11月。
文化祭まで、あと一週間。
廊下には、色とりどりの画用紙や模造紙が並び、教室のあちこちから、準備に追われる声が聞こえてくる。
「そこ、もう少し右!」
「えー、これどこに貼るの?」
「実行委員、こっち手伝ってー!」
そんな声を聞きながら、私は掲示物を抱えて廊下を歩いていた。
文化祭の準備。
去年も、こうして毎日のように校内を走り回っていた。
高一の夏。
7月。
文化祭実行委員になった私は、そこで初めて――拓実先輩と出会った。
あの日から、私の世界は変わった。
先輩と一緒に準備をして。
たくさん話して。
笑って。
時には、ドキドキして。
そして、後夜祭の日。
先輩から告白された。
思い出せば、胸の奥が少しだけきゅっとなる。
「……懐かしいな」
思わず、ひとりで呟いた。
今年も私は、文化祭実行委員になった。
やっぱり、こういうことが好きなんだと思う。
みんなで一つのものを作っていく時間。
準備で忙しくて、教室が散らかっていて。
何度も失敗して、やり直して。
それでも、本番の日に完成したものを見ると、全部が楽しい思い出になる。
私は抱えていた掲示物を壁際に置いた。
少し高いところに貼らなければならない。
近くにあった椅子を引き寄せて、その上に立つ。
「よいしょ……」
掲示物の端を持ち上げる。
去年も――
こうしていた。
同じ廊下。
同じような椅子。
同じ文化祭の準備。
ただ、一つだけ違う。
去年、私の隣にいた人は――
「……拓実先輩」
小さく名前がこぼれた。
胸の奥に、去年の記憶が蘇る。
あの頃の私は、先輩のことが好きだった。
先輩と一緒にいるだけで嬉しくて。
先輩に名前を呼ばれるだけで、胸がいっぱいになって。
何気ない仕草ひとつに、心を奪われていた。
そして――
あの日。
この場所で。
「危ないよ」
そう言って、先輩が私の代わりに掲示物を貼ってくれた。
「……」
思い出して、少しだけ笑った。
懐かしい。
そんなことを考えながら、もう一度掲示物を壁に合わせる。
そのときだった。
「――瑠夏?」
背後から聞こえた声に、心臓が跳ねた。
ゆっくり振り返る。
「……拓実先輩」
そこに立っていたのは、拓実先輩だった。
制服姿。
去年と同じ。
でも、去年とは違う。
先輩はもう三年生。
受験もあって、文化祭の実行委員ではない。
それでも、たまたま通りかかったらしい。
先輩は私が椅子の上に立っているのを見ると、少しだけ眉を寄せた。
「まだそんなことしてるの?」
「え?」
「危ないって」
そう言いながら、先輩は私のところまで歩いてくる。
「俺がやるよ」
「え、でも……」
言い終わる前に、先輩の手が伸びてきた。
私の手から、掲示物がすっと奪われる。
「ほら。降りて」
「……はい」
去年と同じだった。
あのときも。
先輩はこうして、私の代わりにやってくれた。
椅子から降りると、私は少し離れたところから先輩を見上げた。
背の高い先輩は、私が貼ろうとしていた場所に掲示物を合わせる。
「ここでいい?」
「はい。……そこです」
「じゃあ、押さえてて」
「はい」
二人で掲示物を貼る。
ほんの数分。
それだけなのに、不思議なほど去年の景色と重なった。
「……去年も、こうしてましたよね」
私が言うと、先輩の手が一瞬だけ止まった。
「覚えてた?」
「もちろんです」
先輩は小さく笑った。
「そっか」
それ以上は何も言わない。
でも、その笑顔を見ていると、去年のことが次々と思い出されていく。
「去年は、先輩も実行委員でしたよね」
「うん」
「毎日、大変だったなぁ」
「瑠夏、最初の頃、段ボール抱えて転びそうになってたよな」
「えっ……覚えてるんですか?」
「覚えてるよ」
先輩が笑う。
「俺、結構心配してたから」
「……恥ずかしいです」
「でも、頑張ってた」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
去年の先輩も、こうして私を見ていてくれた。
そして、私も先輩を見ていた。
好きだった。
大好きだった。
今でも、その気持ちをなかったことにはできない。
でも――
