2-11.抗議
最近、妻の穂花が明らかに浮ついている。
また、あの「奈良さん」という元上司の男と出かけるのだという。
ゴルフの練習に行くというのなら、上達するためには必要なことだろうし、快く送り出そうとも思っていた。
けれど、この夜は違った。
24時近くになって帰ってきた穂花からは、はっきりとアルコールの匂いがした。
普通、既婚の男女が二人きりでお酒を交えた食事になんて行くのだろうか?
誘う方も誘われる方も、何も考えていないなんてあり得るのだろうか。
モヤモヤとした塊が胸に広がり、俺は極めて平静を装って聞いてみた。
「おかえり、今日はゴルフじゃなかったんだね。」
「うん!
この前怪我をさせちゃったお詫びにご馳走するよって、奈良さんが言ってくれたの。
だから、ワインが飲みたいって私からお願いしてみたんだよ。」
一応、筋の通った理由はあったらしい。
しかし、次に彼女の口から飛び出した言葉に、俺は強い衝撃を受けることになった。
「あ、そうだ。
奈良さん、すっごく酔っていたから気が大きくなったのかもね。
来週も、私が誕生日だって伝えたら、お祝いにまたご馳走してくれることになったんだ。」
耳を疑った。
なんでそんなことになるんだ。
俺はさすがに信じられないという顔を隠せず、声を低くして言った。
「……いくらなんでも、会いすぎじゃないか?
それって普通じゃないよ。
穂花は俺の嫁、人妻なんだぞ。
俺からしたら、その元上司が穂花に手を出そうとして、ちょっかいをかけているようにしか見えない。」
そう告げた瞬間、穂花の表情が一変した。
「なんで奈良さんがどんな人かも知らないで、ちょっかいをかけるとか言うの!?」
リビングに穂花の激昂した声が響く。
「何もやましいことがないから、私もこうやって彰将さんに隠さず報告しているんでしょ!?」
「でもおかしいよ!
なんでそんなに頻繁に会う必要があるんだ。
……俺と離婚でもしたいのか?」
「離婚!?
そんなこと一言も言ってないし、全く考えてないし!
前提が違いすぎるのよ。
私は彰将さんのことを今でも大切に思っているし、好きよ。」
一気に捲し立てる穂花の勢いに、俺は圧倒される。彼女の反論は止まらない。
「でも、あえて言わせてもらうけど、私が仕事で一番大変だった時期、彰将さんは自分の転職のことでいっぱいいっぱいで、私の相談に全然乗ってくれなかったじゃない!
今の私にとっては、仕事のことで対等に相談できて、応援してくれる奈良さんが心の救いだったの。
仕事の『相棒』と仲良くするのは普通じゃない?
これが男同士の相棒なら、仕事終わりに食事に行っても良くて、男女だからダメっていうのは何で?
昔の古い考え方に引っ張られすぎだよ!」
理路整然とした、しかし容赦のないナイフのような言葉だった。
自分の転職と重なり、彼女を精神的に支えきれなかったという過去の負い目(劣等感)を突かれ、俺は言葉に詰まる。
言い負かされた俺を見て、穂花はふぅ~と表情を和らげ、今度は少し優しい声で語りかけてきた。
「……でも、彰将さんがそうやって不安に思ってくれたのは、正直嬉しいよ。
それだけ私のことを想ってくれているんだなって、伝わったから。
だけどね、今の私には、どうしても奈良さんの善意に縋りたい時があるの。
だからさ、彰将さんと私がお互いに気持ちよく納得できる形にしたいんだけど……どうかな?」
そうやって、まるでこちらを気遣うような聖母のような顔で言われると、これ以上「行くな」とは言いづらかった。
ここで頑なに拒否すれば、自分がただの器の小さい、嫉妬深い狭量な人間に思えてしまう。
「……別に、俺も穂花を拘束したいわけじゃない。」
結局、俺の口から出たのはそんな情けない妥協の言葉だった。
話し合いの結果、「お酒を伴う食事は月に1回まで」という約束を交わすことで手を打った。
何故、もっと強く言い返せなかったのだろう。
自分の不甲斐なさと、言いようのない悲しさが胸を支配していく。
月1回という約束を取り付けて安心している自分と、それ以上に、妻の心が自分の手の届かない「相棒」へと綺麗にスライドしていく恐怖に、俺はただ一人、リビングの冷たい空気の中で立ち尽くすしかなかった。
最近、妻の穂花が明らかに浮ついている。
また、あの「奈良さん」という元上司の男と出かけるのだという。
ゴルフの練習に行くというのなら、上達するためには必要なことだろうし、快く送り出そうとも思っていた。
けれど、この夜は違った。
24時近くになって帰ってきた穂花からは、はっきりとアルコールの匂いがした。
普通、既婚の男女が二人きりでお酒を交えた食事になんて行くのだろうか?
