聞いて、急に遠く感じたの」

「……」

「卒業したら拓実が学校からいなくなることは分かってた。でも……会えなくなるっていうのは、ちゃんと考えてなかった」

「瑠夏……」

「だから、あの日は……どうしていいか分からなくなった」

 そこまで言って、私は少し笑った。

「でも、今は少し考えられるようになった」

「……うん」

「離れたくないよ」

 拓実の目を見る。

「今でも、離れたくない」

 拓実の表情が、少し揺れる。

「でも……拓実が頑張りたいって思ってることなら、私も応援したい」

「瑠夏……」

「だって、今までだって会えない日があったでしょ?」

「うん」

「そんな日はメールしたり、電話したりしてた」

「……そうだな」

「だから……会えなくなることが怖くても、それだけで離れてしまうわけじゃないのかなって」

 言葉にしてみると、自分の中でも少しずつ整理されていく。

「もちろん、寂しいと思う」

「俺も寂しいよ」

「……うん」

「関東に行ったって、俺だって瑠夏と離れたいわけじゃない」

 拓実が、まっすぐ私を見る。

「俺も、怖い」

「拓実も?」

「ああ」

 少し照れたように笑う。

「瑠夏が寂しがるのも分かってたし……俺だって、今みたいに会えなくなるのは嫌だから」

 胸の奥が、じんと熱くなる。

「……そっか」

「だから、ちゃんと話したかった」

 拓実がテーブルの上に手を置く。

 私はその手に、自分の手を重ねた。

「頑張ってね、拓実」

「うん」

「私、応援する」

「ありがとう」

 指が絡む。

 その温かさを感じながら、私は笑った。

 まだ不安はある。

 寂しさだって消えたわけじゃない。

 それでも。

 少しずつでいい。

 私たちなりに、未来を考えていけばいい。

「ねえ、拓実」

「ん?」

「お守り、ちゃんと持っててね」

「もちろん」

「合格したら……一番に教えて」

「ああ」

 拓実が笑う。

「約束」

「約束」

 窓の外には、冬の空。

 その向こうに、まだ見えない未来が待っている。

 怖くないと言えば、嘘になる。

 それでも私は――。

 拓実と一緒に、その未来を見ていきたいと思った。