君のとなり 〜約束の168〜

文化祭の午後。

ようやく実行委員の仕事から解放された私は、翔と一緒に校内を歩いていた。

展示を見たり、模擬店を覗いたり。

「翔、これ見よう!」

「うん」

「こっちも面白そう」

「瑠夏、楽しそうだな」

「だって、文化祭だもん」

そう言って笑うと、翔も嬉しそうに笑った。

人混みの中を歩いていると、何度も友達に声をかけられた。

「瑠夏、彼氏と一緒じゃん!」

「お似合いー!」

「翔、めっちゃ嬉しそう!」

「うるさい!」

翔が笑いながら返す。

「でも、嬉しい」

「……翔!」

「だって、本当だし」

また、顔が熱くなる。

付き合い始めて、まだそんなに時間が経っていない。

だから、こうしてみんなの前で恋人として並んでいることが、まだ少し恥ずかしい。

でも――

嬉しい。

翔と一緒にいられることが、ただ嬉しかった。

「瑠夏」

「ん?」

「手」

翔が当たり前みたいに手を差し出す。

私は少しだけ照れながら、その手を取った。

ぎゅっと握られる。

「……ずっと繋いでるね」

「うん」

「疲れない?」

「全然」

そう言って、翔は私の手をさらに強く握った。

その温かさが、胸の奥まで染みていく。

今日一日。

私は何度も思った。

翔と付き合えてよかった。

そして――

もっと翔のことを知りたい。

もっと一緒にいたい。

そんな気持ちが、どんどん大きくなっていた。

* * *

夕方。

文化祭の最後を飾る後夜祭が始まった。

グラウンドにはたくさんの生徒が集まり、ステージの周りには明かりが灯っている。

私は翔と一緒に人の波を抜けて、体育館へ向かった。

「翔、どこ行くの?」

「ちょっとこっち」

翔に手を引かれる。

体育館の扉を開ける。

そこから外へ出ると、少し冷たい11月の風が頬を撫でた。

「……ここ」

翔が足を止める。

体育館の外側に続く通路。

グラウンドを見渡せる場所。

周りには、ほとんど人がいない。

「瑠夏、いつもここにいたよね?」

翔が聞く。

私はグラウンドを見つめた。

「うん」

ここは、私がいつも翔の高跳びを見ていた場所。

部活の合間。

体育館のこの扉から外に出て、グラウンドを見ていた。

高跳びのバーを跳び越える翔。

助走をつけて。

地面を蹴って。

身体を浮かせる翔。

私は、いつもここから見ていた。

「ここ、誰もいないね」

「うん」

「特等席だね」

私が笑うと、翔も笑った。

「俺も、ここ好き」

「翔も?」

「うん」

「どうして?」

翔は少しだけ黙って、それから私を見る。

「瑠夏がいつもここにいたから」

「……え?」

「高跳びしてるとき、たまにここ見ると、瑠夏がいるんだよ」

胸が、きゅっとなった。

「気づいてたの?」

「もちろん」

「……知らなかった」

「俺、結構見てたよ」

「もう……」

恥ずかしくて俯く。

すると翔が、私の後ろに回った。

「翔?」

背中に、温かい体温が近づく。

次の瞬間――

ふわっと、腕が回ってきた。

「……っ」

後ろから、そっと抱きしめられる。

翔の腕が私のお腹のあたりに回り、身体ごと包み込まれる。

背中に感じる胸の温かさ。

肩越しに聞こえる呼吸。

「翔……」

「ん?」

「……近い」

「恋人だから」

耳元でそう言われて、顔が一気に熱くなる。

「それ、理由になってないよ」

「俺にはなる」

翔が笑う。

その声が耳元で響いて、心臓がまた速くなる。

「……ドキドキする」

「俺も」

「嘘」

「本当」

そう言って、翔は私を抱く腕に少しだけ力を込めた。

「瑠夏」

「ん?」

「こうしてると、ずっとこのままでいたくなる」

胸の奥が、じんと熱くなる。

私は翔の腕にそっと手を重ねた。

「……私も」

その瞬間――

夜空に打ち上げられた花火が上がった。

ぱぁん――。

「わぁ……!」

思わず空を見上げる。

一つ。

また一つ。

夜空いっぱいに、花火が咲いていく。

「綺麗だね」

私が呟く。

「うん」

翔の声が、すぐ後ろから聞こえた。

後夜祭の会場から、音楽が流れてくる。

Mrs. Pineapple――『点々の唄』。

花火の音と音楽。

冷たい夜風。

そして、翔の腕の中。

全部が重なって、夢みたいだった。

「翔」

「ん?」

