夏の夜。
今日は、花火大会の日だった。
待ち合わせ場所に着いた瑠夏は、少し緊張したように辺りを見回していた。
淡い色の浴衣に身を包み、髪もいつもとは少し違う。
やがて、人混みの向こうから拓実が歩いてくる。
瑠夏を見つけた瞬間、拓実の足が止まった。
「……瑠夏」
「拓実」
瑠夏が笑う。
「待った?」
「ううん。今来たところ」
拓実は、しばらく瑠夏を見つめていた。
「……何?」
「いや……」
少し照れくさそうに笑う。
「可愛すぎて、ちょっと困ってる」
「……もう」
瑠夏の頬が赤くなる。
「拓実も似合ってるよ」
「ありがと」
拓実は嬉しそうに笑って、自然に瑠夏の手を取った。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
二人は並んで歩き出した。
通りにはたくさんの出店が並び、人で賑わっている。
焼きそばの匂い。
甘いりんご飴。
射的にヨーヨー釣り。
どこを見ても夏祭りの景色が広がっていた。
「拓実、あれやりたい」
「射的?」
「うん」
「瑠夏、こういうの得意そう」
「失礼だなぁ」
「じゃあ勝負する?」
「負けないよ」
二人で笑いながら、射的の台に並ぶ。
結果は――。
「……拓実、ずるい」
「何が?」
「最後の一個、私が狙ってたのに」
「早い者勝ち」
「もう」
頬を膨らませる瑠夏を見て、拓実が笑う。
「じゃあ、これあげる」
「え?」
拓実が取った景品を瑠夏に差し出す。
「はい」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
瑠夏が嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、拓実も笑った。
しばらく歩いていると、人の波が一気に押し寄せてきた。
「瑠夏」
「ん?」
拓実が繋いでいた手を、少し強く握る。
「離れるなよ」
「大丈夫だよ」
「俺が離したくないの」
「……拓実」
瑠夏の頬が赤くなる。
「何?」
「……ううん」
二人はまた歩き出した。
花火が始まる時間が近づき、人混みを少し離れた場所へ移動する。
静かな場所に並んで座る。
やがて、夜空に大きな花が咲いた。
ドン――。
「綺麗……」
瑠夏が空を見上げる。
「うん」
拓実は花火ではなく、隣にいる瑠夏を見ていた。
花火の光に照らされた横顔。
いつもより少し大人びて見える。
「今日、楽しい?」
「うん。すごく」
「俺も」
瑠夏が拓実を見る。
「また来ようね」
「……うん」
「来年も」
拓実は少しだけ間を置いて、笑った。
「来年も」
その言葉が、後からこんなにも胸を締めつけることを、二人はまだ知らなかった。
拓実が、そっと瑠夏の手を握る。
瑠夏も握り返した。
「瑠夏」
「ん?」
拓実がゆっくり顔を近づける。
瑠夏も静かに目を閉じた。
あと少し。
唇が触れる――
その瞬間。
瑠夏の頭に、翔の顔が浮かんだ。
胸が苦しくなる。
瑠夏は、俯いた。
「……ごめんなさい」
拓実の動きが止まった。
「……瑠夏?」
瑠夏は顔を上げられない。
「どうした?」
「……」
拓実は、しばらく瑠夏を見つめていた。
そして、静かに尋ねる。
「……俺じゃないやつがいるの?」
「え?」
「瑠夏の中に」
「……そんなこと……」
否定しようとした。
けれど、言葉が続かなかった。
拓実は、その沈黙を見つめる。
「いる……よね?」
瑠夏の目から、涙がこぼれた。
「……」
「瑠夏」
「……翔」
その名前を聞いた瞬間。
拓実は目を伏せた。
やっぱり――そうだった。
あの大会の日。
瑠夏が翔を見つめていた、あの表情。
ずっと胸の中に引っかかっていたものが、今、はっきりと繋がった。
「……そっか」
拓実は、少しだけ笑った。
「やっぱり、翔なんだな」
「……ごめん」
「……うん」
拓実はすぐには顔を上げられなかった。
「もう……言わなくていいよ」
「……」
「瑠夏が謝るたびに、俺まで苦しくなるから」
瑠夏の涙が、またこぼれた。
拓実はしばらく夜空を見上げた。
「俺さ……あの大会の日から、なんとなく考えてたんだ」
「……」
「瑠夏の心に、翔がいるんじゃないかって」
瑠夏は何も言えない。
「でも、考えないようにしてた」
拓実の声が少し震えた。
「俺、瑠夏のこと本当に好きだから」
「……拓実」
「だから、信じたかった」
拓実は瑠夏を見る。
「でも……今の瑠夏を見たら、もう分かった」
瑠夏の頬を、また涙が伝う。
「俺たち、別れよう」