今、私の隣には翔がいる。
体育祭の日。
翔が私に想いを伝えてくれた。
そして私は、その気持ちを受け取った。
今は、翔と恋人になった。
それは、ちゃんと私の中にある。
だから私は、目の前の先輩に笑った。
「ありがとうございます、拓実先輩」
その瞬間。
拓実の胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
――拓実先輩。
その呼び方。
ずっと聞いてきたはずなのに。
以前は、ただ嬉しかった。
けれど今は、その二文字が、自分と瑠夏の間に引かれた線のように感じる。
先輩と後輩。
それ以上でも、それ以下でもない。
拓実は一瞬だけ視線を落とした。
けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「どういたしまして」
そう言って、掲示物の端をもう一度確認する。
「これで大丈夫だな」
「はい」
「じゃあ、俺行くわ」
「はい。受験、大変ですよね」
「まあね」
先輩は苦笑する。
それから少しだけ私を見る。
「瑠夏」
「はい?」
「今年の文化祭も、楽しんで」
「……はい」
「去年より、もっと」
そう言って、先輩は笑った。
優しい笑顔だった。
去年、私が好きだった笑顔。
今も変わらない。
「ありがとうございます」
「じゃあな」
「はい。拓実先輩も、頑張ってください」
「うん」
先輩は手を上げて、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
私はその背中を見送る。
去年なら。
きっと、先輩の背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
でも今は――
「……よし」
小さく息を吐いて、私は掲示物を見上げた。
今年の文化祭。
去年とは違う。
同じ場所。
同じ季節。
同じ文化祭。
だけど――
私の隣にいる人は、もう違う。
そのことが、少しだけ不思議で。
そして――
少しだけ、嬉しかった。
文化祭まで、あと一週間。
廊下には、色とりどりの画用紙や模造紙が並び、教室のあちこちから、準備に追われる声が聞こえてくる。
「そこ、もう少し右!」
「えー、これどこに貼るの?」
「実行委員、こっち手伝ってー!」
そんな声を聞きながら、私は掲示物を抱えて廊下を歩いていた。
文化祭の準備。
去年も、こうして毎日のように校内を走り回っていた。
高一の夏。
7月。
文化祭実行委員になった私は、そこで初めて――拓実先輩と出会った。
あの日から、私の世界は変わった。
先輩と一緒に準備をして。
たくさん話して。
笑って。
時には、ドキドキして。
そして、後夜祭の日。
先輩から告白された。
思い出せば、胸の奥が少しだけきゅっとなる。
「……懐かしいな」
思わず、ひとりで呟いた。
今年も私は、文化祭実行委員になった。
やっぱり、こういうことが好きなんだと思う。
みんなで一つのものを作っていく時間。
準備で忙しくて、教室が散らかっていて。
何度も失敗して、やり直して。
それでも、本番の日に完成したものを見ると、全部が楽しい思い出になる。
私は抱えていた掲示物を壁際に置いた。
少し高いところに貼らなければならない。
近くにあった椅子を引き寄せて、その上に立つ。
「よいしょ……」
掲示物の端を持ち上げる。
去年も――
こうしていた。
同じ廊下。
同じような椅子。
同じ文化祭の準備。
ただ、一つだけ違う。
去年、私の隣にいた人は――
「……拓実先輩」
小さく名前がこぼれた。
胸の奥に、去年の記憶が蘇る。
あの頃の私は、先輩のことが好きだった。
先輩と一緒にいるだけで嬉しくて。
先輩に名前を呼ばれるだけで、胸がいっぱいになって。
何気ない仕草ひとつに、心を奪われていた。
そして――
あの日。
この場所で。
「危ないよ」
そう言って、先輩が私の代わりに掲示物を貼ってくれた。
「……」
思い出して、少しだけ笑った。
懐かしい。
そんなことを考えながら、もう一度掲示物を壁に合わせる。
そのときだった。
「――瑠夏?」
