王子様になりたい ~王子様の恋愛指南~

 入社して半年。ついに営業成績でトップに立った。

「齋藤さん、おめでとうございます」

 部署内チャットが公開された瞬間、藤島さんが私のもとへ駆け寄ってきた。
 周囲の邪魔にならないよう、控えめな音で拍手までして祝ってくれる。
 これまで何度も営業成績の上位に入ってきた私にとって、どんな順位であろうと心の動くものではなかった。
 けれど、彼女だけは違う。
 私がどんな結果を出したときも、まるで自分のことのように喜んでくれるのだ。

「せっかくの記念日です。一緒にご飯へ行きませんか」
「っ……」

 一瞬、喉が詰まってしまう。
 周囲は私のことを「王子様」と評している。
 そのおかげか、上司や営業先、さらには異性まで、様々な人から食事を誘われた。
 しかし……彼らの誘いには常に何かしらの裏が含まれていた。
 完璧な存在への妬みや嫉み、王子様という肩書きへの打算、下心。
 今回は、何を求められているのか。
 そう疑ってしまうほど、今の私は人から純粋な好意を向けられることに慣れていなかった。

「難しい、ですかね……?」

 藤島さんから、不安そうな表情で見つめられてしまう。
 期待の眼差しを向けられてしまえば何とも断りづらい。
 それに、いまだ先輩方との間に壁を感じている中で、彼女との関係だけは不思議なほど変わらなかった。
 藤島さんにとって、私は「同期」であり、「尊敬する人物」。
 そこには打算も下心もない。
 ただ、まっすぐな尊敬と親しみだけがある。
 その裏表のない感情に、私は何度も救われていた。
 だから、私は藤島さんを信じたい。

「あぁ、ぜひご一緒させてほしい」
 
 会社の最寄り駅にある、赤ちょうちんが目印の大衆居酒屋。
 奥の座敷に二人で座れば、さっそくジョッキハイボールが届いた。

「改めて、齋藤さんの営業成績一位を祝して乾杯!」

 カラン、とジョッキ同士のぶつかる音が響いた。
 普段は真面目な彼女が、勢いよくお酒を口に含んでいく。
 その飲みっぷりは見ていて気持ちよく、つい観察してしまう。
 しばらくお酒を楽しんでいれば、酔いのまわった藤島さんから仕事の悩みが漏れ始めた。

「取り引き先と会話が続かなくて……。どうやったら齋藤さんみたいに聞き上手になれますか」

 彼女の悩みへ真摯に答えれば、藤島さんは安心しきったように目元を緩めた。

「ありがとうございます。……齋藤さんに相談して良かったです」

 少しだけ舌っ足らずな言葉には、やはり裏なんてなかった。
 私への尊敬の気持ちだけが込められた本音。
 ——少しずつ私の中で彼女が特別な存在になっていた。

 その後も、藤島さんとの会話を楽しんでいた。
 ……といっても彼女の相談に乗っていただけで、私自身はあまり話をしていない。
 それでも、まっすぐな言葉で綴られる彼女の話は非常に面白く、すらすらと耳に入ってきた。
 気づけば、閉店間際の時間。
 酔いが十分に回ったのか、藤島さんは頬を赤らめていた。
 そんな彼女に、払わせることはできない。
 それに、有意義な時間を過ごさせてくれたお礼も兼ねて、私が出すべきだ。
 長く伸びたレシートを手に取って、レジへ向かおうとする。

「……ダメです」

 藤島さんに裾を引っ張られた。
 掴まれた手を見下ろせば、彼女が眉をひそめていた。

「私たちは同期ですから、二人で払いましょう」
「私のことは、気にしないで。楽しい時間を作ってくれたお礼だから」

 さらに裾を引っ張られた。
 しかしその力は弱々しく、男の私では簡単に抜け出せてしまうだろう。

「どうしても、かな」
「どうしても、です」

 藤島さんは、ふくれっ面のまま手を離さない。
 どうやら彼女に譲る気はないらしい。

「ねぇ、齋藤さん。飲み会は今回が終わりではありません」

 とろんとした瞳には、私を逃がさないと言わんばかりの意志が込められている。

「これからも……同期二人で楽しい時間を作りましょう」

 追い打ちをかけるように、はっきりとした口調で言われてしまった。

「……っ、あはは!」

 堪らず、吹き出した。
 私を尊敬しながらも——あくまで対等な同期として接したい。
 なんて意地らしく……可愛らしいんだ。

「ありがとう。では、一緒に払おうか」

 私の返答に満足したのか、彼女が嬉しそうに頷いた。
 この温かな関係性が心地よい。
 願わくば、ずっと彼女の傍にいたい。
 そんな思いが、胸の奥で膨らんでいく。
「尊敬すべき人物」と「同期」という関係性を続ければ、これからも彼女の傍に居続けられるだろう。

 しかし——それでは満足できない。

 彼女と、同期という言葉では括れない関係になれたら。
 その先を想像すれば、自然と口角が上がる。
 私の中に、強い欲が生まれた瞬間だった。