「……嫌」
瑠夏が首を横に振る。
「嫌だよ……」
「瑠夏」
「私、拓実のこと好きだよ……」
「うん」
「本当に好き……」
「分かってる」
拓実の目にも、涙が滲んだ。
「俺も、瑠夏が好きだよ」
「じゃあ、どうして……」
「だからだよ」
拓実は優しく言った。
「俺が好きだからこそ、あんな顔をしてる瑠夏を縛りたくない」
「……」
「俺の隣にいることを、義務にしたくないんだ」
瑠夏は、もう何も言えなかった。
ただ、涙を流し続ける。
拓実は、そんな瑠夏を見つめた。
「……最後にひとつだけ、わがまま言っていい?」
瑠夏が涙で濡れた目を上げる。
「……うん」
「最後に……ちゃんとキスしたい」
瑠夏の唇が、わずかに震えた。
そして、静かに頷く。
拓実がそっと瑠夏の頬に触れる。
今度は、瑠夏も目を閉じた。
唇が重なる。
ほんの一瞬。
それでも、二人が恋人として過ごした時間が、全部詰まっているようなキスだった。
離れたあと、拓実が小さく笑う。
「……やっぱり、好きだな」
「……拓実」
「だから、もう泣くなよ」
「無理だよ……」
「そっか」
拓実も、涙を堪えるように笑った。
「じゃあ、今日は泣こう」
その言葉を聞いた瞬間。
瑠夏は拓実の胸に飛び込んだ。
「拓実……っ」
声を上げて泣く。
拓実は瑠夏を強く抱きしめた。
何も言わずに。
ただ、最後まで優しく。
「……ごめんね」
「……うん」
拓実は瑠夏の髪をそっと撫でる。
「俺と付き合ってくれて、ありがとう」
「……っ」
「幸せだった」
「私も……」
「そっか」
瑠夏は拓実の胸の中で泣き続けた。
拓実も、瑠夏を抱きしめたまま目を閉じる。
本当は、離したくなかった。
このままずっと、抱きしめていたかった。
けれど――
もう、離さなければならない。
夜空では、花火が次々と咲いていく。
大きな音が響くたびに、二人の影が一瞬だけ明るくなる。
さっきまで、
「また来年も来ようね」
そう言っていた二人。
でも――
来年、この場所に二人で来ることはない。
そして私は、この夜を忘れない。
拓実と初めて唇を重ねたことも。
そのキスが、最後になったことも。
私のファーストキスは、別れのキスだった。
その夜。
二人が恋人として見る、最後の花火だった。
今日は、花火大会の日だった。
待ち合わせ場所に着いた瑠夏は、少し緊張したように辺りを見回していた。
淡い色の浴衣に身を包み、髪もいつもとは少し違う。
やがて、人混みの向こうから拓実が歩いてくる。
瑠夏を見つけた瞬間、拓実の足が止まった。
「……瑠夏」
「拓実」
瑠夏が笑う。
「待った?」
「ううん。今来たところ」
拓実は、しばらく瑠夏を見つめていた。
「……何?」
「いや……」
少し照れくさそうに笑う。
「可愛すぎて、ちょっと困ってる」
「……もう」
瑠夏の頬が赤くなる。
「拓実も似合ってるよ」
「ありがと」
拓実は嬉しそうに笑って、自然に瑠夏の手を取った。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
二人は並んで歩き出した。
通りにはたくさんの出店が並び、人で賑わっている。
焼きそばの匂い。
甘いりんご飴。
射的にヨーヨー釣り。
どこを見ても夏祭りの景色が広がっていた。
「拓実、あれやりたい」
「射的?」
「うん」
「瑠夏、こういうの得意そう」
「失礼だなぁ」
「じゃあ勝負する?」
「負けないよ」
二人で笑いながら、射的の台に並ぶ。
結果は――。
「……拓実、ずるい」
「何が?」
「最後の一個、私が狙ってたのに」
「早い者勝ち」
「もう」
頬を膨らませる瑠夏を見て、拓実が笑う。
「じゃあ、これあげる」
「え?」
拓実が取った景品を瑠夏に差し出す。
「はい」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
瑠夏が嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、拓実も笑った。
しばらく歩いていると、人の波が一気に押し寄せてきた。
「瑠夏」
「ん?」
拓実が繋いでいた手を、少し強く握る。
「離れるなよ」
「大丈夫だよ」
「俺が離したくないの」
「……拓実」
瑠夏の頬が赤くなる。
「何?」
「……ううん」
二人はまた歩き出した。
花火が始まる時間が近づき、人混みを少し離れた場所へ移動する。
静かな場所に並んで座る。
やがて、夜空に大きな花が咲いた。
ドン――。
「綺麗……」
