朝の徒花

4-5.切捨

「だから彰将さん、何も諦めなくていいの。
今まで通り、私を愛して。
そして、奈良さんとも、これまで通りでいさせて。」
 
悪びれる様子もなく、純粋に諭すように微笑む宮本さんを見て、ボクの背筋には凍りつくような戦慄が走った。
 
(正気じゃない。)
 
夫の手を握りしめたまま、その目の前で「これからも精神的不倫の関係を継続させてくれ」と涙ながらに懇願しているのだ。
世間一般的にはサイコパス寄り、などという生ぬるいものではない。
本気でそれが必要なことだと信じ込んでいる狂気。その圧倒的なエゴイズムに、ボクは心底ドン引きしていた。
 
元々、今日で清算するつもりだったのだ。
こんな状態は家族を裏切り続けていると気づき、今日はこんな関係は終わりにしないといけないと意志を固めてここへ来た。
こんな歪んだ考えを悪びれもせずに宣える女性には、今ここで、旦那さんの目の前でハッキリと言い切らなければ一生縁が切れない。
 
何より、横で「何を言っているんだ、こいつ」と絶望している旦那さんの存在が恐怖だった。
もしここでボクが曖昧な態度を取れば、先ほど彼が宣告した「家族への暴露」と「社会的抹殺」が即座に執行される。
このままではボクの本来守るべき、可愛い子供たちの未来まで奪われてしまう。
 
旦那さんへの配慮と、自分の家族を守るための必死の防衛本能が、ボクの口を動かした。
ボクは宮本さんから差し伸べられた視線を冷酷に跳ね除け、椅子の背に体を引いて、一際強い声で言い放った。
 
「ふざけないでくれ、宮本さん!
ボクは君の人生の道具じゃない!」
 
びくん、と宮本さんの身体が大きく跳ね上がった。涙で濡れた瞳が、信じられないというように私を凝視する。
 
「2つのベクトルなんて、そんな都合のいい言い訳が通用するわけがないだろう!
ボクはね、家族が大事なんだ。
最初は家に不満もあった。
でも、最近ではボクが変わることで妻も柔らかい時があるんだ。
妻がいて、子供たちがいて、あの温かい家庭を守るためなら、ボクはなんだってする。
君とはもう二度と会わないし、チャットも完全に断ち切るつもりで今日は来たんだ!」
 
ボクはわざと旦那さんにも聞こえるように、きっぱりと、しかしこれ以上相手を逆撫でしないよう言葉を選びながら、宮本さんに「正論」を突きつけた。
 
「君にだって、隣にいる彰将さんという素晴らしい旦那さんがいるじゃないか。
君の独り言に怯えながら、必死に家庭を守ろうとして、君のためにプライドを捨てて頭を下げてくれる。
こんなに君を愛してくれる人を、これ以上蔑ろにしちゃいけないよ。
目を覚ますんだ。」
 
それは、自分の保身をしつつ、宮本さんを悪者に仕立て上げて崖から突き落とすような切り捨て方だった。
 
「奈良さん? 嘘でしょ?」
 
100%自分の味方だと信じ込んでいたボクから、夫の目の前で完璧な拒絶を突きつけられた宮本さんは、みるみると顔をまっ白にさせていく。
 
彼女が必死に組み立てた完璧なバランスの「世界」を、ボクが内側から崩壊させていくのだった。