3-11.確信
最近、穂花が妙に早起きだ。
ベッドから抜け出す時間が以前より一時間近く早くなり、朝の洗面所に立つ彼女の横顔はどこか艶を帯びて機嫌が良さそうに見える。
だけど、おかしい。
ここ一週間、毎朝五時半になると、まだ薄暗い廊下の向こうから「ぴーん」という着信音が聞こえるようになった。
以前の俺なら、そんな小さな音には絶対に気づかなかっただろう。
そもそも、こんなに早い時間帯に起きていることなんてなかったからだ。
だが最近の俺は不思議なほど眠りが浅い。
夜十二時に目を閉じても、強迫観念に突き動かされるように朝の四時頃にはハッと目が覚めてしまう。
穂花が俺から離れてしまうのではないか、そんな考えが俺の脳をじわじわと侵食しているのだろう。
ストレス、の一言で片付けるにはあまりにも鋭い覚醒だった。
だからこそ、気づけた。
こんな5時台にくるゲームやアプリの通知なんかない、と。
有り得るのはSMSメッセージだけだ。
しかし、そのメッセージでもこんな朝早くから、毎日欠かさずくることも通常であれば有り得ない。
1回や2回なら仕事の連絡も有り得ただろうが。
こんな朝からメッセージをやり取りする相手。
普通の友人なわけがない。
だが、どれほど訝しんだところで、夫婦別室になっている穂花の部屋へ踏み込み、リアルタイムでスマホを引っ掴んで確認する術は今の俺にはなかった。 泳がせて、確実に証拠を掴まなければならない。
あの「記録ノート」に冷徹に事実を書き連ねながら、俺は牙を研ぐチャンスをじっと待っていた。
そして今日、そのチャンスは突如として訪れる。
夜の二十一時すぎ。
リビングの静寂を破って、穂花の会社支給のスマホから「ぴーん」という着信音が鳴り響いた。
音の出処は椅子の背もたれに掛けられた彼女の鞄の中だ。
そして今、穂花はお風呂に入っている。
浴室からは、ザーザーという規則正しいシャワーの音が聞こえていた。
彼女が出てくるまで少なくともあと十五分はあるだろう。
(今しかない。)
リビングに一人残されていた俺は音を立てずにソファーから立ち上がった。
椅子の前に佇み、穂花の鞄を見下ろす。
口が少しだけ開いた鞄の奥に会社用の黒いスマホが、液晶画面を上にして滑り込んでいた。
手を伸ばし、慎重にそれを取り出す。
指先を走らせてロックを解除しようとはしない。
そんなことをすれば、指紋認証やパスコードではじかれ、穂花に「誰かが触った」と一発で警戒されてしまうからだ。
不倫調査サイトで叩き込んだ鉄則が、俺の頭を冷徹にコントロールしていた。
俺が狙ったのは、液晶のトップ画面だ。
画面を軽くタップすると、バックライトが点灯し、通知センターが浮かび上がる。
そこには、送り主の名前と、メッセージ冒頭の最初の数文字が隠しようのない現実として表示されていた。
『奈良さん:急だけど、近いうちに会いたい』
心臓の奥が、冷たいナイフで突き刺されたように激しく脈打った。
奈良。
あの穂花の元上司にあたる男。
「会いたい」
間違いない。
俺は、確信した。
二人の関係は、俺のいない場所で、確実に次の段階へと加速している。
俺は自分のスマートフォンをポケットから取り出し、カメラのアプリを起動した。
手ブレしないよう脇を締め、穂花のスマホの通知画面を、ファインダー越しにカシャカシャと静かに撮影する。
日付、時間、送り主、そして文面。
完璧な記録だ。
だが、撮影を終えてスマホを鞄の元の位置に戻したとき、俺の脳内に黒い焦燥感が広がっていった。
いつ会うのか、どこで会うのか。
通知の最初の数文字だけでは、肝心なその情報が全く分からない。
「会いたい」ということは、近いうちに密会が行われるということだ。
尾行して不貞行為の現場を押さえるべきか?
