バレンタイン当日。
朝から校内は、いつもより少しだけ浮ついた空気に包まれていた。
廊下を歩く女子たちの手には、小さな袋や箱。
その中でも、ひときわ人目を集めているのは――拓実先輩だった。
「拓実先輩、これ……」
「よかったら、受け取ってください」
「先輩、これも……」
次から次へと差し出されるチョコレート。
拓実先輩は、少し困ったように笑いながらも、一つひとつ丁寧に受け取っていく。
「ありがとう」
「ありがとうございます……!」
渡した女子たちは、それだけで嬉しそうに友達のもとへ戻っていく。
さすが、学校でも有名な人気者。
拓実先輩の腕には、いつの間にかたくさんのチョコが抱えられていた。
そんな光景を横目に、翔は登校すると、真っ先に瑠夏の教室へ向かった。
今日はバレンタイン。
会えると思っていた。
教室の入り口から中を覗く。
けれど――
「……あれ?」
瑠夏の姿がない。
いつもの席にも、いない。
翔は教室の中を見渡した。
「瑠夏、まだ来てない?」
近くにいたクラスメイトに声をかける。
「ああ、瑠夏なら今日休みだよ」
「え?」
「風邪ひいたらしい」
「……風邪?」
翔の表情が、一気に曇った。
慌ててスマホを取り出す。
画面を見ると、瑠夏からメッセージが届いていた。
『翔、おはよう。今日、風邪ひいちゃったから学校お休みするね』
「……なんだ」
ちゃんと連絡をくれていたことに、少しだけ安心する。
けれど――
「……会いたかったな」
今日はバレンタイン。
瑠夏に会いたかった。
顔を見たかった。
少しでも話したかった。
それなのに、今日は会えない。
翔がスマホを見つめていると――
「翔先輩……」
声をかけられた。
振り向く。
そこに立っていたのは、一人の後輩だった。
少し離れたところには、友達らしい女子が数人。
みんなこちらを見ながら、緊張したような表情をしている。
後輩は両手で、小さな袋をぎゅっと握りしめていた。
「どうした?」
翔が優しく声をかける。
「あの……これ」
差し出されたチョコ。
「先輩に、渡したくて……」
「……俺に?」
「はい」
声が震えている。
翔は、その袋と後輩の顔を交互に見る。
何となく、言いたいことは分かった。
「……ごめん」
翔が先に口を開く。
「気持ちは嬉しいんだけど、俺――」
「彼女がいるのは、知ってます」
翔が言葉を止めた。
後輩は、チョコを握り直す。
「知ってるけど……それでも、好きです」
その言葉を口にした瞬間、顔が真っ赤になる。
「迷惑なのも分かってます」
「そんな……」
「でも、今日じゃないと渡せないと思って……」
後ろで見守っている友達も、心配そうにこちらを見ている。
「ずっと……好きでした」
小さな声。
でも、その気持ちはまっすぐ翔に届いた。
翔は少しだけ息を吐く。
「……ごめん。俺には瑠夏がいるから」
はっきりと伝える。
後輩の目が、一瞬だけ寂しそうに揺れた。
それでも、差し出した手は引っ込めない。
「……それでも」
「え?」
「これだけ……受け取ってください」
翔が困ったように首を振る。
「いや、でも……」
「お願いします」
後輩は思い切ったように一歩近づくと、翔の手にチョコを押し込んだ。
「あ……」
翔は思わず受け取る。
後輩は、真っ赤な顔のまま俯いた。
翔は手の中のチョコを見つめてから、優しく言った。
「……ありがとう」
後輩が顔を上げる。
「気持ちは、ちゃんと受け取ったから」
後輩は小さく頷いた。
「……はい」
そして深く頭を下げると、友達のもとへ戻っていった。
翔は、その背中を見送る。
手の中に残った、小さなチョコレート。
断った。
気持ちを受け入れたわけじゃない。
