それから。
颯真兄ちゃんに会える時間が。
少しずつ。
減っていった。
最初は。
たまたまだと思ってた。
仕事帰り。
いつもの交番を覗く。
いない。
次の日。
「こんにちはー」
いない。
その次の日。
「颯真兄ちゃ――」
いない。
「…………」
交番の前で立ち尽くす。
おかしい。
前は。
行けば大体いたのに。
もちろん。
警察官なんだから。
いつも交番にいるわけじゃない。
パトロールだってある。
事件だってある。
わかってる。
わかってるけど。
「……おらなさすぎじゃない?」
思わず呟いた。
「あれ? 朝倉君?」
交番にいた警察官が、あたしに気づいた。
「はい」
「今日は来ないよ」
「え?」
「勤務、こっちじゃないから」
「…………」
こっちじゃない?
「どこ行ったんですか?」
「あー……」
何か言いかけて。
「本人に聞いて」
「なんでなん!」
笑われた。
「俺から言うことじゃないから」
「怪しい」
「怪しくない怪しくない」
絶対。
怪しい。
その夜。
電話した。
『なんや』
「どこにおるん?」
『家』
「そうやなくて!」
『ほな何やねん』
「最近、交番におらんやん」
一瞬。
黙った。
「今日も行った」
『……また行ったんか』
「またって何なん」
『用もないのに交番来んな言うてるやろ』
「用あるもん」
『何の用や』
「颯真兄ちゃんを見る用」
『帰れ』
「帰ったわ!」
『ほなええやん』
「よくないわ!」
腹立つ。
「最近、何してんの?」
『仕事』
「それは知ってる」
『ほな聞くな』
「どんな仕事?」
『警察の仕事』
「それも知ってる!」
電話の向こうで。
笑った。
「笑うな!」
『アホやな思て』
「颯真兄ちゃんがちゃんと答えへんからやろ!」
『そのうちな』
「何が?」
『そのうちわかる』
「いつ?」
『そのうち』
「明日?」
『ちゃう』
「来週?」
『ちゃう』
「来月?」
『うるさい』
「教えて!」
『嫌や』
「なんでや!」
また。
笑ってる。
絶対。
何か隠してる。
「……女?」
『は?』
「女の人できたん?」
『なんでそうなんねん』
「だって怪しいもん」
『仕事や言うとるやろ』
「ほんま?」
『ほんま』
「…………」
『なんや』
「そんならええ」
『何がええねん』
「女じゃないならええ」
『お前なぁ……』
「だって」
言いかけて。
やめた。
二十歳になった。
大人になった。
でも。
颯真兄ちゃんに好きな人ができるのが怖いのは。
十六歳の頃と。
何にも変わってない。
『すず』
「なに?」
『俺のことばっかり考えとらんと、自分の仕事ちゃんとせえよ』
「してるわ」
『ほんまか?』
「してますぅ」
『この前辞めたい言うとった奴が?』
「いつの話してんの!」
笑いながら言った。
だけど。
少し。
悔しかった。
だって。
確かにそうだった。
入ったばかりの頃は。
毎日辞めたかった。
怒られて。
失敗して。
家に帰ったら疲れて。
次の日の朝が来るのが嫌で。
何回も。
颯真兄ちゃんに愚痴を聞いてもらった。
でも。
今は。
あの頃とは違う。
「ちゃんと頑張ってるもん」
『ほな頑張れ』
「颯真兄ちゃんも?」
『ん?』
「頑張ってる?」
少し。
間があった。
『……まあな』
「何してるか教えてくれへんけど?」
『まだええ』
「ケチ」
『なんとでも言え』
「ほな」
ベッドの上で。
小指を立てた。
電話だから。
颯真兄ちゃんには見えない。
「お互い頑張ろな」
『……なんや急に』
「ええから」
『はいはい』
「はいは一回!」
『はい』
「約束やで」
『ああ』
「指切り」
『電話でどうやってすんねん』
「今、小指出してや」
『嫌や』
「出してって!」
『一人で小指出してる二十六の男、怖いやろ』
「誰も見てへん!」
『俺が嫌や』
「はよ!」
『……出した』
「ほんま?」
『出した出した』
怪しい。
絶対出してない。
でも。
いい。
「ゆびきりげんまん」
『歌うんかい』
「ウソついたら――」
『すず』
「なに?」
『頑張ろな』
「…………」
先に言われた。
「うん」
嬉しくなって。
笑った。
「頑張ろ」
その時。
あたしは知らなかった。
颯真兄ちゃんが。
