シークレット―世界は守れますが、恋の仕方はわかりません―

 少しして。

 坂の向こうから、一人の男子学生が歩いてきた。

「…………」

 イヤホン。

 スマートフォン。

 直充の目が止まる。

 さっき見た。

 五分先の未来と同じ学生。

「…………」

 男子学生は何も知らずに歩いてくる。

 未来では、台車が坂を下っていた場所。

 そこを通り過ぎる。

 何も起きない。

 そのまま。

 歩いていった。

「…………」

 直充は背中を見送る。

 胸の奥に張っていたものが、ゆっくり解けていく。

 よかった。

 最初に思ったのは。

 それだった。

 時計が使えたことより。

 日誌が正しかったことより。

 何も起きなかったことが。

 よかった。

「…………」

 直充は移動させられた台車を見る。

 ストッパーは、今もきちんと掛かっているように見える。

 その側面。

 管理シール。

『誠星大学 台車番号5』

「…………」

 直充は、その番号を覚えておくことにした。

 なぜ動いたのかは分からない。

 作業員も、最後まで気づかなかった。

 ただ。

 あのままだったら。

 五分後。

 台車は坂を下っていた。

「…………」

 未来が変わった。

 あの日。

 白い鞄の女性を助けたときは。

 見えてしまった未来に、咄嗟に手を伸ばした。

 今回は違う。

 自分で時計を使った。

 未来を見て。

 自分で選んで。

 変えた。

「…………」

 直充は鞄へ手を添えた。

 その瞬間。

「……っ」

 視界が、ふっと揺れた。

「…………」

 一瞬の眩暈。

 すぐに治まった。

 けれど。

 身体には僅かな重さが残る。

 ひどく疲れているわけではない。

 いつも通り動ける。

 それでも。

 さっきまではなかった疲労だった。

「…………」

 日誌の一文が浮かぶ。

 ――長く見るほど、体への負担が大きくなるのかもしれない。

「…………」

 これか。

 五分先で。

 一瞬の眩暈。

 軽い疲労。

「…………」

 今は。

 大したことはない。

 そう思える程度だった。

 けれど。

 もっと先を見れば。

「…………」

 直充は鞄を見る。

 未来を見ることができる。

 そして。

 未来を変えることもできる。

 今日。

 自分の意思で確かめた。

 でも。

 使えば。

 身体には負担が残る。

「…………」

 それに。

 未来を知れば。

 放っておけなくなる。

 さっきだって。

 知らなければ、そのまま通り過ぎていたかもしれない。

「…………」

 直充は鞄から手を離した。

 便利だから。

 知りたいから。

 そんな理由では使わない。

 必要なときだけ。

「…………」

 そう決めて。

 直充は歩き出した。

 背後には。

 場所を移された台車。

 前には。

 何も知らずに歩いていく学生たち。

 誰も知らない。

 五分先に。

 ここで起こるはずだったことを。

 知っているのは。

 直充だけだった。