『もう、好きじゃないことにした』


***

一方、莉央は新幹線の駅にいた。

小さなキャリーケースを引いて。

行き先は、以前旅行で訪れたことのある地方の街。

しばらくそこで暮らすつもりだ。


仕事を辞めることを決めたとき、
上司からは、
「また働きたくなったら、いつでも戻っておいで」
そう言ってもらってた。

その言葉が、胸に沁みた。

大好きな職場だった。
戻ろうと思えばいつでも戻れる場所があることは、ありがたかった。

それでも――

新しく頑張りたい。



「蓮と離れたい」と、
そう思ったわけではない。


ただ、蓮のことを好きなまま、
今までと同じ場所で過ごし続けることが、
今の自分には苦しかった。


蓮との思い出がたくさん残る場所を離れて、
新しい知らない場所で。



だから私は、過去に戻るのではなく、
新しい場所で始めることを選んだ。


仕事も探す。

住む場所も探す。

蓮とは関係のない場所で。

一からやり直す。

「……これでいいんだ」

自分に言い聞かせる。

「これで、蓮も幸せになれる」

そう思わないと、足が止まりそうだった。

スマホを見る。

蓮からのメッセージが大量に届いている。

『どこにいる?』

『話したい』

『お願いだから連絡して』

『莉央、俺は怒ってないから』

『ちゃんと話そう』

最後のメッセージ。

『俺は莉央のこと諦めないから』

目から涙が落ちた。

「……ずるいよ」

そんなこと言われたら。

本当は戻りたくなる。

でも。

怖かった。

蓮が好きだからこそ。

また失うのが怖い。

だから。

「……ごめんね」

スマホをしまった。

そのまま改札を通ろうとした。



その時。


また携帯が震えた。

画面を見ると、紗季からメッセージが届いていた。

『莉央、ごめん、!』

その一文を見て、首を傾げた。

どうしたんだろう。

返信を打とうとした、そのとき。

 




「莉央!」


聞き覚えのある声。

足が止まった。

ゆっくり振り返る。





「……蓮?」


息を切らした蓮が、少し離れた場所に立っていた。


「……見つけた」


莉央の目が大きくなる。


「なんで……」

「紗季ちゃんに何回もお願いして聞いた」


蓮は走ってきたのか、肩で息をしている。


「……行くの?」


何も言えなかった。


「俺から逃げるために?」

「……逃げるんじゃない」

「じゃあ何?」

「……身を引くの」

「同じだろ」

「違うよ」


莉央は涙を拭った。


「蓮が幸せになれるようにするの」

「俺は莉央がいないと幸せになれないよ」

「……そんなの、今はそう思ってるだけだよ」

「違う」

「違わない」

「違うって」


蓮が一歩近づく。


「俺、昔のこと全部話す」


莉央は黙った。


「美玲とのこと」

「……」

「俺があいつと別れた理由」

「……知ってる」
「美玲さんから聞いた」


蓮は息を呑む。


「……どこまで?」

「好きな人ができて別れたって」

蓮の顔が固まった。

「……そっか」

「蓮、なんで言わなかったの?」

「……怖かったから」

「何が?」

「莉央に、昔の俺を知られるのが」

「……」

「俺が美玲を付き合ってたことも」

「……」

「本当は、あいつを傷つけたくなくて別れたことも」


蓮の声が震える。


「全部、莉央には知られたくなかった」

「どうして?」

「こうやってなるのが怖かった」

「……?」

「うん」


蓮は笑った。


「莉央が『美玲のほうがいいんじゃない?』って思うのが、一番怖かった」


莉央の目に涙が溜まる。


「……私、思ったよ」

「……」

「美玲さんのほうが蓮を分かってるんじゃないかって」

「そんなことない」

「でも、昔の蓮は美玲さんを好きだった」

「うん」


蓮は否定しなかった。


「好きだった…」


その言葉に、胸が痛む。



「でも、今思うとやっぱり――」
「ごめん」
その先を聞くのが怖くて、
蓮の言葉に重ねるように呟いた。



「…それは」


蓮が続ける。


「それは…三年前の話」

「……」

「俺が好きなのは莉央」

「……」

「三年間ずっと、俺が忘れられなかったのも莉央」


涙が溢れる。


「でも……怖い」

「……」

「蓮が昔、美玲さんを好きだったことじゃない」


蓮が黙って莉央を見る。


「私も、いつか美玲さんみたいになるんじゃないかって」

「……ならない」

「分からないよ」

「分かる」

「どうして?」

「俺が分かるから」


蓮は私の前まで迫ってくる。


「俺は昔、自分が苦しくなって、好きな人を勝手に遠ざけた」

「……」

「でも、莉央とは違う」

「何が?」

「莉央の隣は唯一安心できる場所なんだ。」

「……」

「俺も、もう逃げない」


私は首を横に振る。


「……でも」

「何?」

「理由があったからって……」


涙が頬を伝う。


「私が捨てられない保証にはならないよ」


蓮は言葉を失った。


「……」

「美玲さんだって、きっと蓮に捨てられるなんて思ってなかった」

「……」

「私もそうなるのが怖い」

「……莉央」

「今は私のことが好きでも」


私は泣きながら笑った。


「いつか、私より大切な人ができるかもしれない」

「……ない」

「分からないよ」

「ない」

「どうして言い切れるの?」


蓮はしばらく黙った。

そして。

「俺が三年間、莉央を好きだったから」

「……え、?」

「莉央が俺のことを好きじゃなくなった後も」

「……」

「俺はずっと好きだった」

「……」

「一回諦められたくらいで、好きじゃなくなるような気持ちじゃない」


…嬉しい。

涙が止まらない。


それでも。