2-7.事故
シミュレーションゴルフの夜以来、あれから宮本さんとは社内チャットで色々と話をする機会が増えた。
関係は非常に良好だ。
ゴルフはあの初回のあと、ボクたちはすでに2度もゴルフへ一緒に行っている。
ボクも彼女も腕前はまだまだで、相変わらずボールが当たらない難しさを笑い合いながら、和気あいあいとした時間を過ごす。
ゴルフの後の食事も、いつの間にかボクたちの定番の楽しみになっていた。
席での話題は、もっぱら彼女からの仕事の相談だ。それに加えて、読書や絵画鑑賞が趣味だという彼女のプライベートな話を聞いたり、逆にボクの方からは子供の最近の様子を話したりと、会話が途切れることはない。
何より、彼女と話している時間は心地よかった。
以前も私のことを「尊敬しています」と言ってくれたが、仕事の話になると、彼女はちょくちょく「凄いですね」「それは奈良さんだからできたことですよ」と、真っ直ぐな瞳で賞賛してくれる。
ボクは「そんな大したことじゃないよ」と口ではそう言って頭を掻くものの、内心はかなり面映ゆい。
これまで生きてきて、これほど露骨に人に褒められる経験など滅多になかった。
だから慣れないし、照れくさい。
だが同時に、腹の底がじんわりと満たされるような感覚があった。
最近は自分にも、こんな風に認められたいという承認欲求があったんだなと思う。
彼女と過ごす時間は、そんな知らない自分を教えてくれる場でもあった。
今はもう直属の部下でもないし、職場も遠く離れている。
だからこそ、ボクの中での彼女の存在は、単なる同僚というよりも「ゴルフを一緒に楽しむ、歳の離れた友人ができた」という感覚に近かった。
彼女が旦那さんやご家族に毎回話していることも大きい。
その安心感も、私の油断に拍車をかけていた。
そんな充実した雰囲気が、家庭でも滲み出ていたのだろう。
リビングで週末の予定を立てていた時、妻がふと顔を上げてボクを見た。
「最近、なんだか楽しそうね。」
「そうなんだよ、案外ゴルフって楽しいんだよ。
ほら、前に行ったって言ったでしょう?
最近、後輩と行くんだけどさ。
お互いに下手だから、まだ傷の舐め合いをしながら練習してる段階。
でも、どっちが先に上手くなれるかっていう競争が出来てて、それがいい刺激になってるんだよね。」
「良かったじゃない。
良い趣味が見つかって。
でもゴルフって、私は興味がわかないなぁ。
いかにもおじさんの趣味って感じで。」
妻は私の言葉を疑うことなく、穏やかに微笑んだ。
嘘は言っていない。
宮本さんは元部下で、今は別の部署の後輩だ。
共に下手なのも本当だし、競争しているのも事実。ただ、その相手が「若い女性」であることを伏せた。
これは、家庭を円満に保つためにも必要なことだと思っている。
そこを除けば仕事も順調、家庭も平穏、そして新しくできた友人との楽しい趣味の時間。
すべてが満ち足りていた。
家庭も友人も手に入れている今が、本当に幸せだった。
---------------------------------------------------------------------------
今日は、シミュレーションではなく本物の打ちっぱなしの練習場にいた。
前日に見た動画で得たゴルフの知識をさっそく彼女と共有しようと心が浮きたっている。
ボクは少し調子に乗っていたのかもしれない。
「こうやって握るんだよ」と、彼女の手に自分の手を添えながら、7番アイアンをゆっくりと振った。
だが、言葉だけではなかなか上手く伝わらない。
「ちょっと後ろに立って見ていて。
デモをしてみせるから。」
ボクは彼女を自分の背後に立たせ、クラブを大きく振りかぶりゆっくりと弧を描いて見せる。
振り抜いたその瞬間、コツっと軽い衝撃と共に、彼女の耳辺りに当ててしまった。
「あ――っ!」
振り返ると、宮本さんが声もあげずに耳を押さえていた。
「ごめん!