でも――
あの勇気を、無下にはしたくなかった。
なぜなら。
翔も同じだったから。
好きなのに、どうにもできない。
好きな人には、恋人がいる。
それでも、諦められない。
「……俺も、こんなだったのかな」
小さく呟く。
あの頃の自分を思い出していた。
* * *
翌日。
風邪もよくなり、瑠夏が学校へ戻ってきた。
「翔!」
「瑠夏!」
久しぶりに顔を合わせる。
「もう大丈夫?」
「うん」
「よかった」
翔が嬉しそうに笑う。
少し話していると、翔がふと思い出したように言った。
「そういえば、昨日さ」
「ん?」
「後輩にチョコもらった」
「……え?」
瑠夏の動きが止まる。
「チョコ?」
「うん」
翔はすぐに続ける。
「ちゃんと断ったから」
「……うん」
「でも、どうしてもって渡されてさ」
「……そうなんだ」
瑠夏は小さく頷いた。
「その子……翔のこと、好きだったんだね」
「うん」
「そっか……」
翔が瑠夏の顔を見る。
「……嫌だった?」
瑠夏は少し考えてから、首を横に振った。
「ううん」
「本当に?」
「……ちょっとだけ、びっくりした」
正直に答えると、翔が少し嬉しそうに笑った。
「俺、瑠夏に隠したくなかったから」
「……うん」
「ちゃんと話しておきたかった」
その言葉が嬉しかった。
翔は少しだけ遠くを見る。
「俺さ、瑠夏が拓実先輩と付き合ってたとき、ずっと好きだったじゃん」
「……うん」
「だから、あの子の気持ち……ちょっと分かるんだよ」
瑠夏は黙って翔を見る。
「好きなのに、どうにもできないって……結構きついから」
胸の奥が、きゅっと締まった。
あの頃の翔も、きっとこんな気持ちだったんだ。
「だから、ちゃんとありがとうって言った」
「……うん」
「でも、気持ちはちゃんと断った」
瑠夏は少し考えてから、口を開く。
「……その子、すごいね」
「ん?」
「翔に彼女がいるって知ってても、好きって言えたんでしょ?」
「うん」
「……私には、できなかったな」
翔の表情が止まった。
「……瑠夏」
「中学生の頃、私も翔が好きだった。でも、翔には彼女がいると思ってたから……言えなかった」
「……」
「だから、その子の勇気、すごいと思う」
翔はしばらく瑠夏を見つめた。
そして、静かに聞く。
「……じゃあ、今は?」
「え?」
「今は?」
瑠夏は少し照れながら、翔を見る。
「……今は、翔の彼女です」
その瞬間。
翔の顔が、ぱっと明るくなった。
「……瑠夏」
「なに?」
翔が瑠夏の手を取る。
「えっ……」
そのまま、教室の端へ。
カーテンの影になる場所まで、少しだけ強引に連れていかれる。
周りには、まだ生徒がいる。
「翔……?」
翔は答えなかった。
ただ、嬉しそうに瑠夏を見る。
そして――
唇が、そっと重なった。
「……っ」
一瞬だった。
でも、心臓が大きく跳ねる。
翔が離れる。
「……ごめん」
「もう……」
「我慢できなかった」
「こんなところで……」
「だって」
翔が笑う。
「瑠夏が俺の彼女だって言ったから」
瑠夏の顔が熱くなる。
翔は、そんな瑠夏を見て嬉しそうに笑った。
「それに――」
「?」
「俺が欲しかったのは、瑠夏からのチョコだから」
瑠夏は鞄から、小さな包みを取り出した。
「……はい」
翔の目が輝く。
「これ……」
「バレンタイン」
「ありがとう」
翔はチョコを大切そうに受け取った。
「俺、これ大事にする」
「ちゃんと食べてね?」
「もちろん」
翔は嬉しそうに笑って、自分のクラスへ戻っていった。
瑠夏はその背中を見送る。
そして――
さっき翔にキスされた唇に、指先でそっと触れた。
少し照れたように笑って、
「……風邪、うつっちゃったかも」
