交際ゼロ日からの、契約結婚

「でも智穂さんって、見た目は40代前半ですね。肌もすんごく綺麗ですし」
「あら、ありがとう。ところで真澄さんと私のこと理解してくれたのに離婚するって……どういうことなのか、もうちょっと詳しく教えてもらえる?」

 話題を変えようとしたら、もっとエグイ話題になってしまった。

「詳しくといっても……結婚しよう。ただし一年後に離婚するって真澄さんから提案されたんで、本人に訊いてもらった方がいいと思います」
「あんの、バッ……あ、いえ。真澄さんがそう言ったってことね?間違いなく?」

 今、智穂は一瞬「馬鹿」と言いかけなかったか?と菜穂子は気になったが、とりあえず「そうです」と頷いた。

「真澄さんとは戸籍上では夫婦ですが寝室は別です。これまで一度も彼のベッドを使ったことないし、私のベッドも使われたことはないです。きっと別居婚とかするべきなんですが、私も親に結婚報告をした身なので……って、智穂さん大丈夫ですか?」

 身の潔白を証明するために菜穂子が語れば語るほど、智穂はオロオロし、最終的に顔を覆って蹲ってしまった。

「……菜穂子さん、えっとね……何ていうか、多分……その……勘違いしてるわ」

 しばらくして智穂は、そう言いながらノロノロと顔をあげた。

「勘違いですか?」

 キョトンとする菜穂子に、智穂は力いっぱい頷く。

「そう!私と真澄さんは、菜穂子さんが思っているような関係じゃないの。そりゃあ長い付き合いだし、菜穂子さんが誤解するのも無理はないけど、本当に、全然、誓って!私と真澄さんの間には何もないの」

 力説してくれたのに悪いが、菜穂子は真澄からはっきり言葉にして言われてる。

 好きな人がいる。その人を引き留めたいから結婚してくれと。

 とはいえ、智穂が嘘を吐いてるようにも思えない。

 つまり、結局は、真澄のただの片想いということになる。

「真澄さんがどんなことを言ったかわからないけど、私は一度だって真澄さんを異性としてみたことはないわ。だいたい親子ほど歳が離れてる相手に──」
「やめてくださいっ」

 早口でまくし立てる智穂を菜穂子は鋭い声で遮った。

「智穂さんの気持ちはわかりました。でも真澄さんが智穂さんと同じ気持ちとは限りません」

 やばっ、言い過ぎたかも。と、内心菜穂子は冷汗をかく。

 だが契約結婚とはいえ、夫を侮辱されたまま黙っているわけにはいかない。

「真澄さんは生半可な決意で私と結婚したわけじゃないです。だって離婚すれば男女ともに戸籍に傷がつくんですから。それでも契約結婚しようとした真澄さんの覚悟は本物です。だから……」

 ──だから、もう少し真澄さんに心を傾けてください。

 その言葉を吞みこんだ菜穂子は、深く頭を下げた。

「ごめんなさい。言い過ぎました」
「ううん、謝らないで。私こそもう少し言葉を選ぶべきだったわ」

 菜穂子が顔を上げると、智穂は心底申し訳ない顔をしていた。

「私はもともと柊木本家の使用人なの。真澄さんはね、色々あって幼い頃に私の実家で過ごしたことがあるの。それが縁で、今もこうして彼の傍にいるだけ」
「……そうだったんですか」
「ええ。すぐにお伝えできなくてごめんなさい」
「と、とんでもないですっ」

 慌てて首を横に振った菜穂子に、智穂はふふっと肩の力を抜いて笑う。

 でもすぐに、表情を曇らせた。

「本当はもっと詳細を語りたいんだけど、私から柊木家の内情を喋るのはちょっとアレだから……」

 日本屈指の大財閥に、クリーンじゃない部分があるといっても菜穂子は驚かない。ド庶民の早波家だって、色々あるし、色々あった。

 でもこの説明では、真澄が智穂に片想いをしていないという証明にはならない。

 女同士で腹を割って話をすれば、真澄と智穂はもっと距離が縮まると思っていた。それなのに柊木一族のダークな一面を垣間見ただけだった。

「難しいですね、とっても」

 ──人の心というのは。

 ポツリと呟いた菜穂子に、智穂は「そうね」と言って頷く。なんだか、彼女に似合わない疲れきった声だった。

 窓ガラスに、ポツポツと雨粒が当たる。外は本格的に雨が降り出していた。

 それでも、おもむろに立ち上がった菜穂子は智穂に外出する旨を告げ、外に出る。

 今は一人になりたかった。