2-15.詰め手
奈良さんから貰った薄いピンクのボールペンを、私は自室でニコニコと眺めていた。
本当に幸せ。
自分の中で、彼への気持ちがどんどん高まっていくのが分かる。
今の私は、ちょっとした些細なことでも、一つ一つが嬉しくてたまらない。
例えば、血液型が同じAB型だったこと。
読書や絵画鑑賞といった、他の人とはなかなか共有できないディープな趣味に共通点を見出し、どこまでも会話を深められること。
それに趣味以外でも、奈良さんはIQやEQ、MBTIなど、私の知らない雑学を豊富に持っていて、会話の中で惜しみなくそれを提供してくれるから、一緒にいて全く飽きがこない。
13歳という年齢の差は、お金の面でも、そして何より心の面でも、圧倒的な大人の余裕を感じさせてくれた。
私は、ベッドに寝転びながら冷静に自分を振り返る。
(推しが尊すぎて、独占したい……)
けれど、今の安定した生活や彰将さんとの結婚生活を捨てるつもりなんて、私にはこれっぽっちもなかった。
彰将さんのことが嫌いになったわけではないのだ。
ただ、今の彼が物足りない、というだけ。
結婚に至った理由も「優しいから」だった。
その彼に心の余裕が無い今、私は必要な心の栄養を外に求め、自分の精神的な安定を保っているだけ。
そう結論付けた私は、ベッドの上で思考を巡らせた。
(なら、私たちの関係のゴールはどこにしよう?)
離婚でもない、肉体関係でもない。私の望むゴールは明確だった。
―― 精神的不倫。セカンドパートナー。
肉体ではなく、奈良さんの「心」が欲しい。
彼にとって、私を唯一無二の特別な存在にしたい。
そう決めた私は、さっそく奈良さんの心に決定的な揺さぶりをかけることにした。
8月12日。
奈良さんは利益計画の報告のため、私のいる事業所へ出張で来る。
私はあらかじめ二人きりになれる会議室を予約し、仕事の相談という名目で彼を呼び出した。
「お疲れ様です。
お忙しい中、お時間を割いてもらってすみません。
あっ、そうだ奈良さん。
ほら、いただいたボールペン、ちゃんとここにありますよ!」
制服の胸ポケットに差した薄いピンクのペンを指差して見せると、奈良さんは少し視線を泳がせながら、「ありがとう」と照れくさそうに笑った。
その初々しい反応を確認してから、私は一転して、少し困ったような、悲しげな表情を作ってみせる。
「それで……実は奈良さんにとって、少し残念なお知らせがあります。」
「えっ?」
「最近、旦那さんが、奈良さんと会うのが多すぎない? って言うんです。」
奈良さんの表情が一瞬で強張った。
その表情から私には彼の脳裏を、裁判や離婚、泥沼の不倫劇といった最悪のワードがよぎり、激しく動揺しているのが透けて見えるようだ。
私は泳ぐ獲物を逃さないよう、慎重に、しかし確実に言葉を紡ぐ。
「ゴルフ以外でも、食事とかよく会ってましたしね。
それで私も、『やましいことなんて何も無いよ。私も会いたいと思って会っているの。一回もダメだってなると寂しいな。』って話をしていて、今、落とし所を調整中なんです。」
「そ、それは……旦那さんと喧嘩になっているの?」
奈良さんは、恐る恐る確認するように、ゆっくりと聞いてきた。
「喧嘩にはなっていませんよ。
ただ、旦那さんは、奈良さんに私の気持ちが傾いていっているんじゃないかって、不安だったみたいで……。
そんなことないのに。
旦那さんと奈良さんは、別々の『特別』なのにね。
私は旦那さんしか知らないから、もし捨てられたら居場所が無くなっちゃうのに……。
でも、奈良さんと会えなくなると、私はまた、心が弱くなりそうです。」
消え入るような声で、縋るように彼を見つめる。
私の目論見通り、奈良さんは猛烈な申し訳なさと、私への愛おしさが混ざり合ったような顔で、深く頭を下げた。
「ボクが安易に誘ったせいで…。
本当にごめん。
最近、ボクも家庭内で孤立感があったせいか、君がボクのことを必要としてくれるたびに、気持ちが高揚して調子に乗っていたんだと思う。君が不幸になることだけは、ボクも絶対に望んでいないからね。
今時点では、ボクは旦那さんとの話し合いの結果を待つしかないけれど…この件について、ボクで良ければいくらでも相談してほしい。」
(かかった――。)
心の中で、確かな手応えを感じた。
彼は否定せず、結果を待つという。
半年ほど前の彼ならきっと「それなら今後会うことはやめよう」と絶対に言っていた。
実際にモーニングコールは奈良さんの自己防衛本能が危機感を覚えてことで絶たれたのだから。
なら、彼の心の中で私は切り捨てられないほど存在が大きくなっているはずだ。
彰将さんとの話し合いはとうに終わっていて、「月1回のお酒の席」という大義名分をすでに手に入れている。
でも、まだ奈良さんには秘密だ。
彼にギリギリの焦燥感と「君を支えたい」という義務感、そして家庭の孤独を埋めてくれる私への執着を限界まで高めさせてから伝えたい。
「ありがとうございます。
奈良さんにそう言ってもらえるだけで、救われます。」
私は胸ポケットのピンクのペンにそっと手を触れながら、泣き出しそうな、しかし最高に愛らしい笑顔を彼に向けてみせるのだった。
奈良さんから貰った薄いピンクのボールペンを、私は自室でニコニコと眺めていた。
本当に幸せ。
自分の中で、彼への気持ちがどんどん高まっていくのが分かる。
今の私は、ちょっとした些細なことでも、一つ一つが嬉しくてたまらない。
例えば、血液型が同じAB型だったこと。
読書や絵画鑑賞といった、他の人とはなかなか共有できないディープな趣味に共通点を見出し、どこまでも会話を深められること。
それに趣味以外でも、奈良さんはIQやEQ、MBTIなど、私の知らない雑学を豊富に持っていて、会話の中で惜しみなくそれを提供してくれるから、一緒にいて全く飽きがこない。
13歳という年齢の差は、お金の面でも、そして何より心の面でも、圧倒的な大人の余裕を感じさせてくれた。
私は、ベッドに寝転びながら冷静に自分を振り返る。
(推しが尊すぎて、独占したい……)
けれど、今の安定した生活や彰将さんとの結婚生活を捨てるつもりなんて、私にはこれっぽっちもなかった。
彰将さんのことが嫌いになったわけではないのだ。
ただ、今の彼が物足りない、というだけ。
結婚に至った理由も「優しいから」だった。
その彼に心の余裕が無い今、私は必要な心の栄養を外に求め、自分の精神的な安定を保っているだけ。
そう結論付けた私は、ベッドの上で思考を巡らせた。
(なら、私たちの関係のゴールはどこにしよう?)
