交際ゼロ日からの、契約結婚

「あー……ちょっと早いけど、会場行こうか。ここ寒いし……」

 下手くそか!と突っ込みを入れたくなるほど、菜穂子は強引に話題を変えた。

 そこに不満を持った航平は、眉間に皺を刻んで口を開こうとする。

 でもに言いたいことを飲み込んだ彼は、身体の向きを変えた。

「そうですね。行きましょう」

 航平が何を言いかけたのか気になるが、菜穂子は藪をつついて蛇を出す真似はしたくない。

「……う、うん!」

 とりあえず大きく頷いて、菜穂子は航平と肩を並べて歩き出す。しかし、航平の足はすぐに止まった。

「どうしたの?江上君」
「あ、言い忘れてたことがあって……」
「ん?なあに?招待状なら私が持ってるよ」
「そうじゃなくって!」

 急に大きな声を出されてビクッとなった菜穂子に、航平は苦い薬を飲んだような顔になって口を開いた。

「……早波さんの今日の恰好、なんかいいですね」
「あ、どうも」

 条件反射で、菜穂子はペコッとお辞儀をした。航平も釣られるように会釈を返す。

「じゃあ、行きましょっか」
「うん、行こうか」

 若干、二人の間に漂う空気が変なものになってしまったが、菜穂子はあえて深く考えずに会場へと向かった。

 受付を済ませた菜穂子と航平は、並んで会場に入る。

 いきなり主力商品のイメージキャラクターの等身大フィギュアに出迎えられ、度肝を抜かれてしまう。

 なるほど、これがゲームやアプリ開発をしている会社の祝賀会なのか。

 幾つも設置された大型モニターも、随分と値が張りそうだ。あとで、どんな映像が流れるのだろう。ちょっとワクワクしてしまう。

「……すっご」
「……すげぇ」

 同時に呟き、お互いの顔を見合わせる。そして同じタイミングでぷっと噴き出した。

「さすが柊木グループだね。規模が大きすぎて、一周回ってなんか緊張がほぐれちゃった」

 ふふっと菜穂子は笑いを零すが、航平は信じられないと言いたげに目を見開いた。

「え?柊木グループ?……まじっすか……。俺、そんなところと仕事してたんだ……」

 愕然とする航平だが、取引先の規模を知らずに仕事をしていた彼に、菜穂子はもっと愕然する。

「だから江上君……担当さんに修正依頼受けても、ズバズバ言い返してたんだ……」
「そぉっす」
「私てっきり、それが江上君のキャラだと思ってた」
「……真顔で何言ってるんですか?なんかすげー傷つくんですけど」

 航平からジト目で睨まれ、菜穂子は両手をパンッと合わせた。

「ごめん!江上君って、誤解を生みやすい性格なんだね。どう思ってたかは絶対口にできないけど、これからは思い込みで決めつけたりしないからっ」
「ここですぐ謝るのって、狡くないですか?」
「狡いのはわかってるけど、ここは年上の私に免じて許して!」

 勢いで押し切ろうとした菜穂子に、航平は冷めた視線を送る。

「それ、エイハラ」
「えー……エイハラになるぅ?なるかぁー……ごめん」
「あははっ」

 シュンと菜穂子が肩を落とした途端、航平は声を上げて笑った。

「いいですよ。許しますよ。今日の早波さんは綺麗なんで」
「お、ありがとう。じゃあ、仲直りしたし、美味しいもの食べよっか」
「……うわぁ、食い意地凄いっすね」

 ドン引きした航平に少しだけ苛立った菜穂子だけれど、聞こえないふりをして歩き出す。

 本当のところ、食欲なんてない。でも食べて飲んで、くだらない話でもしていないと気持ちが落ち着かないのだ。

 なにせここは、柊木グループのホテル。去年の秋、このラウンジで真澄と打ち合わせした。その後、真澄にプロポーズされ、菜穂子は真澄を好きになってしまった。

 始まりの場所と言っても過言ではないここは、菜穂子にとって感慨深い場所であり、どうしても真澄のことを考えてしまう困ったところでもある。

「何食べよっかなぁー、やっぱまずはお酒だよね。こういう時は、シャンパンから飲むのがマナーかな」
「まず、ウコンからじゃないですか?」
「確かに!」

 菜穂子のくだらない独り言に、航平は律儀に返してくれる。このことを所長に伝えたら、きっと喜ぶだろう。稲富と渡辺が驚く顔も、目に浮かぶ。

 そんなことを考えながら会場奥の立食スペースに移動していた菜穂子の足が、突然止まった。

「うわ、最悪……!」

 場所も状況も忘れ、菜穂子は巨大な毛虫を目にしたような顔つきになってしまう。

 なぜなら視界の先に、元カレ──五十嵐耀太がいたからだ。