君のとなり 〜約束の168〜

私は、インターハイまでコマを進めた。

あの日、県大会への切符を手にしたときから、ずっと目指してきた場所。

全国から集まった選手たちが、このフロアに立っている。

客席も、いつもの大会とは比べものにならないほど大きい。

その景色を見渡した瞬間、胸の奥が熱くなった。

ここまで来たんだ。

これまで何度も悔しい思いをして、それでも自分の演技と向き合ってきた。

思うように身体を動かせない時期もあった。

それでも、私はここまで来た。

今、このフロアに立っている。

観覧席には、翔と拓実先輩がいる。

大会を見に来てくれるという約束をしていた。

フロアでは、レオタード姿の選手たちが練習に入っている。

音楽が流れるたび、手具が空を舞うたび、会場いっぱいに張り詰めた空気が広がっていく。

その中で私は、自分の手具を確かめながら、静かに身体を動かしていた。

心臓は、少しだけ速く鼓動している。

緊張している。

それでも、不思議と怖くなかった。

今日の私は、今までの私とは違う。

積み重ねてきたものも、乗り越えてきたものも、全部この身体にある。

あとは、思い切りやるだけ。

「拓実先輩、本当に見に来たんですね」

「瑠夏と約束したからな」

そう言って、拓実はフロアに視線を戻す。

しばらく瑠夏を眺めていた拓実が、ぽつりと言った。

「……瑠夏、スタイルいいな」

「先輩!」

翔がすかさず反応する。

「変なとこ見ないでくださいよ」

拓実は楽しそうに笑った。

「何言ってんだ。新体操なんだから普通だろ」

「……」

「翔、お前ちょっと過保護じゃないか?」

「別に……」

なんて言いながら、翔はフロアから目を離さない。

私はふと、二階の観覧席を見上げた。

いた。

翔と拓実先輩。

目が合った瞬間、私は自然と笑顔になった。

小さく手を振る。

翔も、ほんの少しだけ手を上げてくれた。

やがて、私の名前が呼ばれた。

その瞬間、背後から大きな声が響いた。

「瑠夏先輩! ファイトー!」

振り返ると、後輩たちが観覧席から身を乗り出すようにして、手を振っていた。

「瑠夏先輩、頑張ってー!」

「瑠夏先輩ー!」

その声に、私は思わず笑った。

みんながいる。

翔も、拓実先輩もいる。

大丈夫。

私はフロアの中央へ歩いていく。

観覧席にいる翔が見えた。

その隣には、拓実先輩もいる。

二人が見ている。

それだけで、胸の奥に力が湧いてきた。

私は一度、深く息を吸った。

そして、顔を上げた。

いよいよ、私の演技が始まる。

曲が始まる。

ボールが、流れるように滑らかに動いていく。

私の指先から離れたボールが、空中を大きく弧を描く。

受け取る。

転がす。

身体をひねる。

一つ一つの動きが音楽と重なり、私自身が曲の中へ溶け込んでいく。

音楽に合わせて、ボールも私の身体も、一つの流れになっていく。

転がしたボールの際を、身体を低くして、スレスレのところで飛び越える。

あの怪我をした時の技。

一瞬だけ、あの日の痛みが頭をよぎる。

でも、もう止まらない。

今度は、怖くない。

私はそのまま、次の動きへつないでいった。

ボールは私の身体の周りを滑るように動き、私が走れば追いかけるように転がり、投げれば美しい軌道を描いて空へ上がる。

一瞬たりとも、流れを止めない。

身体を伸ばす。

回る。

跳ぶ。

そして、落ちてくるボールを、指先で受け止める。

まるで、ボールまで私の動きを知っているみたいだった。

観覧席から、翔も拓実先輩も、息をするのも忘れたように私を見つめていた。

「……本物の妖精みたいだな」

拓実先輩が、ぽつりと呟く。

翔は何も言わず、ただ頷いた。

最後のポーズ。

静かに身体を止める。

演技が終わった。

私は顔を上げた。

一瞬の静寂。

次の瞬間――

会場いっぱいに、大きな歓声と拍手が響き渡った。

あちこちでフラッシュが光る。

私はその光の中で、ゆっくりと息を吐いた。

観覧席を見る。

翔と拓実先輩が、立ち上がって拍手を送ってくれている。

その姿が見えた瞬間、胸の奥がいっぱいになった。

大きなミスはなかった。

演技を終えた私は、息を整えながら、ほんの少しだけ空を見上げた。

やり切った。

そう思えた。

午後からのリボンの演技も、最後まで自分らしく、伸びやかに踊り切った。

結果は…8位。

名前を見つけた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

悔しい。

もっと上に行きたかった。

でも、不思議と涙は出なかった。

私は笑っていた。

今の私にできることは、全部やった。

その姿を、翔と拓実先輩は観覧席から見つめていた。

悔しさを抱えながらも、最後まで笑っている私を見て――二人とも、嬉しかった。