「今日、楽しかったね」

「うん」

「朝からずっと忙しかったけど……」

「俺は、午後から瑠夏といられたから満足」

「……もう」

笑ってしまう。

「翔って、本当にそういうこと平気で言うよね」

「だって思ったこと言ってるだけ」

「恥ずかしいよ」

「じゃあ、もっと言おうかな」

「やめて」

「瑠夏、可愛い」

「翔!」

「ほら、赤くなった」

「もう……!」

振り返ろうとすると、翔の腕が少しだけ緩んだ。

その隙間から身体を反転させる。

気づけば、翔と向かい合っていた。

近い。

さっきより、もっと。

見上げると、翔の目が優しく私を見つめている。

「……どうしたの?」

「瑠夏」

「ん?」

翔が私の頬に手を添える。

その手が温かくて、私は動けなくなった。

「……キスしていい?」

心臓が、大きく跳ねた。

「……うん」

小さく頷く。

翔が少しだけ顔を近づける。

目を閉じる。

そして――

唇が重なった。

ほんの一瞬。

触れるだけの、優しいキス。

なのに、身体中が熱くなる。

唇が離れても、翔はすぐには離れなかった。

額が触れそうな距離で、私を見つめている。

「……瑠夏」

「……なに?」

「今、すごく嬉しい」

「私も……」

恥ずかしくて俯こうとすると、翔が笑った。

「顔、真っ赤」

「翔のせいだよ」

「うん。俺のせい」

そう言って、翔はまた私を抱きしめる。

今度は正面から。

ぎゅっと。

「……翔」

「もう一回、いい?」

「え……」

答えるより先に、翔が少しだけ顔を傾ける。

今度は、さっきよりほんの少し長いキス。

唇が離れる。

「……これで、もっと赤くなった」

「……もう、知らない」

翔の胸に顔を埋める。

恥ずかしくて、顔なんて見られない。

すると頭の上から、翔の笑い声が聞こえた。

「可愛い」

「言わないで……」

「無理」

「翔……」

「だって、彼女だもん」

その言葉に、また胸がいっぱいになる。

彼女。

翔の彼女。

その響きが、何度聞いても嬉しい。

花火が夜空に大きく咲く。

そのたびに、翔の腕の中で私は笑った。

* * *

後夜祭が終わっても、私にはまだ仕事が残っていた。

実行委員の片付け。

「翔、先に帰っていいよ」

そう言うと、翔は迷いなく首を横に振った。

「待ってる」

「でも、結構かかるよ?」

「いいよ」

「寒いよ?」

「瑠夏が終わるまで待ってる」

「……本当に?」

「うん」

翔は笑った。

「一緒に帰りたいから」

その言葉に、また胸がきゅっとなる。

結局、翔は校門の近くで待っていてくれた。

すべての片付けを終えて外に出ると、翔がこちらに気づく。

「お疲れ、瑠夏」

「翔……」

「終わった?」

「うん」

翔は私の荷物を受け取る。

「これ、持つ」

「ありがとう」

そして、自然に手を差し出す。

「帰ろ」

「うん」

その手を握った瞬間。

さっきのキスを思い出してしまった。

顔が熱くなる。

「……瑠夏」

「なに?」

「また赤くなってる」

「なってない」

「なってる」

「翔が言うから……」

「じゃあ、言わない」

「……うん」

しばらく歩いてから、翔が繋いだ手を少しだけ揺らした。

「今日、楽しかった?」

「うん」

「俺も」

「……キスも?」

聞いた瞬間、自分で恥ずかしくなった。

翔は少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。

「もちろん」

「……もう聞かなきゃよかった」

「俺は聞いてくれて嬉しい」

「翔って……」

「ん?」

「ずるい」

「何が?」

「そうやって、すぐ嬉しいこと言うところ」

翔は笑って、繋いだ手をぎゅっと握った。

「じゃあ、これからいっぱい言う」

「……うん」

夜の帰り道。

手を繋いで歩く。

さっきまで夜空に咲いていた花火は、もう終わっている。

それでも私の胸の中には、まだ花火が上がっているみたいだった。

今日という日を、私はきっと忘れない。

翔と恋人になって――

初めて一緒に過ごした文化祭。

初めて手を繋いで歩いた。

初めて、二人きりで花火を見た。

そして――

初めて、キスをした。

繋いだ手の温かさを感じながら、私は翔の隣を歩いた。

今、私の隣にいるのは――

大好きな、翔だった。