何を頑張ろうとしていたのか。
「すず先輩!」
「ん?」
振り返る。
後輩が。
困った顔で書類を持って立っていた。
「これ、ちょっと見てもらっていいですか?」
「あたし?」
「はい」
「…………」
周りを見る。
誰もいない。
「あたし?」
「すず先輩しかいません」
「だよね」
「お願いします」
渡された書類を見る。
「ここ?」
「はい。どうしたらいいかわからなくて」
「これは――」
説明しようとして。
止まった。
これ。
あたしも昔。
わからなかった。
先輩に聞いた。
教えてもらった。
何回も間違えた。
「ここね」
指で示す。
「先にこっち確認してから入力するの」
「あ、先なんですね」
「そう。じゃないと後で数字合わなくなるから」
「ありがとうございます!」
「うん」
後輩が自分の席へ戻っていく。
「…………」
なんだろう。
変な感じ。
あたしが。
人に仕事を教えてる。
二年前。
あんなに辞めたかった会社で。
「神崎」
今度は上司に呼ばれた。
「はい!」
「ちょっといい?」
「はい」
机へ行く。
「今度、新しい案件立ち上げるんだけど」
「はい」
「若い子中心でチーム作ろうと思ってて」
「へえ」
「神崎も入って」
「…………」
え。
「あたし?」
「そう」
「なんで?」
上司が笑った。
「なんでって」
書類を一枚渡された。
「もう新人じゃないだろ」
「…………」
その言葉に。
一瞬。
何も言えなかった。
もう。
新人じゃない。
「やれる?」
少しだけ。
怖かった。
昔のあたしなら。
たぶん。
無理です。
って言ってた。
でも。
頭に浮かんだ。
『俺のことばっかり考えとらんと、自分の仕事ちゃんとせえよ』
「…………」
腹立つ。
こんな時まで。
出てくる。
「やります」
「よし」
書類を受け取った。
自分の席へ戻りながら。
小さく呟く。
「見とけよ、颯真兄ちゃん」
あたしだって。
頑張る。
颯真兄ちゃんが。
あたしの知らないところで。
何かを頑張っているなら。
あたしも。
ちゃんと。
前に進む。
次に会った時。
驚かせてやるんだから。
颯真兄ちゃんに会える時間が。
少しずつ。
減っていった。
最初は。
たまたまだと思ってた。
仕事帰り。
いつもの交番を覗く。
いない。
次の日。
「こんにちはー」
いない。
その次の日。
「颯真兄ちゃ――」
いない。
「…………」
交番の前で立ち尽くす。
おかしい。
前は。
行けば大体いたのに。
もちろん。
警察官なんだから。
いつも交番にいるわけじゃない。
パトロールだってある。
事件だってある。
わかってる。
わかってるけど。
「……おらなさすぎじゃない?」
思わず呟いた。
「あれ? 朝倉君?」
交番にいた警察官が、あたしに気づいた。
「はい」
「今日は来ないよ」
「え?」
「勤務、こっちじゃないから」
「…………」
こっちじゃない?
「どこ行ったんですか?」
「あー……」
何か言いかけて。
「本人に聞いて」
「なんでなん!」
笑われた。
「俺から言うことじゃないから」
「怪しい」
「怪しくない怪しくない」
絶対。
怪しい。
その夜。
電話した。
『なんや』
「どこにおるん?」
『家』
「そうやなくて!」
『ほな何やねん』
「最近、交番におらんやん」
一瞬。
黙った。
「今日も行った」
『……また行ったんか』
「またって何なん」
『用もないのに交番来んな言うてるやろ』
「用あるもん」
『何の用や』
「颯真兄ちゃんを見る用」
『帰れ』
「帰ったわ!」
『ほなええやん』
「よくないわ!」
腹立つ。
「最近、何してんの?」
『仕事』
「それは知ってる」
『ほな聞くな』
「どんな仕事?」
『警察の仕事』
「それも知ってる!」
電話の向こうで。
笑った。
「笑うな!」
『アホやな思て』
「颯真兄ちゃんがちゃんと答えへんからやろ!」
『そのうちな』
「何が?」
『そのうちわかる』
「いつ?」
『そのうち』
「明日?」
『ちゃう』
「来週?」
『ちゃう』
「来月?」
『うるさい』
「教えて!」
『嫌や』
「なんでや!」
また。
笑ってる。
絶対。
何か隠してる。
「……女?」
『は?』
「女の人できたん?」
『なんでそうなんねん』
