「神崎さん、次どこでしたっけ?」
「ちょっと待って」
助手席で予定表を確認する。
「えっと……若葉幼稚園」
「あ、幼稚園なんですね」
「うん。十五時から園長先生と打ち合わせ」
「時間、大丈夫ですか?」
時計を見る。
「大丈夫。十分前には着く」
「さすがリーダー」
「やめてや」
「なんでですか」
「まだ慣れへん」
後輩が笑った。
「もう一ヶ月ですよ」
「一ヶ月しか、やろ」
「みんな普通に呼んでますよ?」
「せやから嫌やねん」
「リーダー」
「やめてって」
「リーダー」
「降ろすで」
「運転してるの俺です」
「…………」
そうだった。
「じゃあ黙って運転しなさい」
「はい、リーダー」
「もう!」
笑い声が車内に響いた。
窓の外を。
景色が流れていく。
一年前のあたしなら。
こんなふうに。
誰かと仕事で外を回るなんて。
想像もしなかった。
まして。
自分が予定を組んで。
相手と話して。
後輩に指示を出して。
何かあったら。
自分が責任を持つ。
そんな立場になるなんて。
「神崎さん」
「ん?」
「緊張してます?」
「ちょっとな」
「珍しい」
「するで、あたしかて」
「大丈夫ですよ」
「何が」
「神崎さん、喋るの得意じゃないですか」
「それ褒めてるの?」
「もちろん」
「うるさいって意味ちゃうよな?」
「半分」
「降りろ」
「だから俺が運転――」
「もうええ!」
また。
二人で笑った。
「本日はよろしくお願いいたします」
頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
園長先生が。
にこやかに笑った。
名刺を交換して。
資料を広げる。
説明する。
質問される。
答える。
わからないところは。
後輩に確認する。
「そこ、資料の三ページ見てもらえる?」
「はい」
以前なら。
上司の隣で。
黙って聞いていた。
今は。
あたしが話している。
「では、こちらについては弊社で一度確認して、改めてご連絡します」
「お願いします」
「はい」
打ち合わせが終わった。
「ありがとうございました」
会議室を出た瞬間。
小さく息を吐く。
「はぁぁぁ……」
「お疲れさまです」
「緊張したぁ」
「全然見えませんでしたよ」
「ほんと?」
「はい」
「よかった……」
資料を鞄にしまう。
その時。
廊下の向こうから。
子供たちの声が聞こえた。
「パトカーだぁ!」
「パトカーきたー!」
「おまわりさーん!」
「…………?」
窓の外を見る。
園庭に。
パトカーが一台。
入ってくるところだった。
「ああ」
園長先生が笑った。
「今日は交通安全教室もあるんですよ」
「へえ」
「ちょうどよかったら見ていかれます?」
「あ、でも」
時計を見る。
次の予定まで。
少し余裕がある。
後輩を見る。
「どうする?」
「俺、見たいです」
「子供か」
「白バイも来るらしいですよ」
「え、白バイ?」
「はい」
園長先生が頷いた。
「毎年、子供たちが楽しみにしてるんです」
白バイ。
なんとなく。
かっこいいイメージはある。
でも。
あたしには。
あんまり縁のないもの。
「ほな、少しだけ」
「どうぞどうぞ」
園庭へ出た。
子供たちが。
ものすごい勢いで集まっている。
「近づきすぎないでくださーい」
先生たちが大変そう。
「かわいいですね」
後輩が言った。
「ね」
小さな帽子。
小さな靴。
きゃあきゃあ。
走り回ってる。
「あ」
一人。
転んだ。
泣きそうな顔。
先生が駆け寄るより先に。
近くにいた警察官がしゃがんだ。
「大丈夫?」
子供が頷く。
「走ったら危ないからな」
優しい声。
「はーい」
「よし」
「…………」
なんとなく。
颯真兄ちゃんを思い出した。
小さい頃。
転んで泣いたあたしに。
同じようなこと。
言ってた。
『走るからや』
全然。
優しくなかったけど。
思わず笑った。
「どうしたんです?」
「なんでもない」
最近。
会ってないな。
最後に顔を見たん。
いつやったっけ。
電話はした。
メッセージも。
たまにする。
だけど。
ちゃんと会って話したのは。
ずいぶん前。
何してんねやろ。
相変わらず。
教えてくれへん。
「来た!」
子供の声に。
顔を上げた。
「白バイー!」
一斉に。
園児たちが騒ぎ出す。
遠くから。
低いエンジン音。
一台。
そして。
もう一台。
白い車体が。
ゆっくり園庭へ入ってくる。
「おお……」
隣で後輩が声を上げた。
「すげえ」
「ほんとだ」
思ってたより。
大きい。
二台の白バイが。
子供たちから少し離れたところで止まった。
隊員が。
車体を支える。
エンジンが止まる。
一人目が降りた。
そして。
もう一人。
「…………」
なぜか。
目が止まった。
白いヘルメット。
サングラス。
制服。
顔なんて。
ちゃんと見えてない。
なのに。
「…………え?」
胸が。
どくん。
と鳴った。
なんで?
