君のとなり 〜約束の168〜

三年生は、本来なら半日で下校する日が増えていた。

授業も少なくなり、卒業までの時間が少しずつ短くなっていく。

それでも私は、できるだけ学校に残っていた。

翔も同じだった。

残された時間を、少しでも長く一緒に過ごしたかったから。

その日も、放課後の校庭には陸上部の声が響いていた。

後輩たちが、高跳びの練習をしている。

「翔先輩!」

声をかけられて振り返る翔。

「おぅ」

「先輩、ちょっと跳んでみません?」

「俺が?」

「はい!」

後輩たちが笑う。

翔が私のところへ戻ってくる。

「瑠夏、これ持ってて」

そう言って、着ていた制服のジャケットと鞄を私に渡した。

「え?」

「ちょっと跳んでくる」

「う、うん」

受け取ったジャケットには、翔の温もりが残っていた。

鞄を抱えたまま、私は翔を見つめる。

翔は少しだけ校庭を見つめた。

引退してから、もう跳んでいない。

「……久しぶりだな」

そう呟いて、助走路へ向かった。

私はその姿を見つめながら、胸が高鳴るのを感じていた。

翔が高跳びをする姿を見るのは、これが最後になるかもしれない。

そう思った瞬間、胸の奥がきゅっとした。

翔がバーの高さを確認する。

「先輩、どのくらいにします?」

「……168で」

その数字を聞いた瞬間、私は息を止めた。

私の身長より、少し高い。

あの頃、二人で交わした約束の高さ。

翔がこちらを見る。

そして、ほんの少し笑った。

「瑠夏、見てて」

「……うん」

翔が助走を始める。

一歩。

また一歩。

そして、最後の踏み切り。

身体が宙へ浮く。

背中が反り、バーが翔の視界の下へ流れていく。

次の瞬間――

翔は、軽々とバーを越えた。

マットに着地する。

「先輩、すげぇ!」

後輩たちの声が響く。

でも、私の目には翔しか映っていなかった。

翔が起き上がる。

そして、私を見る。

あの日と同じ。

二人だけに分かる、あのサイン。

翔が胸に拳を当てて、トントンと二度叩く。

そして、親指を立てる。

私も、笑った。

胸の奥が熱くなって、涙がこぼれそうになる。

168cm。

私の身長を超える高さ。

翔が、私の背を越えていく高さ。

それはただのバーの高さじゃない。

私たちが交わした約束。

一緒に笑った時間。

これまで積み重ねてきた、二人だけの思い出。

その全部が、あの一本のバーに重なっているように思えた。

翔が近づいてくる。

「どうだった?」

私は笑いながら、涙を拭った。

「……すごかった」

「泣くなよ」

「だって……」

言葉が続かない。

翔は何も言わず、少しだけ笑った。

その笑顔を見て、私は思った。

この人を好きになって、本当によかった。

あの日、翔が跳んだ168cm。

きっと私は、一生忘れない。

そして――

この約束も。

ずっと、忘れない。