君のとなり〜拓実と〜

 その数日後。

 私は、いつものように新体操の練習をしていた。

 今日は、新しい技に挑戦している。

 ボールを転がして、その動きに合わせて身体を回転させる。

 何度か繰り返すうちに、少しずつ形になってきた。

「もう一回……」

 そう思って、ボールを転がした。

 右足を踏み出した、その瞬間――

 ぐらっ。

「――きゃっ!」

 右足が、転がしたボールに乗ってしまった。

 身体のバランスが崩れる。

 次の瞬間――

 ごんっ。

 後頭部に、鈍い衝撃が走った。

「……っ」

 一瞬、息が止まった。

「瑠夏!」

「大丈夫!?」

 部員たちが駆け寄ってくる。

 私は床に横になったまま、ゆっくり目を開けた。

「……うん」

 意識はある。

 でも、頭の中が少しぼんやりしていた。

「どこ打ったの?」

「……頭」

 後頭部に手をやる。

 指先に触れたものを見て、私は目を瞬かせた。

「……血?」

「えっ、血が出てる!」

 髪を確認すると、頭につけていたピンが転倒した衝撃で当たったらしく、その部分から血が滲んでいた。

「ピンが当たったんだ」

「先生呼んで!」

 すぐに顧問の先生が駆けつける。

「瑠夏、意識ははっきりしてる?」

「はい」

「気持ち悪くない?」

「少しぼんやりします」

 先生の表情が変わった。

「念のため病院で診てもらおう。保護者にも連絡するから」

「はい」

 先生が傷口をタオルで押さえてくれる。

「右足首は?」

「……ちょっと痛いです」

 確認すると、右足首も少し腫れていた。

 私はそのまま、先生と一緒に病院へ向かうことになった。

 * * *

 病院で診察を受ける。

 後頭部の傷は、ピンが当たったことによる切創だった。

 傷の処置をしてもらい、頭を打っていることもあって、頭部の検査を受ける。

 結果を待っている間も、頭の奥が少し重い。

 やがて先生が戻ってきた。

「大きな異常はありません。軽い脳震盪ですね」

「……脳震盪」

 自分の口から、その言葉を繰り返す。

「今日は安静にしてください。しばらくは激しい運動も控えましょう」

「はい」

 右足首も診てもらう。

「こちらは軽い捻挫ですね。大きな問題はありません」

「よかった……」

 思わず息を吐いた。

 そのとき――。

「瑠夏!」

 聞き慣れた声がした。

 顔を上げる。

「……拓実?」

 廊下の向こうから、拓実が駆けてくる。

 少し息を切らしていた。

「大丈夫?」

「うん。もう診てもらったよ」

「頭、打ったって聞いた」

 拓実の声が、いつもより低い。

「切創と脳震盪。それと足首を少し捻ったみたい」

「……脳震盪?」

 拓実の顔が強張る。

「でも、軽いものだって。頭の検査も大きな異常はないって言われたよ」

「本当に?」

「うん」

 それを聞いて、拓実がようやく息を吐いた。

「……よかった」

 その声に、張り詰めていたものが滲んでいた。

「どうして病院にいるって知ったの?」

「友達から電話があった。顧問の先生から家に連絡が入ったって」

「それで、来てくれたの?」

「当たり前だろ」

 拓実が私を見る。

「瑠夏が怪我したって聞いて、じっとしてられなかった」

 胸が、きゅっとなる。

「……ありがとう」

「今日は絶対、無理しないで」

「うん」

 そのとき、診察室から母が出てきた。

「瑠夏」

「お母さん」

 母の視線が、私の隣にいる拓実へ向く。

「こちらは……?」

「私の彼氏。拓実」

 拓実が少し緊張したように姿勢を正す。

「初めまして。瑠夏さんとお付き合いさせてもらっています、拓実です」

「そうなのね」

 母が拓実を見て、柔らかく笑った。

「今日は来てくれたの?」

「はい。瑠夏が怪我したって聞いて……」

「そう。ありがとう」

「はい」

 拓実がまっすぐに答える。

 短い時間だったけれど。

 拓実と母が顔を合わせたことが、なんだか嬉しかった。

 * * *

 翌日。

 右足首を少しかばいながら、廊下を歩いていた。

 すると、向こうから翔が歩いてきた。

「瑠夏」

「翔」

 翔の視線が、私の足元に落ちる。

「……怪我したの?」

「うん。昨日、練習中に転んじゃって」

「頭も?」

「ちょっと切っちゃった。でも、もう大丈夫」

 翔が少し黙る。

「そうか……」

 そして、いつものようにぶっきらぼうな声で言った。

「無理するなよ」

「うん」

「新しい技とか、焦ってやるなよ」

「……わかってる」

「ほんとか?」

「ほんと」

 翔が、少しだけ安心したように笑う。

「ならいい」

 それ以上は何も言わなかった。

 昔なら、もっと近くまで来て、何かと世話を焼いてくれたかもしれない。

 でも今は――。

 翔は、私との距離をちゃんとわかっている。

 それが少しだけ寂しくて。

 でも同時に、翔らしい優しさだと思った。

「じゃあ、またね」

「ああ。気をつけて」

 翔と別れて、私はゆっくり歩き出す。

 昨日は拓実が病院まで駆けつけてくれた。

 今日は翔が、心配してくれた。

 私の周りには、私を大切に思ってくれる人がいる。

 そのことが、なんだか温かかった。