いや、俺には仕事がある。
いつ、どこにあるかも分からない待ち合わせのために、会社を休んで彼女を四六時中尾行し続けるような時間も体力もない。
泳がせるだけでは、決定的な瞬間を取りこぼす。
どうする。
何か、確実に二人の動向を事前に察知する手段はないのか。
浴室のシャワーの音が止まった。
穂花が上がってくる。
俺は足早にソファーへ戻り、何事もなかったかのようにタブレットの画面に視線を落とした。
「どうにかして確認したい、どうすればいい。」
そう考えを巡らせるうちに頭の中ではその考える手管が違法行為にまで及び次第にひとつの考えに固まっていく。
(仕方ない、盗聴しよう。)
俺を裏切り続けているだろう妻と、その裏側でコソコソと逢瀬に勤しむ男。
二人の声を、密会の内容をこの手で確実に掴み取るために。
俺は、ついに狂気の一歩を踏み出すことを決意した。
最近、穂花が妙に早起きだ。
ベッドから抜け出す時間が以前より一時間近く早くなり、朝の洗面所に立つ彼女の横顔はどこか艶を帯びて機嫌が良さそうに見える。
だけど、おかしい。
ここ一週間、毎朝五時半になると、まだ薄暗い廊下の向こうから「ぴーん」という着信音が聞こえるようになった。
以前の俺なら、そんな小さな音には絶対に気づかなかっただろう。
そもそも、こんなに早い時間帯に起きていることなんてなかったからだ。
だが最近の俺は不思議なほど眠りが浅い。
夜十二時に目を閉じても、強迫観念に突き動かされるように朝の四時頃にはハッと目が覚めてしまう。
穂花が俺から離れてしまうのではないか、そんな考えが俺の脳をじわじわと侵食しているのだろう。
ストレス、の一言で片付けるにはあまりにも鋭い覚醒だった。
だからこそ、気づけた。
こんな5時台にくるゲームやアプリの通知なんかない、と。
有り得るのはSMSメッセージだけだ。
しかし、そのメッセージでもこんな朝早くから、毎日欠かさずくることも通常であれば有り得ない。
1回や2回なら仕事の連絡も有り得ただろうが。
こんな朝からメッセージをやり取りする相手。
普通の友人なわけがない。
だが、どれほど訝しんだところで、夫婦別室になっている穂花の部屋へ踏み込み、リアルタイムでスマホを引っ掴んで確認する術は今の俺にはなかった。 泳がせて、確実に証拠を掴まなければならない。
あの「記録ノート」に冷徹に事実を書き連ねながら、俺は牙を研ぐチャンスをじっと待っていた。
そして今日、そのチャンスは突如として訪れる。
夜の二十一時すぎ。
リビングの静寂を破って、穂花の会社支給のスマホから「ぴーん」という着信音が鳴り響いた。
音の出処は椅子の背もたれに掛けられた彼女の鞄の中だ。
そして今、穂花はお風呂に入っている。
浴室からは、ザーザーという規則正しいシャワーの音が聞こえていた。
彼女が出てくるまで少なくともあと十五分はあるだろう。
(今しかない。)
リビングに一人残されていた俺は音を立てずにソファーから立ち上がった。
椅子の前に佇み、穂花の鞄を見下ろす。
口が少しだけ開いた鞄の奥に会社用の黒いスマホが、液晶画面を上にして滑り込んでいた。
手を伸ばし、慎重にそれを取り出す。
指先を走らせてロックを解除しようとはしない。
そんなことをすれば、指紋認証やパスコードではじかれ、穂花に「誰かが触った」と一発で警戒されてしまうからだ。
不倫調査サイトで叩き込んだ鉄則が、俺の頭を冷徹にコントロールしていた。
俺が狙ったのは、液晶のトップ画面だ。
画面を軽くタップすると、バックライトが点灯し、通知センターが浮かび上がる。
そこには、送り主の名前と、メッセージ冒頭の最初の数文字が隠しようのない現実として表示されていた。
『奈良さん:急だけど、近いうちに会いたい』
心臓の奥が、冷たいナイフで突き刺されたように激しく脈打った。
奈良。
あの穂花の元上司にあたる男。
「会いたい」
間違いない。
俺は、確信した。
二人の関係は、俺のいない場所で、確実に次の段階へと加速している。
俺は自分のスマートフォンをポケットから取り出し、カメラのアプリを起動した。
手ブレしないよう脇を締め、穂花のスマホの通知画面を、ファインダー越しにカシャカシャと静かに撮影する。
日付、時間、送り主、そして文面。
完璧な記録だ。
だが、撮影を終えてスマホを鞄の元の位置に戻したとき、俺の脳内に黒い焦燥感が広がっていった。
いつ会うのか、どこで会うのか。
通知の最初の数文字だけでは、肝心なその情報が全く分からない。
「会いたい」ということは、近いうちに密会が行われるということだ。
尾行して不貞行為の現場を押さえるべきか?
いや、俺には仕事がある。
いつ、どこにあるかも分からない待ち合わせのために、会社を休んで彼女を四六時中尾行し続けるような時間も体力もない。
泳がせるだけでは、決定的な瞬間を取りこぼす。
どうする。
何か、確実に二人の動向を事前に察知する手段はないのか。
浴室のシャワーの音が止まった。
穂花が上がってくる。
俺は足早にソファーへ戻り、何事もなかったかのようにタブレットの画面に視線を落とした。
「どうにかして確認したい、どうすればいい。」
そう考えを巡らせるうちに頭の中ではその考える手管が違法行為にまで及び次第にひとつの考えに固まっていく。
(仕方ない、盗聴しよう。)
俺を裏切り続けているだろう妻と、その裏側でコソコソと逢瀬に勤しむ男。
二人の声を、密会の内容をこの手で確実に掴み取るために。
俺は、ついに狂気の一歩を踏み出すことを決意した。