大丈夫?!」
慌てて駆け寄り、彼女が押さえている手を退けさせると、指の間から赤い血が溢れていた。
アイアンのヘッド先端が、やっぱり彼女に当たってしまったのだ。
頭のてっぺんから冷や汗が飛び出る。
「なんてことをしてしまったのか、女性に怪我を負わせるなんて」と考えれば考えるほど、恐怖と罪悪感がボクを襲った。
彼女はハンカチを患部に押し当てるが血が止まらない。
ボクはパニックになりかけていた。
しかし、怪我をした被害者であるはずの宮本さんは、痛みに顔を歪めながらも、しきりにボクを気遣う言葉を口にする。
「大丈夫です……!
私が悪かったんです。
私があんな近くに立っていたのが悪いんですよ。
ドジだったんです。
だから奈良さん、本当に気にしないでくださいね?
気にされ過ぎると、私も気になっちゃうので。
……本当に、大丈夫ですから。」
その健気な言葉が、逆にボクの胸を痛烈に締め付けた。
なんて良い子なんだろうと思うと同時に、自分の不注意への激しい後悔が押し寄せる。
ある程度時間が経つと、幸いにも出血は落ち着いてきた。
だが、ボクの気が済まない。
「本当にごめんよ、宮本さん……。
頭痛や目眩はない?
念のため、病院へ行った方がいい。
お金は全部ボクが出すからね。
それと、本当にお詫びにもならないけれど、今度何か美味しいものでもご馳走させてほしい。
好きなだけ食べていいから。
それくらいしか、今のボクには出来ないから……。
ごめんね。」
頭を下げるボクに、彼女は「もう、大袈裟ですよ」と小さく笑ってみせ、その日はそのまま解散となった。
帰宅してからも、血のついたハンカチの感触が頭から離れなかった。
怪我をさせてしまった後悔と、彼女の優しさに甘えてしまったような強い罪悪感。
夜、家族が寝静まったリビングで、ボクは落ち着かない手つきで会社携帯を開いた。
一刻も早く、彼女の体調を確かめなければ夜も眠れない。
ボクは祈るような思いで、お詫びのショートメールを打ち始めるのだった。
シミュレーションゴルフの夜以来、あれから宮本さんとは社内チャットで色々と話をする機会が増えた。
関係は非常に良好だ。
ゴルフはあの初回のあと、ボクたちはすでに2度もゴルフへ一緒に行っている。
ボクも彼女も腕前はまだまだで、相変わらずボールが当たらない難しさを笑い合いながら、和気あいあいとした時間を過ごす。
ゴルフの後の食事も、いつの間にかボクたちの定番の楽しみになっていた。
席での話題は、もっぱら彼女からの仕事の相談だ。それに加えて、読書や絵画鑑賞が趣味だという彼女のプライベートな話を聞いたり、逆にボクの方からは子供の最近の様子を話したりと、会話が途切れることはない。
何より、彼女と話している時間は心地よかった。
以前も私のことを「尊敬しています」と言ってくれたが、仕事の話になると、彼女はちょくちょく「凄いですね」「それは奈良さんだからできたことですよ」と、真っ直ぐな瞳で賞賛してくれる。
ボクは「そんな大したことじゃないよ」と口ではそう言って頭を掻くものの、内心はかなり面映ゆい。
これまで生きてきて、これほど露骨に人に褒められる経験など滅多になかった。
だから慣れないし、照れくさい。
だが同時に、腹の底がじんわりと満たされるような感覚があった。
最近は自分にも、こんな風に認められたいという承認欲求があったんだなと思う。
彼女と過ごす時間は、そんな知らない自分を教えてくれる場でもあった。
今はもう直属の部下でもないし、職場も遠く離れている。
だからこそ、ボクの中での彼女の存在は、単なる同僚というよりも「ゴルフを一緒に楽しむ、歳の離れた友人ができた」という感覚に近かった。
彼女が旦那さんやご家族に毎回話していることも大きい。
その安心感も、私の油断に拍車をかけていた。
そんな充実した雰囲気が、家庭でも滲み出ていたのだろう。
リビングで週末の予定を立てていた時、妻がふと顔を上げてボクを見た。
「最近、なんだか楽しそうね。」
「そうなんだよ、案外ゴルフって楽しいんだよ。
ほら、前に行ったって言ったでしょう?
