交際ゼロ日からの、契約結婚

 菜穂子から答えにくい質問を受けた耀太の浮気相手は、耀太以上にバツが悪い顔をすると思いきや、予想外の行動に出た。

「あら、可愛いじゃない」

 ニコッと挑戦的な笑みを浮かべた浮気相手は、見たところ菜穂子より年上。三十路前後の彼女は、どんな男も虜にしちゃう妖艶タイプではないが、仕事をバリバリこなすクールな美人だ。

 まるで取引先からのクレーム対応をしているような物怖じしないその態度は、菜穂子にとったら挑発行為でしかない。

 よろしい、ならば戦争だと臨戦態勢に入る菜穂子だが、耀太の浮気相手は余裕のある笑みを浮かべるだけ。

「ふふっ、若いっていいわね。こんなことで目くじら立てちゃって。安心してちょうだい、私は耀太とは割り切った付き合いだから、あなたから奪うつもりはないわ。そうでしょ?耀太」

 浮気相手から尋ねられた耀太は、「……あ、ああ……」と歯切れ悪く頷く。

「なぁ菜穂子、誤解なんだよ。美紀は紛らわしいこと言ってるけどさ、別に俺たちは──」
「今日の夕方、ホテル・ルージュから出てきたのも、誤解だっていうの?」
「え?……み、み、見てたん……だ?」

 わかりやすく狼狽える耀太とは対照的に、浮気相手こと美紀は肩をすくめただけだった。

「耀太があそこなら絶対大丈夫って言ってたんだけど、良く気づいたわね。あなた」
「おい、美紀!」
「いいじゃない、今更。そうよ、行ったわよ。それで?」

 ボルドー色のリップが塗られた美紀の唇が、意地悪く弧を描く。勝利を確信した女の笑みだ。

 菜穂子といえば、何も言い返せない。

「菜穂子、悪かったよ。でも、俺はお前一筋なんだ。ちょっと他の女と遊んだからって怒るなって。菜穂子はそういうことで怒る女じゃないだろ?古風で、楚々として、男を立てることができる女じゃないか。それに、ほら……指輪!お前、欲しいだろ?そろそろ買ってやるから機嫌直せって」

 ヘラヘラと薄笑いを浮かべながら早口でまくし立てる耀太は、自分が炎上確定の発言をしていることに気づいていない。

 ──私、こんな男を3年も好きだったんだ。

 友人から耀太を紹介された時、菜穂子はまだ大学生だった。

 半グレの父と、やんちゃな兄とはかけ離れた風貌と堀の深い顔立ちは、これぞまさしく大人の男と思わせた。

 学生時代、テニス部でインターハイを目指していたのもあって、耀太は年の割に引き締まった身体をしていた。自分を良く見せる服装だって、ちゃんとわかっていた。

 自分の知らない世界をたくさん知っている耀太に追いつきたくて、嫌われたくなくて、菜穂子は必死に彼が求める女性像を演じてきた。

 口喧嘩をした時だって、一度も素の自分を出したことはなかった。

 でもそれは、全て間違いだったことに気づかされた。

 耀太は、菜穂子のことを見下していた。結婚をチラつかせれば、言うことをきく女だと舐められていたのだ。

 最後の最後まで捨てきれなかった耀太への想いが消えた菜穂子は、口元に手を当てクスっと笑う。

「ねぇ、耀太さん。ご褒美的に指輪を買ってやるって言ってくれてるけどさ、それにどれほどの価値があるっていうの?」
「なっ……!」

 これまでの菜穂子とは到底思えない発言に、耀太はギョッとする。

「それと、ね」

 言葉を止めた菜穂子は、大股で一歩詰めると耀太の胸倉を掴んだ。美紀といえば、危機を察して素早く身を引いた。

「言い訳より、まずは謝罪が先でしょ!」
「ひぃ……!」
「それと私一筋なら、なんで他の女と遊ぶ?必要ないよね?怒るなって?はっ、怒りますけど?私が、そういうことで怒る女じゃない?誰が決めた?誰に許可取って決めつけた?答えて。それとも古風で、楚々とした女に謝る必要はないってこと?」

 怒涛の質問を投げつけた菜穂子は、耀太の胸倉から手を離すと、ゆっくり腕を組んだ。

「耀太さん、今の私って古風?楚々としてる?あなたの目が腐ってなければ、そんな風には見えないはずよね?」

 更に重ねた質問にも、耀太は何も答えなかった。