休日の午後、木のぬくもりが感じられる喫茶店で、愛斗は窓際の席に座っていた。
待ち合わせの相手、加山ありさがドアを開けて入ってくると、ベルが軽やかな音を立てた。
「待った? 愛斗くん」
「ううん、今来たところだよ。座って」
ありさがメニューを見て、店員にコーヒーを注文する。愛斗も同じものを頼むと、ありさはバッグから一枚の紙を取り出してテーブルに置いた。
「これ、持ってきたよ。ピアノが弾ける教室の案内。ここならピアノもちゃんとあるし、進学の相談にも乗ってくれるって。大丈夫そうでしょ?」
愛斗は用紙を手に取り、目を通す。そこには設備の整った教室の写真と、レッスン内容、進学実績が丁寧に記載されていた。
「ありがとう。本当に助かるよ」
「いいよいいよ、気にしないで。……ところで、誰が高校に行くの? 愛斗くん?」
「ううん。子どもたちの教室に乃愛ちゃんっていう女の子がいるんだ。その子がピアニストを目指してるから、進学先を探してたんだ」
「へえ、そうなんだ。生徒さん思いだね、愛斗くんは」
愛斗は少し照れくさそうにコーヒーカップを両手で包み込むように持つ、話し始めた。
乃愛のこと、そして彼女の母親である雪乃のこと——テレビ塔で清掃員として働き、休みも取らずに乃愛のために働いていること、二人の親子の姿を見ているうちに、いつしか目で追うようになったこと。
「……その人のことが、好きなんだね」
ありさが柔らかい声で問うと、愛斗は小さく頷いた。
「……うん」
「写真、見せてくれる?」
愛斗はスマートフォンを取り出し、乃愛と雪乃の二人で写った写真を見せる。ありさは目を見開いて、感嘆の声を上げた。
「めっちゃ可愛いじゃん! 親子そろって素敵だね」
「うん……本当にそう思う」
コーヒーが冷め始める頃、話し込んでいた時間は一時間ほどが過ぎていた。店を出て、通りを並んで歩いていると——前方に乃愛の姿が見えた。
その瞬間、制服姿の男子高校生が乃愛の肩を強く突き飛ばした。乃愛はバランスを崩して地面に膝をつく。
男子たちはそれを見て笑いながら、その場を走り去っていった。
「乃愛ちゃん!」
愛斗は駆け寄り、乃愛の前にしゃがみ込んで手を差し伸べた。乃愛は手を取られ、ゆっくりと立ち上がる。その瞳には悔しさが滲んでいた。
「大丈夫? 怪我はない?」
「……うん」
「こちらはありささん。俺の友達だよ」
乃愛は小さく会釈をする。
「……お願い。このこと、ママには言わないで。お母さんに心配かけたくないの」
乃愛の声は震えていた。
「お母さん、休みもなく毎日、私のために働いてくれてる。清掃員の仕事だって、周りに馬鹿にされたりすることもあるの。それでも頑張ってくれてるんだ。話したら、きっと自分を責めちゃうから……」
愛斗は乃愛の肩に手を置き、真っ直ぐに見つめて言った。
「わかった。絶対に言わない。だけど……悔しくないの? 悔しいなら、戦えよ。自分のために、お母さんのためにも」
ありさも隣から優しく言葉を添える。
「そうだよ。強くなりたいって思うだけでも、きっと変われるよ」
乃愛は涙を拭い、力強く頷いた。
「……そうだよね。私、強くなりたい」
「できるよ、絶対に」
「ありがとう、愛斗くん。ありささんも……」
その後、ありさと別れ、愛斗も家へと帰宅した。
胸の奥に残る乃愛の決意と、雪乃のことを想う気持ち——その日はそのまま眠りについた。
次の日。
愛斗はいつものようにテレビ塔の仕事へと向かった。休憩室に行くと、清掃の手を休めた雪乃がいた。
「おはようございます、雪乃さん」
「あ、愛斗くん。おはよう」
雪乃は愛斗の顔を見て、柔らかく笑顔を浮かべた。
「昨日は乃愛のこと、探してくれて本当にありがとう。心配してくれて、感謝してるわ」
「いえ、乃愛ちゃんも無事でよかったです。何かあったらいつでも言ってくださいね」
その後、それぞれの持ち場に戻り仕事を続けていると——ありさ、高、正子、勇一の四人がテレビ塔に遊びに来た。
「愛斗くん、どこかなー」
高が辺りを見回し、清掃をしている雪乃に声をかける。
「すみません、愛斗くんの居場所を教えてもらえますか?」
雪乃は四人を見て、穏やかに微笑む。
「愛斗くんのお友達なんですね。あちらの事務室の方にいますよ」
「ありがとうございます」
高は雪乃の横顔を見て、率直な感想を口にした。
「……写真で見るより、ずっと綺麗なんですね」
雪乃は目を瞬かせ、首を傾げる。
「え? 私の写真、見たことがあるんですか?」
「あ、ホームページの写真を見たんですよ!」