「だって怪しいもん」
『仕事や言うとるやろ』
「ほんま?」
『ほんま』
「…………」
『なんや』
「そんならええ」
『何がええねん』
「女じゃないならええ」
『お前なぁ……』
「だって」
言いかけて。
やめた。
二十歳になった。
大人になった。
でも。
颯真兄ちゃんに好きな人ができるのが怖いのは。
十六歳の頃と。
何にも変わってない。
『すず』
「なに?」
『俺のことばっかり考えとらんと、自分の仕事ちゃんとせえよ』
「してるわ」
『ほんまか?』
「してますぅ」
『この前辞めたい言うとった奴が?』
「いつの話してんの!」
笑いながら言った。
だけど。
少し。
悔しかった。
だって。
確かにそうだった。
入ったばかりの頃は。
毎日辞めたかった。
怒られて。
失敗して。
家に帰ったら疲れて。
次の日の朝が来るのが嫌で。
何回も。
颯真兄ちゃんに愚痴を聞いてもらった。
でも。
今は。
あの頃とは違う。
「ちゃんと頑張ってるもん」
『ほな頑張れ』
「颯真兄ちゃんも?」
『ん?』
「頑張ってる?」
少し。
間があった。
『……まあな』
「何してるか教えてくれへんけど?」
『まだええ』
「ケチ」
『なんとでも言え』
「ほな」
ベッドの上で。
小指を立てた。
電話だから。
颯真兄ちゃんには見えない。
「お互い頑張ろな」
『……なんや急に』
「ええから」
『はいはい』
「はいは一回!」
『はい』
「約束やで」
『ああ』
「指切り」
『電話でどうやってすんねん』
「今、小指出してや」
『嫌や』
「出してって!」
『一人で小指出してる二十六の男、怖いやろ』
「誰も見てへん!」
『俺が嫌や』
「はよ!」
『……出した』
「ほんま?」
『出した出した』
怪しい。
絶対出してない。
でも。
いい。
「ゆびきりげんまん」
『歌うんかい』
「ウソついたら――」
『すず』
「なに?」
『頑張ろな』
「…………」
先に言われた。
「うん」
嬉しくなって。
笑った。
「頑張ろ」
その時。
あたしは知らなかった。
颯真兄ちゃんが。
何を頑張ろうとしていたのか。
「すず先輩!」
「ん?」
振り返る。
後輩が。
困った顔で書類を持って立っていた。
「これ、ちょっと見てもらっていいですか?」
「あたし?」
「はい」
「…………」
周りを見る。
誰もいない。
「あたし?」
「すず先輩しかいません」
「だよね」
「お願いします」
渡された書類を見る。
「ここ?」
「はい。どうしたらいいかわからなくて」
「これは――」
説明しようとして。
止まった。
これ。
あたしも昔。
わからなかった。
先輩に聞いた。
教えてもらった。
何回も間違えた。
「ここね」
指で示す。
「先にこっち確認してから入力するの」
「あ、先なんですね」
「そう。じゃないと後で数字合わなくなるから」
「ありがとうございます!」
「うん」
後輩が自分の席へ戻っていく。
「…………」
なんだろう。
変な感じ。
あたしが。
人に仕事を教えてる。
二年前。
あんなに辞めたかった会社で。
「神崎」
今度は上司に呼ばれた。
「はい!」
「ちょっといい?」
「はい」
机へ行く。
「今度、新しい案件立ち上げるんだけど」
「はい」
「若い子中心でチーム作ろうと思ってて」
「へえ」
「神崎も入って」
「…………」
え。
「あたし?」
「そう」
「なんで?」
上司が笑った。
「なんでって」
書類を一枚渡された。
「もう新人じゃないだろ」
「…………」
その言葉に。
一瞬。
何も言えなかった。
もう。
新人じゃない。
「やれる?」
少しだけ。
怖かった。
昔のあたしなら。
たぶん。
無理です。
って言ってた。
でも。
頭に浮かんだ。
『俺のことばっかり考えとらんと、自分の仕事ちゃんとせえよ』
「…………」
腹立つ。
こんな時まで。
出てくる。
「やります」
「よし」
書類を受け取った。
自分の席へ戻りながら。
小さく呟く。
「見とけよ、颯真兄ちゃん」
あたしだって。
頑張る。
颯真兄ちゃんが。
あたしの知らないところで。
何かを頑張っているなら。
あたしも。
ちゃんと。
前に進む。
次に会った時。
驚かせてやるんだから。