知らない人のはずなのに。
知ってる。
そんな気がした。
隊員が。
白バイから降りる。
ヘルメットに。
手をかけた。
ゆっくり。
外す。
「…………」
嘘。
「……颯真……兄ちゃん?」
声が。
勝手に出た。
聞こえるはずなんてない。
離れてる。
子供たちだって。
騒いでる。
なのに。
その人が。
こっちを見た。
目が。
合った。
「…………!」
間違いない。
颯真兄ちゃん。
あたしの知ってる。
颯真兄ちゃんが。
白バイの横に立っていた。
「神崎さん?」
後輩の声も。
聞こえない。
何。
これ。
聞いてない。
白バイ?
颯真兄ちゃんが?
いつから?
どうして?
頭の中に。
疑問が。
次々浮かぶ。
でも。
その全部が。
一瞬で。
どこかへ飛んだ。
「…………」
かっこいい。
何これ。
ものすごく。
かっこいい。
ずるい。
ただでさえ。
好きなのに。
こんなの。
聞いてない。
颯真兄ちゃんは。
あたしを見たまま。
ほんの少しだけ。
口元を緩めた。
「…………っ」
今。
笑った。
絶対。
笑った。
あたしに。
「知り合いですか?」
隣で後輩が聞いた。
「…………」
返事ができない。
「神崎さん?」
「あ……」
やっと。
声が出た。
「あたしの……」
兄ちゃん。
そう言おうとして。
止まった。
違う。
兄じゃない。
昔から。
そう呼んでるだけ。
「……知り合い」
「へえ」
それだけ言って。
もう一度。
颯真兄ちゃんを見る。
でも。
もう。
こっちを見ていなかった。
子供たちの前で。
仕事の顔をしている。
知らない顔。
あたしが。
今まで見たことのない。
颯真兄ちゃん。
その姿から。
目が離せなかった。
二十二歳の誕生日まで。
あと少し。
あたしは。
颯真兄ちゃんの知らないところで。
少しずつ。
大人になっていた。
そして。
颯真兄ちゃんも。
あたしの知らないところで。
ずっと。
前に進んでいた。
「ちょっと待って」
助手席で予定表を確認する。
「えっと……若葉幼稚園」
「あ、幼稚園なんですね」
「うん。十五時から園長先生と打ち合わせ」
「時間、大丈夫ですか?」
時計を見る。
「大丈夫。十分前には着く」
「さすがリーダー」
「やめてや」
「なんでですか」
「まだ慣れへん」
後輩が笑った。
「もう一ヶ月ですよ」
「一ヶ月しか、やろ」
「みんな普通に呼んでますよ?」
「せやから嫌やねん」
「リーダー」
「やめてって」
「リーダー」
「降ろすで」
「運転してるの俺です」
「…………」
そうだった。
「じゃあ黙って運転しなさい」
「はい、リーダー」
「もう!」
笑い声が車内に響いた。
窓の外を。
景色が流れていく。
一年前のあたしなら。
こんなふうに。
誰かと仕事で外を回るなんて。
想像もしなかった。
まして。
自分が予定を組んで。
相手と話して。
後輩に指示を出して。
何かあったら。
自分が責任を持つ。
そんな立場になるなんて。
「神崎さん」
「ん?」
「緊張してます?」
「ちょっとな」
「珍しい」
「するで、あたしかて」
「大丈夫ですよ」
「何が」
「神崎さん、喋るの得意じゃないですか」
「それ褒めてるの?」
「もちろん」
「うるさいって意味ちゃうよな?」
「半分」
「降りろ」
「だから俺が運転――」
「もうええ!」
また。
二人で笑った。
「本日はよろしくお願いいたします」
頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
園長先生が。
にこやかに笑った。
名刺を交換して。
資料を広げる。
説明する。
質問される。
答える。
わからないところは。
後輩に確認する。
「そこ、資料の三ページ見てもらえる?」
「はい」
以前なら。
上司の隣で。
黙って聞いていた。
今は。
あたしが話している。
「では、こちらについては弊社で一度確認して、改めてご連絡します」
「お願いします」
「はい」
打ち合わせが終わった。
「ありがとうございました」
会議室を出た瞬間。
小さく息を吐く。
「はぁぁぁ……」
「お疲れさまです」
「緊張したぁ」
「全然見えませんでしたよ」
「ほんと?」
「はい」
「よかった……」
資料を鞄にしまう。
その時。
廊下の向こうから。
子供たちの声が聞こえた。
「パトカーだぁ!」
「パトカーきたー!」
「おまわりさーん!」