離婚でもない、肉体関係でもない。私の望むゴールは明確だった。
―― 精神的不倫。セカンドパートナー。
肉体ではなく、奈良さんの「心」が欲しい。
彼にとって、私を唯一無二の特別な存在にしたい。
そう決めた私は、さっそく奈良さんの心に決定的な揺さぶりをかけることにした。
8月12日。
奈良さんは利益計画の報告のため、私のいる事業所へ出張で来る。
私はあらかじめ二人きりになれる会議室を予約し、仕事の相談という名目で彼を呼び出した。
「お疲れ様です。
お忙しい中、お時間を割いてもらってすみません。
あっ、そうだ奈良さん。
ほら、いただいたボールペン、ちゃんとここにありますよ!」
制服の胸ポケットに差した薄いピンクのペンを指差して見せると、奈良さんは少し視線を泳がせながら、「ありがとう」と照れくさそうに笑った。
その初々しい反応を確認してから、私は一転して、少し困ったような、悲しげな表情を作ってみせる。
「それで……実は奈良さんにとって、少し残念なお知らせがあります。」
「えっ?」
「最近、旦那さんが、奈良さんと会うのが多すぎない? って言うんです。」
奈良さんの表情が一瞬で強張った。
その表情から私には彼の脳裏を、裁判や離婚、泥沼の不倫劇といった最悪のワードがよぎり、激しく動揺しているのが透けて見えるようだ。
私は泳ぐ獲物を逃さないよう、慎重に、しかし確実に言葉を紡ぐ。
「ゴルフ以外でも、食事とかよく会ってましたしね。
それで私も、『やましいことなんて何も無いよ。私も会いたいと思って会っているの。一回もダメだってなると寂しいな。』って話をしていて、今、落とし所を調整中なんです。」
「そ、それは……旦那さんと喧嘩になっているの?」
奈良さんは、恐る恐る確認するように、ゆっくりと聞いてきた。
「喧嘩にはなっていませんよ。
ただ、旦那さんは、奈良さんに私の気持ちが傾いていっているんじゃないかって、不安だったみたいで……。
そんなことないのに。
旦那さんと奈良さんは、別々の『特別』なのにね。
私は旦那さんしか知らないから、もし捨てられたら居場所が無くなっちゃうのに……。
でも、奈良さんと会えなくなると、私はまた、心が弱くなりそうです。」
消え入るような声で、縋るように彼を見つめる。
私の目論見通り、奈良さんは猛烈な申し訳なさと、私への愛おしさが混ざり合ったような顔で、深く頭を下げた。
「ボクが安易に誘ったせいで…。
本当にごめん。
最近、ボクも家庭内で孤立感があったせいか、君がボクのことを必要としてくれるたびに、気持ちが高揚して調子に乗っていたんだと思う。君が不幸になることだけは、ボクも絶対に望んでいないからね。
今時点では、ボクは旦那さんとの話し合いの結果を待つしかないけれど…この件について、ボクで良ければいくらでも相談してほしい。」
(かかった――。)
心の中で、確かな手応えを感じた。
彼は否定せず、結果を待つという。
半年ほど前の彼ならきっと「それなら今後会うことはやめよう」と絶対に言っていた。
実際にモーニングコールは奈良さんの自己防衛本能が危機感を覚えてことで絶たれたのだから。
なら、彼の心の中で私は切り捨てられないほど存在が大きくなっているはずだ。
彰将さんとの話し合いはとうに終わっていて、「月1回のお酒の席」という大義名分をすでに手に入れている。
でも、まだ奈良さんには秘密だ。
彼にギリギリの焦燥感と「君を支えたい」という義務感、そして家庭の孤独を埋めてくれる私への執着を限界まで高めさせてから伝えたい。
「ありがとうございます。
奈良さんにそう言ってもらえるだけで、救われます。」
私は胸ポケットのピンクのペンにそっと手を触れながら、泣き出しそうな、しかし最高に愛らしい笑顔を彼に向けてみせるのだった。