朝から校内は、いつもより少しだけ浮ついた空気に包まれていた。
廊下を歩く女子たちの手には、小さな袋や箱。
その中でも、ひときわ人目を集めているのは――拓実先輩だった。
「拓実先輩、これ……」
「よかったら、受け取ってください」
「先輩、これも……」
次から次へと差し出されるチョコレート。
拓実先輩は、少し困ったように笑いながらも、一つひとつ丁寧に受け取っていく。
「ありがとう」
「ありがとうございます……!」
渡した女子たちは、それだけで嬉しそうに友達のもとへ戻っていく。
さすが、学校でも有名な人気者。
拓実先輩の腕には、いつの間にかたくさんのチョコが抱えられていた。
そんな光景を横目に、翔は登校すると、真っ先に瑠夏の教室へ向かった。
今日はバレンタイン。
会えると思っていた。
教室の入り口から中を覗く。
けれど――
「……あれ?」
瑠夏の姿がない。
いつもの席にも、いない。
翔は教室の中を見渡した。
「瑠夏、まだ来てない?」
近くにいたクラスメイトに声をかける。
「ああ、瑠夏なら今日休みだよ」
「え?」
「風邪ひいたらしい」
「……風邪?」
翔の表情が、一気に曇った。
慌ててスマホを取り出す。
画面を見ると、瑠夏からメッセージが届いていた。
『翔、おはよう。今日、風邪ひいちゃったから学校お休みするね』
「……なんだ」
ちゃんと連絡をくれていたことに、少しだけ安心する。
けれど――
「……会いたかったな」
今日はバレンタイン。
瑠夏に会いたかった。
顔を見たかった。
少しでも話したかった。
それなのに、今日は会えない。
翔がスマホを見つめていると――
「翔先輩……」
声をかけられた。
振り向く。
そこに立っていたのは、一人の後輩だった。
少し離れたところには、友達らしい女子が数人。
みんなこちらを見ながら、緊張したような表情をしている。
後輩は両手で、小さな袋をぎゅっと握りしめていた。
「どうした?」
翔が優しく声をかける。
「あの……これ」
差し出されたチョコ。
「先輩に、渡したくて……」
「……俺に?」
「はい」
声が震えている。
翔は、その袋と後輩の顔を交互に見る。
何となく、言いたいことは分かった。
「……ごめん」
翔が先に口を開く。
「気持ちは嬉しいんだけど、俺――」
「彼女がいるのは、知ってます」
翔が言葉を止めた。
後輩は、チョコを握り直す。
「知ってるけど……それでも、好きです」
その言葉を口にした瞬間、顔が真っ赤になる。
「迷惑なのも分かってます」
「そんな……」
「でも、今日じゃないと渡せないと思って……」
後ろで見守っている友達も、心配そうにこちらを見ている。
「ずっと……好きでした」
小さな声。
でも、その気持ちはまっすぐ翔に届いた。
翔は少しだけ息を吐く。
「……ごめん。俺には瑠夏がいるから」
はっきりと伝える。
後輩の目が、一瞬だけ寂しそうに揺れた。
それでも、差し出した手は引っ込めない。
「……それでも」
「え?」
「これだけ……受け取ってください」
翔が困ったように首を振る。
「いや、でも……」
「お願いします」
後輩は思い切ったように一歩近づくと、翔の手にチョコを押し込んだ。
「あ……」
翔は思わず受け取る。
後輩は、真っ赤な顔のまま俯いた。
翔は手の中のチョコを見つめてから、優しく言った。
「……ありがとう」
後輩が顔を上げる。
「気持ちは、ちゃんと受け取ったから」
後輩は小さく頷いた。
「……はい」
そして深く頭を下げると、友達のもとへ戻っていった。
翔は、その背中を見送る。
手の中に残った、小さなチョコレート。
断った。
気持ちを受け入れたわけじゃない。
でも――