「…………?」
窓の外を見る。
園庭に。
パトカーが一台。
入ってくるところだった。
「ああ」
園長先生が笑った。
「今日は交通安全教室もあるんですよ」
「へえ」
「ちょうどよかったら見ていかれます?」
「あ、でも」
時計を見る。
次の予定まで。
少し余裕がある。
後輩を見る。
「どうする?」
「俺、見たいです」
「子供か」
「白バイも来るらしいですよ」
「え、白バイ?」
「はい」
園長先生が頷いた。
「毎年、子供たちが楽しみにしてるんです」
白バイ。
なんとなく。
かっこいいイメージはある。
でも。
あたしには。
あんまり縁のないもの。
「ほな、少しだけ」
「どうぞどうぞ」
園庭へ出た。
子供たちが。
ものすごい勢いで集まっている。
「近づきすぎないでくださーい」
先生たちが大変そう。
「かわいいですね」
後輩が言った。
「ね」
小さな帽子。
小さな靴。
きゃあきゃあ。
走り回ってる。
「あ」
一人。
転んだ。
泣きそうな顔。
先生が駆け寄るより先に。
近くにいた警察官がしゃがんだ。
「大丈夫?」
子供が頷く。
「走ったら危ないからな」
優しい声。
「はーい」
「よし」
「…………」
なんとなく。
颯真兄ちゃんを思い出した。
小さい頃。
転んで泣いたあたしに。
同じようなこと。
言ってた。
『走るからや』
全然。
優しくなかったけど。
思わず笑った。
「どうしたんです?」
「なんでもない」
最近。
会ってないな。
最後に顔を見たん。
いつやったっけ。
電話はした。
メッセージも。
たまにする。
だけど。
ちゃんと会って話したのは。
ずいぶん前。
何してんねやろ。
相変わらず。
教えてくれへん。
「来た!」
子供の声に。
顔を上げた。
「白バイー!」
一斉に。
園児たちが騒ぎ出す。
遠くから。
低いエンジン音。
一台。
そして。
もう一台。
白い車体が。
ゆっくり園庭へ入ってくる。
「おお……」
隣で後輩が声を上げた。
「すげえ」
「ほんとだ」
思ってたより。
大きい。
二台の白バイが。
子供たちから少し離れたところで止まった。
隊員が。
車体を支える。
エンジンが止まる。
一人目が降りた。
そして。
もう一人。
「…………」
なぜか。
目が止まった。
白いヘルメット。
サングラス。
制服。
顔なんて。
ちゃんと見えてない。
なのに。
「…………え?」
胸が。
どくん。
と鳴った。
なんで?
知らない人のはずなのに。
知ってる。
そんな気がした。
隊員が。
白バイから降りる。
ヘルメットに。
手をかけた。
ゆっくり。
外す。
「…………」
嘘。
「……颯真……兄ちゃん?」
声が。
勝手に出た。
聞こえるはずなんてない。
離れてる。
子供たちだって。
騒いでる。
なのに。
その人が。
こっちを見た。
目が。
合った。
「…………!」
間違いない。
颯真兄ちゃん。
あたしの知ってる。
颯真兄ちゃんが。
白バイの横に立っていた。
「神崎さん?」
後輩の声も。
聞こえない。
何。
これ。
聞いてない。
白バイ?
颯真兄ちゃんが?
いつから?
どうして?
頭の中に。
疑問が。
次々浮かぶ。
でも。
その全部が。
一瞬で。
どこかへ飛んだ。
「…………」
かっこいい。
何これ。
ものすごく。
かっこいい。
ずるい。
ただでさえ。
好きなのに。
こんなの。
聞いてない。
颯真兄ちゃんは。
あたしを見たまま。
ほんの少しだけ。
口元を緩めた。
「…………っ」
今。
笑った。
絶対。
笑った。
あたしに。
「知り合いですか?」
隣で後輩が聞いた。
「…………」
返事ができない。
「神崎さん?」
「あ……」
やっと。
声が出た。
「あたしの……」
兄ちゃん。
そう言おうとして。
止まった。
違う。
兄じゃない。
昔から。
そう呼んでるだけ。
「……知り合い」
「へえ」
それだけ言って。
もう一度。
颯真兄ちゃんを見る。
でも。
もう。
こっちを見ていなかった。
子供たちの前で。
仕事の顔をしている。
知らない顔。
あたしが。
今まで見たことのない。
颯真兄ちゃん。
その姿から。
目が離せなかった。
二十二歳の誕生日まで。
あと少し。
あたしは。
颯真兄ちゃんの知らないところで。
少しずつ。
大人になっていた。
そして。
颯真兄ちゃんも。
あたしの知らないところで。
ずっと。
前に進んでいた。



