「あの……今日も遅くまで、ありがとうございました」
そう言って、雪じいに頭を下げる。
「いいえ。これを持っていきなさい」
差し出されたのは、一本の傘だった。
「え? でも、晴れてますよ?」
外は明るい。夕暮れの光が、窓から差し込んでいる。
「このあと降るかもしれないからのう。また傘を返しにおいで」
「……はい」
そう答えて、傘を受け取る。また、ここに来る口実ができた。そう思うと、なんだか嬉しくなった。
「ありがとうございました!」
美術館を出る。外は、夕暮れだった。少し歩いたところで――。
「あれ……?」
ふと、足を止める。くんくん。
「土の匂いがする」
そうつぶやいた瞬間。ぽつ。頬に、小さな雨粒が落ちた。
「……!」
パラパラと雨が降り始める。私は慌てて傘を開いた。ボツボツ、ザーザー。傘を叩く雨の音が、耳に響く。……雨の音。私は、少しだけ目を閉じた。やっぱり雨は好きだ。
それからしばらく歩くと、雨は少しずつ弱くなっていった。家に着く直前。雲の隙間から、薄い光が差し込む。
「あ……」
そして、ふわりと鼻をくすぐったのは――。
「湿った草の匂いだ」
翼が心の中で思った言葉。今なら、その意味がわかる。なんだか、それだけのことなのに。嬉しくなってしまった。別れたのに。もう、恋人じゃないのに。私の心は、まだ翼を求めている。
翼が好きだったものを知るたびに。翼が見ていた景色を知るたびに。翼が感じた思いを知るたびに。少しずつ、あの日の翼がわかっていく。美術館に通えば――。もっと、何かがわかる気がする。そして。今度こそ、ちゃんと前を向ける気がした。
そう言って、雪じいに頭を下げる。
「いいえ。これを持っていきなさい」
差し出されたのは、一本の傘だった。
「え? でも、晴れてますよ?」
外は明るい。夕暮れの光が、窓から差し込んでいる。
「このあと降るかもしれないからのう。また傘を返しにおいで」
「……はい」
そう答えて、傘を受け取る。また、ここに来る口実ができた。そう思うと、なんだか嬉しくなった。
「ありがとうございました!」
美術館を出る。外は、夕暮れだった。少し歩いたところで――。
「あれ……?」
ふと、足を止める。くんくん。
「土の匂いがする」
そうつぶやいた瞬間。ぽつ。頬に、小さな雨粒が落ちた。
「……!」
パラパラと雨が降り始める。私は慌てて傘を開いた。ボツボツ、ザーザー。傘を叩く雨の音が、耳に響く。……雨の音。私は、少しだけ目を閉じた。やっぱり雨は好きだ。
それからしばらく歩くと、雨は少しずつ弱くなっていった。家に着く直前。雲の隙間から、薄い光が差し込む。
「あ……」
そして、ふわりと鼻をくすぐったのは――。
「湿った草の匂いだ」
翼が心の中で思った言葉。今なら、その意味がわかる。なんだか、それだけのことなのに。嬉しくなってしまった。別れたのに。もう、恋人じゃないのに。私の心は、まだ翼を求めている。
翼が好きだったものを知るたびに。翼が見ていた景色を知るたびに。翼が感じた思いを知るたびに。少しずつ、あの日の翼がわかっていく。美術館に通えば――。もっと、何かがわかる気がする。そして。今度こそ、ちゃんと前を向ける気がした。



