交際ゼロ日からの、契約結婚

 瑞穂を連れて柊木本家を出た菜穂子と真澄は、しばらく車を走らせ、目についたカフェに入った。

 そこで菜穂子は、厨房での出来事を真澄にかいつまんで説明した。

「──なるほど。そういうことだったのか」

 事の成り行きを理解した真澄は、納得した顔でコーヒーカップを持ち上げる。

「ほんと、事後報告になっちゃってごめんなさい」
「そういうことだから!すみ兄……なほ姉を怒ったりしないで」

 菜穂子と瑞穂に頭を下げられた真澄は、カップを置いてすごく嫌な顔をする。

「やめろ。俺が二人を虐めてるみたいじゃないか」
「……でも、すみ兄……怒ってるでしょ?」

 上目づかいで真澄を見つめる瑞穂の横顔は、キュンとなるほど可愛い。

 しかし真澄はこの美少女を普段から見慣れているのか、表情は変わらなかった。

「怒ってないと言ってるのがわからないのか?これ以上、謝るなら本気で怒るぞ」
「……でも顔は怒ってる」
「これが俺の地顔だ」
「そうなの?なほ姉?」
「え?わた、私に訊く!?」

 うっかり気を抜いていた菜穂子は、「あ……ええっと……」と呟きながら、真澄と瑞穂を交互に見る。

「ちょっと、すみ兄!なほ姉を困らせないでよ」
「困らせてんのは、お前だ。それ以前に、なほ姉ってなんだ?」
「すみ兄の奥さんなら、私のお姉ちゃんでしょ?なほ姉でいいじゃん」

 瑞穂の主張は正しい。しかし契約結婚中という事情を抱える身としては、くすぐったさと同時に罪悪感も持ってしまう。

「菜穂ちゃんは、こいつからそう呼ばれてもいいのか?」
「うん。嬉しいよ」

 素直な気持ちを口にすれば、真澄は「ならいいか」とあっさり納得する。

「っていうか、菜穂ちゃんってヤバイ」
「は?どういう意味だ」
「だって、ちゃん付けするなんて超ラブラブって感じ。カップラーメンのアドリブだって、愛がなきゃできないヤツじゃん」

 真澄と向かい合わせに座っている瑞穂は、両肘をテーブルについて前のめりになってニヤニヤする。

「それくらい普通にできるだろ?あと膝をつくな」
「えーできないよぅー。ね?なほ姉」

 また瑞穂に同意を求められて、菜穂子は曖昧に笑う。

 ラブラブでもないし、愛もないけれど、”厨房でカップラーメンを食べていた”という情報だけで、あれほどのアドリブができた真澄はすごいと思う。

「……私、てっきり軽蔑されると思ってたな」

 事情を知らない真澄からしたら、菜穂子は人の家の厨房を漁るとんでもない女に見えただろう。それなのに、当たり前のように庇ってくれた。

 初めて会った時と同じように、無条件で菜穂子の味方をしてくれた。

「軽蔑?俺がそんなことするわけないだろ」

 心底馬鹿にするような目で言い放った真澄に、菜穂子はまた変な気持ちになってしまう。

 そんな菜穂子と真澄を見て、瑞穂はふふんっと笑う。

「ほぉーら、やっぱラブラブじゃん!」

 自分の発言が正しかったことを誇示するように、胸を張る瑞穂はとても可愛い。

 でも今は、ちょっと黙っててほしかった。

 ──ピコロン!ポコポコ。

 テーブルに置いてある瑞穂のスマホが、突然鳴った。二度聞きしたくなるような、個性的な着信音である。

「あ、ごめん。ツレから誘われたから、うち行くね」

 スイスイとスマホを操作しながらそう言った瑞穂に、真澄は怪訝な顔になる。

「元旦から誘うなんて……誰だ?」
「ん?クラスの子。この近くでカラオケしてるから、おいでって」
「異性もいるのか?」
「異性って……あはっ、すみ兄おやじかっ。そんなわけないじゃん。うち女子校だよ?女の子しかおらんし」
「なら余計に──」
「もうっ、大丈夫だから!うちの学校にやんちゃする子なんていないこと知ってるでしょ?それよりもさ」

 ここで会話を区切った瑞穂は、真澄に両手を出した。

「すみ兄ぃー、コート着忘れちゃったから寒い!あと財布もないから、お小遣いちょーだい」

 今日一番の笑顔を向ける瑞穂に、真澄はあからさまに溜息を吐く。

「幾らだ?」
「ん?ええっとー、あるだけ!」
「ふざけるな」

 そう言いながらも真澄は上着の内ポケットから財布を取り出し、数枚の札をテーブルに置く。

 続くように菜穂子も、お年玉として財布から札を抜いて、真澄の置いた札に重ねた。