交際ゼロ日からの、契約結婚

「一旦外に出よう」

 安堵したのもつかの間、真澄は伝票をもって立ち上がる。

 どうやら周囲の視線が気になるらしい。

「……ごめんなさい。私が変な質問したせいで……」
「謝らなくていいけど、次からはそういう質問はしないでくれ」
「うん。ちゃんと場所を考えてから発言する」
「そうじゃない。菜穂ちゃんから、をされるのが嫌なんだ」
「?……うん。わかった」

 頷きながら、菜穂子は「そういう質問とは、どういう質問なんだろう」と疑問に思う。でも真澄に尋ねても、答えてくれないような気がする。

 元旦から営業しているカフェは少ないのか、店内は混雑している。当然、レジ前にも列ができてる。

 入店する人と、会計を終えて帰る人が絶えず行き来しているので、ドアは開いたまま。入口前にあるレジ付近の室温は、外気温と変わりがない。

「菜穂ちゃん、寒いから先に車に行ってて」

 ストールを巻きなおしている菜穂子に、真澄は車のキーを渡す。

「いいよ。待ってるよ」
「いいから。ちゃんとヒーター入れて、温まってるんだぞ」
「……はーい」

 強引に車のキーを押し付けられ、菜穂子はしぶしぶ受け取る。

 普通に渡されたけれど、真澄の愛車は高級車だ。元カレの耀太は大の車好きで、中古の大衆車といえど、他人に触らせることを極端に嫌っていた。無論、菜穂子にも。

 そんな過去があるせいで、菜穂子は躊躇っているのだが、真澄は「早く行け」と目で訴えてくる。

 混んでいるとはいえ、会計を終える時間なんてたかが知れているのに。この程度の寒さで、体調を崩すほどヤワな体じゃないのに。

「……大事にされすぎでしょ?私」

 思わず口にした言葉は、真澄の耳には届かなかったけれど、菜穂子の心には小さな欠片となって残ってしまった。

*

 会計を終えた真澄は、菜穂子に行く先を告げずに車を走らせる。

 ハンドルを握る真澄の横顔は硬い。純玲の話を、どう切り出そうか悩んでいるのかもしれない。

「純玲さんと、まあ君ってさ、いわゆる親同士が決めた許嫁って感じなの?」
「っ……!み、瑞穂が……そう言ったのか?」

 取り乱してこちらを向こうとする真澄に、前を向けと菜穂子は指をさす。

「違うよ。瑞穂ちゃんは何も言ってない。私が勝手にそうなのかな?って思っただけ。で、正解?不正解?」
「……正解だ」
「うわぁ、お坊ちゃま!今時、あるんだ。そういうヤツ」
「食いつくところは、そこかよ」

 苦い顔になる真澄には申し訳ないが、本当にそれが一番の感想だ。

「菜穂ちゃんは、さ」
「うん?」
「軽蔑したりしないのか?婚約者がいたのを隠してプロポーズした俺のこと」
「まさか。しないよ!」

 そんな質問をする方が、よっぽどイラっとする。

「まあ君は智穂さんのことが好きで、純玲さんとは結婚したくなかったんでしょ?純玲さんと結婚しちゃったら、家のことは純玲さんがやるから智穂さんは、まあ君の家政婦ではいられなくなる。だから智穂さんを引き留めるために、私と結婚した。そういうことでしょ?」
「……まぁ、ああ……」

 歯切れ悪く頷く真澄は、多分、明け透けに自分の計画を語られて恥ずかしいのだろう。

「なんかさ、私……デリカシーに欠ける発言をしたかも。ごめん」

 謝っても、真澄は何も言わない。チラッと盗み見たら、真澄は更に苦い顔になっていた。

 菜穂子はお喋りな性格というわけじゃないし、沈黙にさほど苦痛を覚えることもない。

 しかし自分の発言で沈黙が生まれ、かつそれが車内となると、流石に辛い。

「……えっとぉー、どうしたらこの空気を変えることができるか教えてって訊くのは図々しい?」

 恐る恐る尋ねた途端、真澄はぶはっと豪快に噴き出した。

「あははっははっ、なんだそれ」

 笑い声を出す真澄は、肩も、ハンドルを持つ手も震えている。

 自分の発言のどこが、彼の笑いのツボを刺激したのかわからないが、とにかく笑ってもらって何よりだ。

「純玲との婚約は、正確には俺の母親が一方的に決めた話だ。結納とか、そういうのはまだしてない」
「そっか。じゃあ純玲さんは自称婚約者ってことか」
「なるほど。上手いこと言うな」

 ふむっと頷いた真澄は、また小さく笑う。

 隣に座る菜穂子は、真澄が笑うたびに、なぜか心がウキウキしてしまう。

 だからもっと笑顔になってほしくて「智穂さんのこと、私は応援してる」と言いたくなるが、グッと我慢する。その話題に触れると、真澄が苦い顔をするからだ。

「ところで、まあ君。今、私の実家に向かってるの?」

 進む方向から推察して尋ねたら、真澄は「それでもいいが」と前置きして口を開く。

「菜穂ちゃんさえ良ければ、今日は俺に貸し切りになってほしいんだけど。駄目?」
「駄目じゃないよ。でもどこに行くの?自宅とは逆方向だけど……」

 車内の窓に目を向ける菜穂子に、真澄は「内緒」とクツクツ笑いながら言う。

 急にミステリーツアーが始まって若干の不安を覚える。でも──

(まぁ、いっか)

 真澄が楽しそうだし、嬉しそうな顔をしているので、菜穂子はシートに身体を埋め、身を任せることにした。