5月。
新しい学年が始まって一か月。
校庭には、新入部員たちの元気な声が響いていた。
陸上部にも何人もの一年生が加わり、去年までとは少し違う賑やかさがある。
翔も三年生になった。
今では、後輩たちに声をかけ、練習を見てやる立場だ。
「先輩、これで合ってますか?」
「うん。もう一回やってみ」
一年生が助走を始める。
翔は少し離れたところから、その動きをじっと見つめていた。
「踏み切る位置、もうちょっと手前」
「はい!」
「あと、最初から高く跳ぼうとしなくていい。まずは踏み切りを合わせること」
「わかりました!」
一年生がもう一度走り出す。
翔はその姿を見ながら、小さく頷いた。
自分が教えてもらっていた頃とは違う。
今度は、自分が伝える番だ。
そんな翔の姿を――
体育館のバルコニーから、瑠夏が見ていた。
ここから校庭を見るのは、もう癖みたいなものだった。
高校に入ってから、何度この場所に立っただろう。
練習の合間に。
帰る前に。
ふと校庭を覗いて、翔の姿を探してしまう。
今は、わざわざ探さなくてもいい。
だって翔は、自分のところへ来てくれる。
それでも。
校庭のどこかに翔の姿を見つけると、瑠夏の顔は自然とほころんだ。
「……翔、先輩してるな」
後輩に声をかける姿。
真剣な横顔。
失敗した後輩に、もう一度やってみろと笑って声をかける姿。
少し前まで、自分たちも先輩たちを追いかけていたのに。
気づけば、自分たちが追いかけられる側になっている。
三年生になったんだな。
そんなことを思って、瑠夏は小さく笑った。
そして、自分も新体操部では同じだった。
「そこ、もう少し腕を伸ばして」
「はい!」
「そう。その感じ。もう一回やってみよう」
後輩たちを指導しながら、自分の練習にも取り組む。
キャプテンとして、ちゃんとしなきゃ。
そう思うようになった。
そして――
あの新しい技も、少しずつ形になってきている。
ボールを床へ転がす。
その軌道のすぐそばを、身体を躍らせるように跳び越える。
ほんの少しでもタイミングを間違えれば、足がボールに乗ってしまう。
以前、右足をボールに乗せて転倒した技。
あの時は、頭を打って脳震盪まで起こした。
怖かった。
もうやりたくないと思った。
それでも、瑠夏は諦めなかった。
何度も練習して。
何度も失敗して。
ようやく今では、自分の技として形になってきた。
「よし……」
最後の演技を終え、瑠夏は額の汗を拭った。
時計を見る。
今日は、いつもより少し早く練習が終わった。
体育館を出て、校庭へ向かう。
陸上部はまだ練習中。
翔は、もう少しかかりそうだった。
「……待ってよ」
瑠夏はフェンスの近くのベンチで翔を待つことにした。
スマホを眺めながら、ときどき校庭へ視線を向ける。
すると――
一年生の男子たちが、瑠夏に気づいた。
「なあ、あの先輩……」
「ん?」
「めっちゃ可愛くない?」
「新体操部の先輩だよな?」
「そうそう」
「めっちゃスタイルいい……」
「モデルみたいじゃね?」
「彼氏いるのかな」
「いなかったら、俺……」
男子たちが小声で盛り上がっている。
もちろん、瑠夏には聞こえていない。
けれど――
その会話は翔の耳に入っていた。
翔はちらりと瑠夏を見る。
フェンスの近くで、スマホを見ながら自分を待っている。
その姿を見た瞬間、口元が緩んだ。
そして一年生たちに向かって、
「だーめ」
「え?」
一年生たちが振り返る。
翔は笑いながら、瑠夏のほうへ歩いていく。
「瑠夏は俺の彼女」
「えっ!?」
「先輩の彼女なんですか!?」
「そう」
翔は当たり前のように答える。
そして瑠夏のところまで来ると、
「待たせた?」
「ううん」
瑠夏が顔を上げる。
「今日、早かったんだな」
「うん。翔を待ってた」
その言葉を聞いて、翔の顔がさらに嬉しそうになる。
「そっか」
そして自然な動きで、瑠夏の肩に腕を回した。
ぐっと自分のほうへ引き寄せる。
瑠夏の側頭部が、翔の胸に触れた。
「……翔」
「ん?」
「みんな見てる」
「いいじゃん」
翔は笑う。
「俺の彼女だって、知ってもらったし」
