君のとなり 〜約束の168〜

文化祭当日。

校内は朝から、いつも以上に賑やかだった。

廊下には色とりどりの装飾が並び、教室からは笑い声が聞こえてくる。

私は友達と一緒に、いくつもの教室を回っていた。

笑って。

話して。

文化祭を楽しもうとしていた。

でも――

心のどこかには、ずっと翔のことがあった。

スマホが震える。

画面を見ると、翔からメールが届いていた。

『今、どこにいる?』

私は画面を閉じた。

まだ、ちゃんと向き合う勇気がなかった。

だから、既読にもせず、そのままポケットにしまった。



午前中。

翔は校内を歩き回っていた。

教室を覗いて。

廊下を歩いて。

中庭にも行った。

けれど、瑠夏の姿はどこにもない。

何度もスマホを見る。

既読はつかない。

「……どこにいるんだよ」

小さく呟く。

会って話したい。

メールじゃなくて。

ちゃんと顔を見て伝えたい。

そう思って、ずっと探していた。

そして午後。

廊下の向こうから、聞き慣れた笑い声が聞こえた。

翔が顔を上げる。

いた。

友達と並んで歩いている瑠夏。

その姿を見つけた瞬間、胸が大きく鳴った。

「瑠夏!」

瑠夏が振り返る。

目が合った。

一瞬、瑠夏の表情が揺れる。

でも、翔は迷わなかった。

瑠夏のそばまで歩いていき、その手首をそっと掴む。

「え……翔?」

驚いた瑠夏の顔。

その隣にいた友達が、二人を交互に見る。

翔は少し照れたように笑って、

「ごめん。瑠夏、貰っていい?」

そう言った。

友達は一瞬目を丸くして――

「あっ……」

何かを察したように、ふっと笑う。

「……はい」

「ありがと」

そのやり取りに、瑠夏の頬が少し熱くなる。

「ちょっと、翔……」

言い終わる前に、翔が手を引いた。

「こっち」

「え?」

少し強引。

でも、離したくないという気持ちが、その手から伝わってくる。

人の少ない廊下を進んでいく。

階段を上がり、使われていない教室を見つける。

翔は扉を開けた。

中には誰もいない。

二人だけ。

扉が閉まる。

途端に、文化祭の喧騒が遠くなった。

「ちょっと、翔! 痛いよ!」

翔がハッとする。

握っていた手を、すぐに緩めた。

「……ごめん」

瑠夏を見る。

「瑠夏……ごめん」

その声は、さっきまでとは違っていた。

強引に連れてきた勢いなんて、もう残っていない。

ただ、苦しそうだった。

「俺、ずっと考えてた」

瑠夏は何も言わない。

翔は一度、息を吐いた。

「なんで俺、反対したんだろうって」

窓から差し込む午後の光が、教室の床を照らしている。

「瑠夏がやっと見つけたものなのに」

一歩、瑠夏に近づく。

「俺だって、怪我したときに自分の夢を見つけた。スポーツトレーナーになりたいって、自分で決めた」

瑠夏が静かに翔を見る。

「だから、本当は分かってるんだ。自分で決めた未来を、誰かに反対されたら嫌だってことも」

翔は唇を噛んだ。

「なのに……瑠夏が関東に行くって聞いた瞬間、怖くなった」

その言葉に、瑠夏の瞳が揺れる。

「遠くなるだろ」

「……うん」

「今みたいに会えなくなる。放課後、一緒に帰れなくなる。昼休みに屋上で弁当食べることもできなくなる」

一つ一つ言葉にするたび、翔の声が少しずつ震えていく。

「俺の知らない場所で、瑠夏が新しい生活を始める」

そして――

「そこに俺がいないのが、嫌だった」

瑠夏の目に、涙が浮かぶ。

「……翔」

「情けないよな」

翔は苦笑した。

「瑠夏の夢を応援したいって思うより先に、自分が離れたくないって気持ちが出てきた」

少しの沈黙。

翔はポケットに手を入れた。

取り出したのは――

あの日、瑠夏から返されたハチマキ。

瑠夏の目が大きくなる。

「……持ってたの?」

「ずっと」

翔はハチマキを広げる。

そして、瑠夏の手を取った。

「え……?」

さっき強く引いてしまった手首。

今度は、壊れものに触れるように優しく。

翔はその手首に、ハチマキをそっと巻いた。

そして――

ほどけないように、リボン結びにする。

「俺、瑠夏を応援する」

まっすぐな瞳。

「やっと見つけたんだろ。瑠夏がやりたいこと」

「……うん」

「だったら、俺が一番に応援したい」

涙が、瑠夏の頬を伝った。

翔はその涙を見て、少し困ったように笑う。

「だから……これ、受け取ってくれる?」

瑠夏は自分の手首を見る。

そこには、もう一度結ばれたハチマキ。

体育祭の日。

一度は翔に押し返したもの。

それが今、また自分のもとへ戻ってきた。

瑠夏は涙を拭った。

そして、泣きながら微笑む。

「……うん」

小さく頷いた。

「ありがとう、翔」

翔も笑った。

「……よかった」

二人の間に、ようやく穏やかな空気が戻ってくる。

文化祭の歓声が、遠くから聞こえていた。

まだ、二人の未来がどうなるのかは分からない。

離れてしまう未来も、きっと寂しい。

それでも。

今度は、同じ方向を向いていた。

翔は、ハチマキの結ばれた瑠夏の手をそっと握る。

瑠夏も、その手を握り返した。

もう一度。

二人の手が、繋がった。