君のとなり〜拓実と〜

 十二月の朝。

 吐く息が、白くなる。

 いつものように、拓実と並んで学校へ向かっていた。

「寒いね」

「寒いな」

 そんな何気ない会話。

 昨日までと何も変わらない朝。

 私はそう思っていた。

「瑠夏」

「ん?」

 拓実が、少しだけ私を見る。

「ちょっと話しておきたいことがある」

「なに?」

 拓実は、ほんの少し間を置いた。

「俺、関東の大学を受ける」

「……関東?」

「ああ」

 その言葉を聞いても、私はすぐには何も感じなかった。

「前から考えてたんだ」

「そうなんだ……」

 拓実が頷く。

「受験もあるし、これから忙しくなると思う」

「うん」

 私は笑った。

「頑張ってね、拓実」

「ありがとう」

「私、応援してるから」

 拓実が、ほっとしたように笑った。

 その笑顔を見て、私も笑う。

 大丈夫。

 そう思っていた。

 拓実が卒業することは、ずっと分かっていた。

 三年生なんだから。

 春になれば、この学校からいなくなる。

 それは、最初から分かっていたこと。

 だから、寂しくなるんだろうなって。

 そう思っていただけだった。

 でも――。

 教室に入って、授業が始まって。

 黒板を見ながら、ふと朝の言葉を思い出す。

 関東。

 その二文字が、頭から離れない。

 ノートを取りながら、考える。

 関東って……どれくらい遠いんだろう。

 大学へ行ったら。

 拓実は、そこに住む。

 卒業したら、この学校では会えなくなる。

 それは分かっている。

 でも。

 学校じゃなくても、会えると思っていた。

 放課後に会って。

 一緒に帰って。

 休日にも会って。

 今までみたいに、普通に会えると思っていた。

 なのに。

 関東。

 その言葉を頭の中でもう一度繰り返す。

 ――会えなくなる。

 その現実が、突然目の前に現れた。

「……」

 ペンを持つ手が止まる。

 胸の奥が、きゅっと痛くなる。

 拓実は、自分の未来をちゃんと考えている。

 頑張ってきたことも知っている。

 だから、応援したい。

 拓実には、行ってほしい。

 夢を叶えてほしい。

 分かってる。

 分かっているのに――。

 心が、ついてこない。

 授業が終わっても。

 次の授業になっても。

 気づけば、また拓実のことを考えている。

 もし、本当に関東へ行ったら。

 私はどうなるんだろう。

 そんなことばかり考えてしまう。

 「行かないで」

 そう言ったら。

 拓実は困るよね。

 自分で決めた未来なのに。

 私のために、諦めるなんてことをしてほしくない。

 だから。

 ちゃんと応援しなきゃ。

 笑って、

「頑張って」

って言わなきゃ。

 それなのに。

 胸の奥にある気持ちは、消えてくれない。

 離れたくない。

 拓実と、離れたくない。

 その気持ちだけが、どんどん大きくなっていった。

 * * *

 放課後。

「瑠夏、また明日ね」

「うん。また明日」

 友達と別れる。

 笑って手を振る。

 その姿が見えなくなった瞬間。

 私は小走りになった。

 廊下を曲がる。

 階段を上る。

 それでも足は止まらない。

 小走りが、少しずつ速くなる。

 早く。

 早く、一人になりたい。

 今は誰にも顔を見られたくない。

 心が、もう耐えられなかった。

 気づけば、私は走っていた。

 階段を駆け上がる。

 息が苦しい。

 胸が大きく上下する。

 それでも止まれない。

 屋上の扉を開けた。

「……っ」

 冷たい風が頬を打つ。

 誰もいない。

 私はその場に立ったまま、何度も息をした。

 苦しい。

 胸が痛い。

 どうして、こんなに苦しいんだろう。

「……拓実……」

 名前を呼んだだけで、涙が溢れた。

「応援……したいのに……」

 声が震える。

「拓実には……頑張ってほしいのに……」

 涙が頬を伝う。

「……行かないでなんて……言えないよ……」

 拓実を困らせたくない。

 拓実の未来を邪魔したくない。

 だから、応援する。

 そう決めたいのに。

「……離れたくない……」

 その言葉が、こぼれた。

 そのとき。

 ぽつ。

 頬に、冷たい雨粒が落ちた。

 空を見上げる。

 灰色の雲から、雨が落ち始めていた。

 でも、私は動かなかった。

 雨は少しずつ強くなっていく。

 制服が濡れる。

 髪が濡れる。

 それでも、どうでもよかった。

「……どうしたらいいの……」

 声が震える。

 涙が止まらない。

「拓実……」

 もう一度、その名前を呼ぶ。

 そして――

 私はその場に膝から崩れた。

 冷たい雨に打たれながら。

 制服も、髪も濡らして。

 私は、声を押し殺して泣いた。

 拓実を応援したい。

 それなのに。

 どうしても、離れたくなかった。