「もう……」
瑠夏の頬が赤くなる。
翔はそんな瑠夏を見下ろして、少しだけ笑った。
そして、頭を優しく撫でる。
「可愛い」
「……聞こえてる」
「聞こえるように言った」
「翔って……最近、こういうの平気だよね」
「何が?」
「みんなの前で、こういうことするの」
翔は少し考えるような顔をしてから、
「だって、もう隠す必要ないだろ?」
「……そうだけど」
「俺、瑠夏の彼氏だから」
「うん」
「それに――」
翔は繋いだ手を探すように、瑠夏の手に自分の指を絡める。
「こうしてるの、好き」
瑠夏は俯いた。
耳まで赤くなっている。
「……私も」
小さな声。
「ん?」
「私も、好き」
翔の顔がぱっと明るくなる。
「もう一回」
「言わない」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「じゃあ、俺が言う」
翔は笑って、繋いだ手をぎゅっと握った。
「俺は瑠夏が好き」
「……もう」
瑠夏は笑いながら、翔の肩に少しだけ身体を寄せる。
その様子を見ていた一年生たちは、完全に呆気にとられていた。
「……先輩、めっちゃラブラブじゃん」
「羨ましい……」
「俺も彼女ほしい」
翔が聞こえていたのか、振り返る。
「頑張れ」
一年生たちが苦笑する。
瑠夏は思わず吹き出した。
「翔、意地悪」
「何が?」
「後輩に自慢してる」
「だって、自慢したいじゃん」
「……翔ったら」
瑠夏は笑いながら、翔の制服の袖をつまんだ。
翔はその手を取る。
指を絡める。
「帰ろ」
「うん」
二人並んで歩き出す。
体育館のバルコニーから、何度も見ていた翔の姿。
あの頃は、ただ遠くから眺めていた。
今は違う。
練習が終われば、翔は自分のところへ来てくれる。
手を繋いで、一緒に帰る。
隣にいることが、当たり前になっている。
それが、瑠夏には嬉しかった。
夕暮れの校庭を抜ける。
翔が繋いだ手を、もう一度ぎゅっと握った。
瑠夏も握り返す。
二人はそのまま、並んで校門を出ていった。
新しい学年が始まって一か月。
校庭には、新入部員たちの元気な声が響いていた。
陸上部にも何人もの一年生が加わり、去年までとは少し違う賑やかさがある。
翔も三年生になった。
今では、後輩たちに声をかけ、練習を見てやる立場だ。
「先輩、これで合ってますか?」
「うん。もう一回やってみ」
一年生が助走を始める。
翔は少し離れたところから、その動きをじっと見つめていた。
「踏み切る位置、もうちょっと手前」
「はい!」
「あと、最初から高く跳ぼうとしなくていい。まずは踏み切りを合わせること」
「わかりました!」
一年生がもう一度走り出す。
翔はその姿を見ながら、小さく頷いた。
自分が教えてもらっていた頃とは違う。
今度は、自分が伝える番だ。
そんな翔の姿を――
体育館のバルコニーから、瑠夏が見ていた。
ここから校庭を見るのは、もう癖みたいなものだった。
高校に入ってから、何度この場所に立っただろう。
練習の合間に。
帰る前に。
ふと校庭を覗いて、翔の姿を探してしまう。
今は、わざわざ探さなくてもいい。
だって翔は、自分のところへ来てくれる。
それでも。
校庭のどこかに翔の姿を見つけると、瑠夏の顔は自然とほころんだ。
「……翔、先輩してるな」
後輩に声をかける姿。
真剣な横顔。
失敗した後輩に、もう一度やってみろと笑って声をかける姿。
少し前まで、自分たちも先輩たちを追いかけていたのに。
気づけば、自分たちが追いかけられる側になっている。
三年生になったんだな。
そんなことを思って、瑠夏は小さく笑った。
そして、自分も新体操部では同じだった。
「そこ、もう少し腕を伸ばして」
「はい!」
「そう。その感じ。もう一回やってみよう」
後輩たちを指導しながら、自分の練習にも取り組む。
キャプテンとして、ちゃんとしなきゃ。
そう思うようになった。
そして――
あの新しい技も、少しずつ形になってきている。
ボールを床へ転がす。
その軌道のすぐそばを、身体を躍らせるように跳び越える。