最近、後輩と行くんだけどさ。
お互いに下手だから、まだ傷の舐め合いをしながら練習してる段階。
でも、どっちが先に上手くなれるかっていう競争が出来てて、それがいい刺激になってるんだよね。」
「良かったじゃない。
良い趣味が見つかって。
でもゴルフって、私は興味がわかないなぁ。
いかにもおじさんの趣味って感じで。」
妻は私の言葉を疑うことなく、穏やかに微笑んだ。
嘘は言っていない。
宮本さんは元部下で、今は別の部署の後輩だ。
共に下手なのも本当だし、競争しているのも事実。ただ、その相手が「若い女性」であることを伏せた。
これは、家庭を円満に保つためにも必要なことだと思っている。
そこを除けば仕事も順調、家庭も平穏、そして新しくできた友人との楽しい趣味の時間。
すべてが満ち足りていた。
家庭も友人も手に入れている今が、本当に幸せだった。
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今日は、シミュレーションではなく本物の打ちっぱなしの練習場にいた。
前日に見た動画で得たゴルフの知識をさっそく彼女と共有しようと心が浮きたっている。
ボクは少し調子に乗っていたのかもしれない。
「こうやって握るんだよ」と、彼女の手に自分の手を添えながら、7番アイアンをゆっくりと振った。
だが、言葉だけではなかなか上手く伝わらない。
「ちょっと後ろに立って見ていて。
デモをしてみせるから。」
ボクは彼女を自分の背後に立たせ、クラブを大きく振りかぶりゆっくりと弧を描いて見せる。
振り抜いたその瞬間、コツっと軽い衝撃と共に、彼女の耳辺りに当ててしまった。
「あ――っ!」
振り返ると、宮本さんが声もあげずに耳を押さえていた。
「ごめん!
大丈夫?!」
慌てて駆け寄り、彼女が押さえている手を退けさせると、指の間から赤い血が溢れていた。
アイアンのヘッド先端が、やっぱり彼女に当たってしまったのだ。
頭のてっぺんから冷や汗が飛び出る。
「なんてことをしてしまったのか、女性に怪我を負わせるなんて」と考えれば考えるほど、恐怖と罪悪感がボクを襲った。
彼女はハンカチを患部に押し当てるが血が止まらない。
ボクはパニックになりかけていた。
しかし、怪我をした被害者であるはずの宮本さんは、痛みに顔を歪めながらも、しきりにボクを気遣う言葉を口にする。
「大丈夫です……!
私が悪かったんです。
私があんな近くに立っていたのが悪いんですよ。
ドジだったんです。
だから奈良さん、本当に気にしないでくださいね?
気にされ過ぎると、私も気になっちゃうので。
……本当に、大丈夫ですから。」
その健気な言葉が、逆にボクの胸を痛烈に締め付けた。
なんて良い子なんだろうと思うと同時に、自分の不注意への激しい後悔が押し寄せる。
ある程度時間が経つと、幸いにも出血は落ち着いてきた。
だが、ボクの気が済まない。
「本当にごめんよ、宮本さん……。
頭痛や目眩はない?
念のため、病院へ行った方がいい。
お金は全部ボクが出すからね。
それと、本当にお詫びにもならないけれど、今度何か美味しいものでもご馳走させてほしい。
好きなだけ食べていいから。
それくらいしか、今のボクには出来ないから……。
ごめんね。」
頭を下げるボクに、彼女は「もう、大袈裟ですよ」と小さく笑ってみせ、その日はそのまま解散となった。
帰宅してからも、血のついたハンカチの感触が頭から離れなかった。
怪我をさせてしまった後悔と、彼女の優しさに甘えてしまったような強い罪悪感。
夜、家族が寝静まったリビングで、ボクは落ち着かない手つきで会社携帯を開いた。
一刻も早く、彼女の体調を確かめなければ夜も眠れない。
ボクは祈るような思いで、お詫びのショートメールを打ち始めるのだった。