ありさがすかさず言葉を重ね、愛斗が写真を見せてくれたことをそっとごまかす。
人が愛斗のもとへ歩いていくと、愛斗は雪乃と話し終えたばかりで、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「愛斗くん、あの人と話してるとき、すごく嬉しそうだったね。仲良しなんだね」
正子がからかうように言うと、愛斗は慌てる。
「あ、うん……そうだね」
「でも、ただ仲良しって感じじゃないと思うよ」
ありさがにっこり笑いながら続ける。
「愛斗くん、あの人のことが好きなんだよね?」
「……うん。好きだよ。だから仲良くなりたいんだ」
そのとき、ありさが少しだけ声を落として打ち明けた。
「……実はね、私も高さんのことが好きなんだ。ずっと片思いなの」
愛斗は驚いてありさを見る。
「そうだったのか。高さん、すごく綺麗な人だもんね。年上だけど……」
「うん。年上だけど、それでも好きなの」
その後、四人と話しているうちに休憩時間は終わり、愛斗は仕事に戻った。
次の休憩時間、愛斗は雪乃のもとへ行く。
「雪乃さん。日曜日、空いてますか?」
「え? 日曜日? うん、空いてるわよ。どうしたの?」
「実は、日曜日に友達がピアノ教室を開くんです。よかったら、乃愛ちゃんと一緒に行きませんか?」
雪乃は少し驚いて、瞳を大きく開く。
「え……二人で、ってこと?」
「あ、乃愛ちゃんも一緒ですよ! 乃愛ちゃんの進学先の参考にもなると思うので」
「ああ、そういうことね。うん、いいわ。乃愛も喜ぶと思う」
愛斗は胸が高鳴るのを感じながら、スマートフォンを取り出す。
「よかったら、LINE交換しませんか? 詳細を送りますし、何かあったときにも連絡取れるように」
「うん、いいよ」
雪乃がQRコードを表示するのを待ち、愛斗はカメラを起動して画面に収める。
登録が完了し、雪乃の名前が画面に表示された瞬間——心の中で小さくガッツポーズをした。
「じゃあ、また日曜日に。連絡しますね」
「うん、楽しみにしてる。ありがとう、愛斗くん」
雪乃が立ち去った後も、愛斗は手の中のスマートフォンを見つめ、思わず笑みがこぼれる。日曜日が待ち遠しくてたまらない——そんな気持ちを抱えながら、愛斗はその日の仕事を終え、家へと帰宅した。
待ち合わせの相手、加山ありさがドアを開けて入ってくると、ベルが軽やかな音を立てた。
「待った? 愛斗くん」
「ううん、今来たところだよ。座って」
ありさがメニューを見て、店員にコーヒーを注文する。愛斗も同じものを頼むと、ありさはバッグから一枚の紙を取り出してテーブルに置いた。
「これ、持ってきたよ。ピアノが弾ける教室の案内。ここならピアノもちゃんとあるし、進学の相談にも乗ってくれるって。大丈夫そうでしょ?」
愛斗は用紙を手に取り、目を通す。そこには設備の整った教室の写真と、レッスン内容、進学実績が丁寧に記載されていた。
「ありがとう。本当に助かるよ」
「いいよいいよ、気にしないで。……ところで、誰が高校に行くの? 愛斗くん?」
「ううん。子どもたちの教室に乃愛ちゃんっていう女の子がいるんだ。その子がピアニストを目指してるから、進学先を探してたんだ」
「へえ、そうなんだ。生徒さん思いだね、愛斗くんは」
愛斗は少し照れくさそうにコーヒーカップを両手で包み込むように持つ、話し始めた。
乃愛のこと、そして彼女の母親である雪乃のこと——テレビ塔で清掃員として働き、休みも取らずに乃愛のために働いていること、二人の親子の姿を見ているうちに、いつしか目で追うようになったこと。
「……その人のことが、好きなんだね」
ありさが柔らかい声で問うと、愛斗は小さく頷いた。
「……うん」
「写真、見せてくれる?」
愛斗はスマートフォンを取り出し、乃愛と雪乃の二人で写った写真を見せる。ありさは目を見開いて、感嘆の声を上げた。
「めっちゃ可愛いじゃん! 親子そろって素敵だね」
「うん……本当にそう思う」
コーヒーが冷め始める頃、話し込んでいた時間は一時間ほどが過ぎていた。店を出て、通りを並んで歩いていると——前方に乃愛の姿が見えた。
その瞬間、制服姿の男子高校生が乃愛の肩を強く突き飛ばした。乃愛はバランスを崩して地面に膝をつく。
男子たちはそれを見て笑いながら、その場を走り去っていった。
「乃愛ちゃん!」
愛斗は駆け寄り、乃愛の前にしゃがみ込んで手を差し伸べた。乃愛は手を取られ、ゆっくりと立ち上がる。その瞳には悔しさが滲んでいた。
「大丈夫? 怪我はない?」
