交際ゼロ日からの、契約結婚

「もはや才能だな」
「お役に立てて光栄です」

 早波一家は酒豪だが、その中でも菜穂子は群を抜いて強い。家族からドン引きされる酒好きを褒めてもらえて、菜穂子の頬が緩んでしまう。

「まだまだ全然いけますよ。でも……ちょっと、席を外していいですか?」
「どうし……あ、ああ。行ってこい」

 トイレに行きたいということに気づいた真澄は、菜穂子を見ずに顎をしゃくる。何を恥ずかしがってるんだか。

「すぐに戻ってきますけど、お酒を勧められたら真澄さんも、トイレに行くふりをしてくださいね。それが難しかったら──」
「大丈夫だから、早く行け」

 菜穂子の言葉を遮った真澄は、トンッと菜穂子の背中を押す。

「わかりました。急いで戻ってくるんで」
「ああ、わかった、わかった」

 もういいから、と言いたげに手をひらひら振る真澄に見送られ、菜穂子は宴会場を後にした。

 それから数分後──。

 トイレでスッキリした菜穂子だが、その顔色は腹痛を抱えているように青ざめている。

「……これはヤバいかもしれない」

 涼しい顔で真澄にお手洗い行くと告げた菜穂子だが、実はかなり限界だった。

 運よく通りがかった使用人に場所を聞いてダッシュで向かった菜穂子は、帰りの道順をちゃんと覚えておらず──迷子になってしまった。

「どうしよう……まぁ君、お酒飲まされてないかなぁ……」

 飲めない酒を勧められるのは、飲みたいのに飲ませてもらえないのと同じくらい辛いと思っている菜穂子は、一刻も早く真澄の元に戻りたい。

 それなのに使用人は見つからないし、勘で進んでみた結果、更に迷ってしまった。

 菜穂子は柊木家にとって、招かれざる客だ。それなのに、本家内を不必要にウロウロしていては、要らぬ誤解を与えてしまう。そうなると、真澄にも迷惑がかかってしまう。

 こういう時、足を止めて一度気持ちを落ち着かせるのが最善なのだが、焦る菜穂子は更に奥へと進んでしまい、厨房の前で足を止めた。

「あのぉー……あっ……!」

 人の気配を感じて暖簾をくぐった菜穂子だが、小さく声を上げたまま固まってしまった。

 黒髪ロング、前髪ぱっつん、くっきり二重の十代後半の美少女が、厨房の隅で隠れるようにカップラーメンを食べていたのだ。

「……あなた、誰?」

 麺を飲み込んだ美少女は、そう問いかけながらギロリと菜穂子を睨んだ。

 その鋭い目つきに、菜穂子は既視感を覚える。

「えっと……菜穂子です。あなたは、まぁ君……じゃなかった。真澄さんの妹さん?」
「へぇ、すみ兄(にい)って、奥さんに”まぁ君”って呼ばれてるんだ。ウケる」

 カップラーメンを持ったまま立ち上がった真澄の妹は、菜穂子にニヤリと微笑む。その笑い方も、真澄にそっくりだ。

 さすが日本屈指の大財閥。美男美女揃いで、絵に描いたような華麗なる一族だ。

 などと一瞬、どうでもいいことを考えてしまった菜穂子だが、真澄の妹がここにいることに心がザワリとする。

 新年の宴の席は、すべて埋まっていた。宴会場に入った時、真澄の父──重矩は妻の美佐枝がいないことを気にしていたが、娘については触れなかった。

 菜穂子は政治や経済について、さほど詳しくはない。離婚するのが確定しているから、柊木家についても深く知るべきじゃないと思っていた。

 でも、皆がご馳走を食べている時に、一人寂しくカップラーメンを食べている少女を見過ごすわけにはいかない。

「それ、ちょっと貸してくれるかな?」
「は?ちょ……ちょっと!」

 許可なくカップラーメンを取り上げた菜穂子は、勝手に冷蔵庫を開ける。そして卵黄と、とろけるチーズを、カップラーメンに突っ込んだ。

「はい、どうぞ。食べてみて」
「……」
「毒なんて入ってないよ」
「……」
「私流のアレンジなんだけど、味は保障するから。ほら、早く。麺が伸びちゃうよ!」

 早波家で定番のアレンジをしたカップラーメンを、真澄の妹は根負けした表情で受け取った。そして、ほんの少しだけ、麺をすする。

「……美味しい」

 信じられないといった顔をする真澄の妹に、菜穂子はニコッと笑う。

「気に入ってもらえて良かった、嬉し。で、あなたの名前は?」

 菜穂子に問いかけられた真澄の妹は、少し間を置いてから口を開いた。

「……私、瑞穂」
「瑞穂ちゃん……美少女にピッタリの綺麗な名前だねぇ」
「別に普通だよ」

 菜穂子が思ったままを口にすれば、瑞穂は憎まれ口を叩く。けれどその口元は、ほんのりと弧を描いていた。