朝の徒花

4-9.真相

「え?」
  
宮本さんの口から、間の抜けた声が出た。
彰将さんも怪訝そうに眉をひそめる。
ボクも妻の言葉を聞いてから手足がガタガタと震え続けて止まらない。
(一体全体、何を言い出しているんだ?) 
 
妻は、怯えるボクに冷徹な視線を向けながら、歌うような静かな声で語り始めた。
 
「宮本さんの言う通りよ。
仕事の不満や家庭の不安を、夫にぶつけたって何も解決しないわよね?
外に別のベクトルを作って、そこで『癒やし』を自給自足する。
だからこそ、家に帰った時に夫に優しくできるし、笑顔で梨だって剥けるのよ。
ねぇパパ、そうでしょ?」
 
『梨。』
その単語を聞いた瞬間、記憶が紐づいてしまい、ボクの顔は土色から白色へと確実に変わった。
リビングで「守るべき家族」に改めて気付き、宮本さんとの清算を決意するきっかけとなった、妻の剥いてくれたあの梨。
それが、別の意味を持って脳内で破裂した。
 
「パパってば、最近今まで興味のなかったゴルフ練習場に行ったり、朝五時半にコソコソ起きてSMSを返したりしてたわよね。
いつも私に後ろめたい顔をしていたわ。
でも、私は一度もパパを責めたことってなかったでしょ?
なぜだか分かる?」

奥さんはバッグから自分のスマートフォンを取り出すと、コン、とテーブルの真ん中に静かに置いた。
 
「私にもいるからよ。
パパと結婚して、ワンオペ育児に追われて一番辛くて不安な時期に、ずっと私を支えて、私の心を癒やしてくれている人が。
仕事ばかりで家にあまりいなかったパパの代わりに私の不満をずっと受け止めてくれていたの。
ずっとずっと前からね。
もちろん、一度だって不貞行為に至ったことはないし、あくまでも精神的な繋がりだけよ。」
 
喫茶店の空気が、完全に凍りついた。
 
「嘘だろ、嘘だと言ってくれ!」
 
突然のショックにボクは顔を覆い、子供のように声を上げて泣き崩れた。
自分が必死に「家族のために」と宮本さんを切り捨て、守ろうとした温かい家庭の平和。
それが、自分が裏切る遥か前から、妻の精神的不倫によって奇跡的に保たれていた「砂の城」だったと知ったことで、プライドも精神も跡形もなく粉々に砕け散っていくのがわかった。
宮本家の2人も、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ座席に縫い付けられている。
 
宮本さんの放った「二つのベクトルが必要」という歪んだ持論。
それは真理などではなく、ただの身勝手なエゴだと思っていた。
それなのに、まさか目の前の「愛すべき妻」が、とっくにそれを実践し、その正しさを証明していたなんて。
因果応報の不気味な円環が、ガチリと噛み合った。
 
泣き叫ぶボクと、絶望に目を伏せる宮本さんの旦那さん。
その中で、それぞれの妻たちだけが、どこか憑き物が落ちたような美しい笑顔でアイスコーヒーを啜っていた。