誘う方も誘われる方も、何も考えていないなんてあり得るのだろうか。
モヤモヤとした塊が胸に広がり、俺は極めて平静を装って聞いてみた。
「おかえり、今日はゴルフじゃなかったんだね。」
「うん!
この前怪我をさせちゃったお詫びにご馳走するよって、奈良さんが言ってくれたの。
だから、ワインが飲みたいって私からお願いしてみたんだよ。」
一応、筋の通った理由はあったらしい。
しかし、次に彼女の口から飛び出した言葉に、俺は強い衝撃を受けることになった。
「あ、そうだ。
奈良さん、すっごく酔っていたから気が大きくなったのかもね。
来週も、私が誕生日だって伝えたら、お祝いにまたご馳走してくれることになったんだ。」
耳を疑った。
なんでそんなことになるんだ。
俺はさすがに信じられないという顔を隠せず、声を低くして言った。
「……いくらなんでも、会いすぎじゃないか?
それって普通じゃないよ。
穂花は俺の嫁、人妻なんだぞ。
俺からしたら、その元上司が穂花に手を出そうとして、ちょっかいをかけているようにしか見えない。」
そう告げた瞬間、穂花の表情が一変した。
「なんで奈良さんがどんな人かも知らないで、ちょっかいをかけるとか言うの!?」
リビングに穂花の激昂した声が響く。
「何もやましいことがないから、私もこうやって彰将さんに隠さず報告しているんでしょ!?」
「でもおかしいよ!
なんでそんなに頻繁に会う必要があるんだ。
……俺と離婚でもしたいのか?」
「離婚!?
そんなこと一言も言ってないし、全く考えてないし!
前提が違いすぎるのよ。
私は彰将さんのことを今でも大切に思っているし、好きよ。」
一気に捲し立てる穂花の勢いに、俺は圧倒される。彼女の反論は止まらない。
「でも、あえて言わせてもらうけど、私が仕事で一番大変だった時期、彰将さんは自分の転職のことでいっぱいいっぱいで、私の相談に全然乗ってくれなかったじゃない!
今の私にとっては、仕事のことで対等に相談できて、応援してくれる奈良さんが心の救いだったの。
仕事の『相棒』と仲良くするのは普通じゃない?
これが男同士の相棒なら、仕事終わりに食事に行っても良くて、男女だからダメっていうのは何で?
昔の古い考え方に引っ張られすぎだよ!」
理路整然とした、しかし容赦のないナイフのような言葉だった。
自分の転職と重なり、彼女を精神的に支えきれなかったという過去の負い目(劣等感)を突かれ、俺は言葉に詰まる。
言い負かされた俺を見て、穂花はふぅ~と表情を和らげ、今度は少し優しい声で語りかけてきた。
「……でも、彰将さんがそうやって不安に思ってくれたのは、正直嬉しいよ。
それだけ私のことを想ってくれているんだなって、伝わったから。
だけどね、今の私には、どうしても奈良さんの善意に縋りたい時があるの。
だからさ、彰将さんと私がお互いに気持ちよく納得できる形にしたいんだけど……どうかな?」
そうやって、まるでこちらを気遣うような聖母のような顔で言われると、これ以上「行くな」とは言いづらかった。
ここで頑なに拒否すれば、自分がただの器の小さい、嫉妬深い狭量な人間に思えてしまう。
「……別に、俺も穂花を拘束したいわけじゃない。」
結局、俺の口から出たのはそんな情けない妥協の言葉だった。
話し合いの結果、「お酒を伴う食事は月に1回まで」という約束を交わすことで手を打った。
何故、もっと強く言い返せなかったのだろう。
自分の不甲斐なさと、言いようのない悲しさが胸を支配していく。
月1回という約束を取り付けて安心している自分と、それ以上に、妻の心が自分の手の届かない「相棒」へと綺麗にスライドしていく恐怖に、俺はただ一人、リビングの冷たい空気の中で立ち尽くすしかなかった。