背後から聞こえた声に、心臓が跳ねた。
ゆっくり振り返る。
「……拓実先輩」
そこに立っていたのは、拓実先輩だった。
制服姿。
去年と同じ。
でも、去年とは違う。
先輩はもう三年生。
受験もあって、文化祭の実行委員ではない。
それでも、たまたま通りかかったらしい。
先輩は私が椅子の上に立っているのを見ると、少しだけ眉を寄せた。
「まだそんなことしてるの?」
「え?」
「危ないって」
そう言いながら、先輩は私のところまで歩いてくる。
「俺がやるよ」
「え、でも……」
言い終わる前に、先輩の手が伸びてきた。
私の手から、掲示物がすっと奪われる。
「ほら。降りて」
「……はい」
去年と同じだった。
あのときも。
先輩はこうして、私の代わりにやってくれた。
椅子から降りると、私は少し離れたところから先輩を見上げた。
背の高い先輩は、私が貼ろうとしていた場所に掲示物を合わせる。
「ここでいい?」
「はい。……そこです」
「じゃあ、押さえてて」
「はい」
二人で掲示物を貼る。
ほんの数分。
それだけなのに、不思議なほど去年の景色と重なった。
「……去年も、こうしてましたよね」
私が言うと、先輩の手が一瞬だけ止まった。
「覚えてた?」
「もちろんです」
先輩は小さく笑った。
「そっか」
それ以上は何も言わない。
でも、その笑顔を見ていると、去年のことが次々と思い出されていく。
「去年は、先輩も実行委員でしたよね」
「うん」
「毎日、大変だったなぁ」
「瑠夏、最初の頃、段ボール抱えて転びそうになってたよな」
「えっ……覚えてるんですか?」
「覚えてるよ」
先輩が笑う。
「俺、結構心配してたから」
「……恥ずかしいです」
「でも、頑張ってた」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
去年の先輩も、こうして私を見ていてくれた。
そして、私も先輩を見ていた。
好きだった。
大好きだった。
今でも、その気持ちをなかったことにはできない。
でも――
今、私の隣には翔がいる。
体育祭の日。
翔が私に想いを伝えてくれた。
そして私は、その気持ちを受け取った。
今は、翔と恋人になった。
それは、ちゃんと私の中にある。
だから私は、目の前の先輩に笑った。
「ありがとうございます、拓実先輩」
その瞬間。
拓実の胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
――拓実先輩。
その呼び方。
ずっと聞いてきたはずなのに。
以前は、ただ嬉しかった。
けれど今は、その二文字が、自分と瑠夏の間に引かれた線のように感じる。
先輩と後輩。
それ以上でも、それ以下でもない。
拓実は一瞬だけ視線を落とした。
けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「どういたしまして」
そう言って、掲示物の端をもう一度確認する。
「これで大丈夫だな」
「はい」
「じゃあ、俺行くわ」
「はい。受験、大変ですよね」
「まあね」
先輩は苦笑する。
それから少しだけ私を見る。
「瑠夏」
「はい?」
「今年の文化祭も、楽しんで」
「……はい」
「去年より、もっと」
そう言って、先輩は笑った。
優しい笑顔だった。
去年、私が好きだった笑顔。
今も変わらない。
「ありがとうございます」
「じゃあな」
「はい。拓実先輩も、頑張ってください」
「うん」
先輩は手を上げて、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
私はその背中を見送る。
去年なら。
きっと、先輩の背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
でも今は――
「……よし」
小さく息を吐いて、私は掲示物を見上げた。
今年の文化祭。
去年とは違う。
同じ場所。
同じ季節。
同じ文化祭。
だけど――
私の隣にいる人は、もう違う。
そのことが、少しだけ不思議で。
そして――
少しだけ、嬉しかった。



