朝の徒花

2-8.約束

最近、ゴルフを理由に奈良さんと定期的に会えるのが、私は嬉しくてたまらなかった。
 
夫の彰将には少し悪いなという気持ちはある。
けれど、私たちはただゴルフの練習をして一緒に食事をしているだけで、キスやセックスといった、いわゆる「浮気行為」は一切やっていない。
私にとって奈良さんは、人生で最も尊敬している人であり、言うなれば「推し」なのだ。
今、私はまさに最高の「推し活」をしている最中。奈良さんと会えると思えば毎日が信じられないほど元気になれるし、仕事だって頑張れる。
奈良さんが笑ってくれれば、それだけで私は幸せな気持ち。
彼は私の人生の、かけがえのない元気の源なのだ。
このまま、憧れの人と素敵な関係が「細く永く」続けばいいな、と心から願っていた。
 
そんな時、あのアクシデントが起こった。
打ちっぱなしの練習場で、奈良さんが振ったゴルフのアイアンが、私の耳のあたりに当たってしまったのだ。
 
「ごめん! 大丈夫?!」
 
奈良さんが酷く慌てている。
視界に赤い血が流れるのが見えたけれど、私は自分の怪我よりも、目の前でパニックになっている奈良さんを驚くほど冷静に見つめていた。
 
(まずい。
ここで奈良さんに重い罪悪感を持たせてしまったら、次の機会が無くなってしまうかもしれない!)
 
それだけは絶対に避けたかった。
だから私は、痛みを堪えて必死に笑顔を作り、「大丈夫です、気にしなくてもいいんですよ。私があんな近くに立っていたのが悪いんです」と、何度も健気な言葉を繰り返した。

その日はそのまま解散となったけれど、帰宅してからも奈良さんの様子が気がかりだった。
嫌われていないだろうか、もう誘ってくれなくなったらどうしよう。
そんな不安を抱えながら夜を過ごしていたが、22時頃、会社携帯にショートメールが届いた。
奈良さんからだ。
 
「今日は本当に申し訳ない。
頭痛や目眩はない?
脳震盪を起こす場合もあるので、今は大丈夫でも朝気分が悪いとかあったらすぐに病院に行ってね。
その時はタクシーも使った方がいいよ。
それとお詫びの件は、どこでも金額を気にせず、気になっているお店を指定してね。」
 
文面を見て、私の胸はドキンと跳ね上がった。
 
金額を気にせず、気になっているお店を指定していい?
これって、お酒が出るようなお店でもOKということ?
それって……ただのゴルフの延長じゃなくて、もう「デート」じゃない?
 
もちろんゴルフも楽しかったけれど、このお出かけは今までのものとは完全に意味が違う。
チャンスだ!
奈良さんは普段、会社の飲み会でも基本的にお酒を飲まない堅物だ。
なら、こちらから思い切った提案のメールを送ってみよう!
でも、ここですぐに尻尾を振って返信したら、計算高さが見えてしまう。
 
私ははやる気持ちを抑え、あえてきっちり一時間、時間を空けた。
23時。
十分に夜遅くだけれど、あえてこの時間に送ることで「心配している奈良さんを安心させるため」という大義名分ができる。私は丁寧に文章を打ち込んだ。
 
「夜分にすみません、明日の返信だと気にされたままかと思いメールしました。
あの場でも言いましたが、気を使われると私も気にしちゃうので……それで奈良さんの気が楽になるなら、ご飯のご提案に便乗しますね!
だからこれでチャラ、無しと思ってください!
実は、ワインの美味しいって評判の「ブルーノ」っていうお店があるんです。
どうでしょう?」
 
送信ボタンを押すと、返信を気にして起きていてくれたのか、すぐに画面が光った。
 
「ありがとう、そう言ってくれて。
それならそのお店に行こう!
また都合のいい候補日を教えて!
是非ご馳走するから遠慮なく注文してね。」
 
画面を見つめながら、私はベッドの上で小さくガッツポーズをした。
これでお酒も絡む、二人きりの約束が出来た。
「今度はお酒の席に誘ってみてもいいかもしれない」と考えていた次の一手が、まさかこんな形で向こうから転がり込んでくるなんて。
私は最高の、本当に嬉しい気持ちで、今度のワインデートを考えながら眠りにつく準備を始めた。