「……うん」
「こちらはありささん。俺の友達だよ」
乃愛は小さく会釈をする。
「……お願い。このこと、ママには言わないで。お母さんに心配かけたくないの」
乃愛の声は震えていた。
「お母さん、休みもなく毎日、私のために働いてくれてる。清掃員の仕事だって、周りに馬鹿にされたりすることもあるの。それでも頑張ってくれてるんだ。話したら、きっと自分を責めちゃうから……」
愛斗は乃愛の肩に手を置き、真っ直ぐに見つめて言った。
「わかった。絶対に言わない。だけど……悔しくないの? 悔しいなら、戦えよ。自分のために、お母さんのためにも」
ありさも隣から優しく言葉を添える。
「そうだよ。強くなりたいって思うだけでも、きっと変われるよ」
乃愛は涙を拭い、力強く頷いた。
「……そうだよね。私、強くなりたい」
「できるよ、絶対に」
「ありがとう、愛斗くん。ありささんも……」
その後、ありさと別れ、愛斗も家へと帰宅した。
胸の奥に残る乃愛の決意と、雪乃のことを想う気持ち——その日はそのまま眠りについた。
次の日。
愛斗はいつものようにテレビ塔の仕事へと向かった。休憩室に行くと、清掃の手を休めた雪乃がいた。
「おはようございます、雪乃さん」
「あ、愛斗くん。おはよう」
雪乃は愛斗の顔を見て、柔らかく笑顔を浮かべた。
「昨日は乃愛のこと、探してくれて本当にありがとう。心配してくれて、感謝してるわ」
「いえ、乃愛ちゃんも無事でよかったです。何かあったらいつでも言ってくださいね」
その後、それぞれの持ち場に戻り仕事を続けていると——ありさ、高、正子、勇一の四人がテレビ塔に遊びに来た。
「愛斗くん、どこかなー」
高が辺りを見回し、清掃をしている雪乃に声をかける。
「すみません、愛斗くんの居場所を教えてもらえますか?」
雪乃は四人を見て、穏やかに微笑む。
「愛斗くんのお友達なんですね。あちらの事務室の方にいますよ」
「ありがとうございます」
高は雪乃の横顔を見て、率直な感想を口にした。
「……写真で見るより、ずっと綺麗なんですね」
雪乃は目を瞬かせ、首を傾げる。
「え? 私の写真、見たことがあるんですか?」
「あ、ホームページの写真を見たんですよ!」
ありさがすかさず言葉を重ね、愛斗が写真を見せてくれたことをそっとごまかす。
人が愛斗のもとへ歩いていくと、愛斗は雪乃と話し終えたばかりで、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「愛斗くん、あの人と話してるとき、すごく嬉しそうだったね。仲良しなんだね」
正子がからかうように言うと、愛斗は慌てる。
「あ、うん……そうだね」
「でも、ただ仲良しって感じじゃないと思うよ」
ありさがにっこり笑いながら続ける。
「愛斗くん、あの人のことが好きなんだよね?」
「……うん。好きだよ。だから仲良くなりたいんだ」
そのとき、ありさが少しだけ声を落として打ち明けた。
「……実はね、私も高さんのことが好きなんだ。ずっと片思いなの」
愛斗は驚いてありさを見る。
「そうだったのか。高さん、すごく綺麗な人だもんね。年上だけど……」
「うん。年上だけど、それでも好きなの」
その後、四人と話しているうちに休憩時間は終わり、愛斗は仕事に戻った。
次の休憩時間、愛斗は雪乃のもとへ行く。
「雪乃さん。日曜日、空いてますか?」
「え? 日曜日? うん、空いてるわよ。どうしたの?」
「実は、日曜日に友達がピアノ教室を開くんです。よかったら、乃愛ちゃんと一緒に行きませんか?」
雪乃は少し驚いて、瞳を大きく開く。
「え……二人で、ってこと?」
「あ、乃愛ちゃんも一緒ですよ! 乃愛ちゃんの進学先の参考にもなると思うので」
「ああ、そういうことね。うん、いいわ。乃愛も喜ぶと思う」
愛斗は胸が高鳴るのを感じながら、スマートフォンを取り出す。
「よかったら、LINE交換しませんか? 詳細を送りますし、何かあったときにも連絡取れるように」
「うん、いいよ」
雪乃がQRコードを表示するのを待ち、愛斗はカメラを起動して画面に収める。
登録が完了し、雪乃の名前が画面に表示された瞬間——心の中で小さくガッツポーズをした。
「じゃあ、また日曜日に。連絡しますね」
「うん、楽しみにしてる。ありがとう、愛斗くん」
雪乃が立ち去った後も、愛斗は手の中のスマートフォンを見つめ、思わず笑みがこぼれる。日曜日が待ち遠しくてたまらない——そんな気持ちを抱えながら、愛斗はその日の仕事を終え、家へと帰宅した。