瑠夏が空を見上げる。
「うん」
拓実は花火ではなく、隣にいる瑠夏を見ていた。
花火の光に照らされた横顔。
いつもより少し大人びて見える。
「今日、楽しい?」
「うん。すごく」
「俺も」
瑠夏が拓実を見る。
「また来ようね」
「……うん」
「来年も」
拓実は少しだけ間を置いて、笑った。
「来年も」
その言葉が、後からこんなにも胸を締めつけることを、二人はまだ知らなかった。
拓実が、そっと瑠夏の手を握る。
瑠夏も握り返した。
「瑠夏」
「ん?」
拓実がゆっくり顔を近づける。
瑠夏も静かに目を閉じた。
あと少し。
唇が触れる――
その瞬間。
瑠夏の頭に、翔の顔が浮かんだ。
胸が苦しくなる。
瑠夏は、俯いた。
「……ごめんなさい」
拓実の動きが止まった。
「……瑠夏?」
瑠夏は顔を上げられない。
「どうした?」
「……」
拓実は、しばらく瑠夏を見つめていた。
そして、静かに尋ねる。
「……俺じゃないやつがいるの?」
「え?」
「瑠夏の中に」
「……そんなこと……」
否定しようとした。
けれど、言葉が続かなかった。
拓実は、その沈黙を見つめる。
「いる……よね?」
瑠夏の目から、涙がこぼれた。
「……」
「瑠夏」
「……翔」
その名前を聞いた瞬間。
拓実は目を伏せた。
やっぱり――そうだった。
あの大会の日。
瑠夏が翔を見つめていた、あの表情。
ずっと胸の中に引っかかっていたものが、今、はっきりと繋がった。
「……そっか」
拓実は、少しだけ笑った。
「やっぱり、翔なんだな」
「……ごめん」
「……うん」
拓実はすぐには顔を上げられなかった。
「もう……言わなくていいよ」
「……」
「瑠夏が謝るたびに、俺まで苦しくなるから」
瑠夏の涙が、またこぼれた。
拓実はしばらく夜空を見上げた。
「俺さ……あの大会の日から、なんとなく考えてたんだ」
「……」
「瑠夏の心に、翔がいるんじゃないかって」
瑠夏は何も言えない。
「でも、考えないようにしてた」
拓実の声が少し震えた。
「俺、瑠夏のこと本当に好きだから」
「……拓実」
「だから、信じたかった」
拓実は瑠夏を見る。
「でも……今の瑠夏を見たら、もう分かった」
瑠夏の頬を、また涙が伝う。
「俺たち、別れよう」
「……嫌」
瑠夏が首を横に振る。
「嫌だよ……」
「瑠夏」
「私、拓実のこと好きだよ……」
「うん」
「本当に好き……」
「分かってる」
拓実の目にも、涙が滲んだ。
「俺も、瑠夏が好きだよ」
「じゃあ、どうして……」
「だからだよ」
拓実は優しく言った。
「俺が好きだからこそ、あんな顔をしてる瑠夏を縛りたくない」
「……」
「俺の隣にいることを、義務にしたくないんだ」
瑠夏は、もう何も言えなかった。
ただ、涙を流し続ける。
拓実は、そんな瑠夏を見つめた。
「……最後にひとつだけ、わがまま言っていい?」
瑠夏が涙で濡れた目を上げる。
「……うん」
「最後に……ちゃんとキスしたい」
瑠夏の唇が、わずかに震えた。
そして、静かに頷く。
拓実がそっと瑠夏の頬に触れる。
今度は、瑠夏も目を閉じた。
唇が重なる。
ほんの一瞬。
それでも、二人が恋人として過ごした時間が、全部詰まっているようなキスだった。
離れたあと、拓実が小さく笑う。
「……やっぱり、好きだな」
「……拓実」
「だから、もう泣くなよ」
「無理だよ……」
「そっか」
拓実も、涙を堪えるように笑った。
「じゃあ、今日は泣こう」
その言葉を聞いた瞬間。
瑠夏は拓実の胸に飛び込んだ。
「拓実……っ」
声を上げて泣く。
拓実は瑠夏を強く抱きしめた。
何も言わずに。
ただ、最後まで優しく。
「……ごめんね」
「……うん」
拓実は瑠夏の髪をそっと撫でる。
「俺と付き合ってくれて、ありがとう」
「……っ」
「幸せだった」
「私も……」
「そっか」
瑠夏は拓実の胸の中で泣き続けた。
拓実も、瑠夏を抱きしめたまま目を閉じる。
本当は、離したくなかった。
このままずっと、抱きしめていたかった。
けれど――
もう、離さなければならない。
夜空では、花火が次々と咲いていく。
大きな音が響くたびに、二人の影が一瞬だけ明るくなる。
さっきまで、
「また来年も来ようね」
そう言っていた二人。
でも――
来年、この場所に二人で来ることはない。
そして私は、この夜を忘れない。
拓実と初めて唇を重ねたことも。
そのキスが、最後になったことも。
私のファーストキスは、別れのキスだった。
その夜。
二人が恋人として見る、最後の花火だった。