あの勇気を、無下にはしたくなかった。
なぜなら。
翔も同じだったから。
好きなのに、どうにもできない。
好きな人には、恋人がいる。
それでも、諦められない。
「……俺も、こんなだったのかな」
小さく呟く。
あの頃の自分を思い出していた。
* * *
翌日。
風邪もよくなり、瑠夏が学校へ戻ってきた。
「翔!」
「瑠夏!」
久しぶりに顔を合わせる。
「もう大丈夫?」
「うん」
「よかった」
翔が嬉しそうに笑う。
少し話していると、翔がふと思い出したように言った。
「そういえば、昨日さ」
「ん?」
「後輩にチョコもらった」
「……え?」
瑠夏の動きが止まる。
「チョコ?」
「うん」
翔はすぐに続ける。
「ちゃんと断ったから」
「……うん」
「でも、どうしてもって渡されてさ」
「……そうなんだ」
瑠夏は小さく頷いた。
「その子……翔のこと、好きだったんだね」
「うん」
「そっか……」
翔が瑠夏の顔を見る。
「……嫌だった?」
瑠夏は少し考えてから、首を横に振った。
「ううん」
「本当に?」
「……ちょっとだけ、びっくりした」
正直に答えると、翔が少し嬉しそうに笑った。
「俺、瑠夏に隠したくなかったから」
「……うん」
「ちゃんと話しておきたかった」
その言葉が嬉しかった。
翔は少しだけ遠くを見る。
「俺さ、瑠夏が拓実先輩と付き合ってたとき、ずっと好きだったじゃん」
「……うん」
「だから、あの子の気持ち……ちょっと分かるんだよ」
瑠夏は黙って翔を見る。
「好きなのに、どうにもできないって……結構きついから」
胸の奥が、きゅっと締まった。
あの頃の翔も、きっとこんな気持ちだったんだ。
「だから、ちゃんとありがとうって言った」
「……うん」
「でも、気持ちはちゃんと断った」
瑠夏は少し考えてから、口を開く。
「……その子、すごいね」
「ん?」
「翔に彼女がいるって知ってても、好きって言えたんでしょ?」
「うん」
「……私には、できなかったな」
翔の表情が止まった。
「……瑠夏」
「中学生の頃、私も翔が好きだった。でも、翔には彼女がいると思ってたから……言えなかった」
「……」
「だから、その子の勇気、すごいと思う」
翔はしばらく瑠夏を見つめた。
そして、静かに聞く。
「……じゃあ、今は?」
「え?」
「今は?」
瑠夏は少し照れながら、翔を見る。
「……今は、翔の彼女です」
その瞬間。
翔の顔が、ぱっと明るくなった。
「……瑠夏」
「なに?」
翔が瑠夏の手を取る。
「えっ……」
そのまま、教室の端へ。
カーテンの影になる場所まで、少しだけ強引に連れていかれる。
周りには、まだ生徒がいる。
「翔……?」
翔は答えなかった。
ただ、嬉しそうに瑠夏を見る。
そして――
唇が、そっと重なった。
「……っ」
一瞬だった。
でも、心臓が大きく跳ねる。
翔が離れる。
「……ごめん」
「もう……」
「我慢できなかった」
「こんなところで……」
「だって」
翔が笑う。
「瑠夏が俺の彼女だって言ったから」
瑠夏の顔が熱くなる。
翔は、そんな瑠夏を見て嬉しそうに笑った。
「それに――」
「?」
「俺が欲しかったのは、瑠夏からのチョコだから」
瑠夏は鞄から、小さな包みを取り出した。
「……はい」
翔の目が輝く。
「これ……」
「バレンタイン」
「ありがとう」
翔はチョコを大切そうに受け取った。
「俺、これ大事にする」
「ちゃんと食べてね?」
「もちろん」
翔は嬉しそうに笑って、自分のクラスへ戻っていった。
瑠夏はその背中を見送る。
そして――
さっき翔にキスされた唇に、指先でそっと触れた。
少し照れたように笑って、
「……風邪、うつっちゃったかも」