ほんの少しでもタイミングを間違えれば、足がボールに乗ってしまう。
以前、右足をボールに乗せて転倒した技。
あの時は、頭を打って脳震盪まで起こした。
怖かった。
もうやりたくないと思った。
それでも、瑠夏は諦めなかった。
何度も練習して。
何度も失敗して。
ようやく今では、自分の技として形になってきた。
「よし……」
最後の演技を終え、瑠夏は額の汗を拭った。
時計を見る。
今日は、いつもより少し早く練習が終わった。
体育館を出て、校庭へ向かう。
陸上部はまだ練習中。
翔は、もう少しかかりそうだった。
「……待ってよ」
瑠夏はフェンスの近くのベンチで翔を待つことにした。
スマホを眺めながら、ときどき校庭へ視線を向ける。
すると――
一年生の男子たちが、瑠夏に気づいた。
「なあ、あの先輩……」
「ん?」
「めっちゃ可愛くない?」
「新体操部の先輩だよな?」
「そうそう」
「めっちゃスタイルいい……」
「モデルみたいじゃね?」
「彼氏いるのかな」
「いなかったら、俺……」
男子たちが小声で盛り上がっている。
もちろん、瑠夏には聞こえていない。
けれど――
その会話は翔の耳に入っていた。
翔はちらりと瑠夏を見る。
フェンスの近くで、スマホを見ながら自分を待っている。
その姿を見た瞬間、口元が緩んだ。
そして一年生たちに向かって、
「だーめ」
「え?」
一年生たちが振り返る。
翔は笑いながら、瑠夏のほうへ歩いていく。
「瑠夏は俺の彼女」
「えっ!?」
「先輩の彼女なんですか!?」
「そう」
翔は当たり前のように答える。
そして瑠夏のところまで来ると、
「待たせた?」
「ううん」
瑠夏が顔を上げる。
「今日、早かったんだな」
「うん。翔を待ってた」
その言葉を聞いて、翔の顔がさらに嬉しそうになる。
「そっか」
そして自然な動きで、瑠夏の肩に腕を回した。
ぐっと自分のほうへ引き寄せる。
瑠夏の側頭部が、翔の胸に触れた。
「……翔」
「ん?」
「みんな見てる」
「いいじゃん」
翔は笑う。
「俺の彼女だって、知ってもらったし」
「もう……」
瑠夏の頬が赤くなる。
翔はそんな瑠夏を見下ろして、少しだけ笑った。
そして、頭を優しく撫でる。
「可愛い」
「……聞こえてる」
「聞こえるように言った」
「翔って……最近、こういうの平気だよね」
「何が?」
「みんなの前で、こういうことするの」
翔は少し考えるような顔をしてから、
「だって、もう隠す必要ないだろ?」
「……そうだけど」
「俺、瑠夏の彼氏だから」
「うん」
「それに――」
翔は繋いだ手を探すように、瑠夏の手に自分の指を絡める。
「こうしてるの、好き」
瑠夏は俯いた。
耳まで赤くなっている。
「……私も」
小さな声。
「ん?」
「私も、好き」
翔の顔がぱっと明るくなる。
「もう一回」
「言わない」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「じゃあ、俺が言う」
翔は笑って、繋いだ手をぎゅっと握った。
「俺は瑠夏が好き」
「……もう」
瑠夏は笑いながら、翔の肩に少しだけ身体を寄せる。
その様子を見ていた一年生たちは、完全に呆気にとられていた。
「……先輩、めっちゃラブラブじゃん」
「羨ましい……」
「俺も彼女ほしい」
翔が聞こえていたのか、振り返る。
「頑張れ」
一年生たちが苦笑する。
瑠夏は思わず吹き出した。
「翔、意地悪」
「何が?」
「後輩に自慢してる」
「だって、自慢したいじゃん」
「……翔ったら」
瑠夏は笑いながら、翔の制服の袖をつまんだ。
翔はその手を取る。
指を絡める。
「帰ろ」
「うん」
二人並んで歩き出す。
体育館のバルコニーから、何度も見ていた翔の姿。
あの頃は、ただ遠くから眺めていた。
今は違う。
練習が終われば、翔は自分のところへ来てくれる。
手を繋いで、一緒に帰る。
隣にいることが、当たり前になっている。
それが、瑠夏には嬉しかった。
夕暮れの校庭を抜ける。
翔が繋いだ手を、もう一度ぎゅっと握った。
瑠夏も握り返す。
二人はそのまま、並んで校門を出ていった。



