「また明日な」
そう言って、Y字路で私から離れていく後ろ姿。その背中を見送る時間が、私は嫌いだ。
だんだん小さくなっていく姿を眺めていると、自分だけがその場に取り残されたような気がする。
背中が見えなくなれば、急に世界が広くなる。だから私は、一人になると走って帰る。
家まで。玄関を開けるまで。そして、そこで思い出す。帰ったところで、家にも誰もいないことを。
自室へ入り、制服のままベッドへ倒れ込む。
そのまま頭まで布団を被ると、暗い空間の中で携帯の光だけが顔を照らす。
目的もなくSNSを開き、画面を滑らせていく。
通知が表示されれば少し期待する。
開いてみれば、ただの広告。
「……何だよ」
携帯を投げ捨てそうになって、やめた。
きっと、あいつに連絡すれば、たぶん出る。私が悪態をついたって、面倒くさそうに笑うだろう。
でも。今は学校じゃない。帰り道でもない。
何の理由もないのに電話するのは、何となく違う気がした。
「でも、いつも笑ってるから……」
どれだけ悪態をついても。どれだけ面倒を掛けても。あいつは、だいたいいつも笑ってくれる。
だから甘えている。それくらいは、自分でも分かっている。
一人でいることから目を逸らすために、動画アプリを開いて音量を上げる。
「ははっ……この猫、どんな態勢してるの」
布団の中で、自分の乾いた笑い声だけが耳に残る。
次はどの動画を観ようか。画面をスクロールして、動画のサムネを見て、適当な動画を選んでいく。
面白くなければ、次の動画へ。面白くても、コメント欄と並行して眺めて。
時間の消費。この退屈な時間が少しでも減るように。
動画の向こうで、楽しそうにゲームをしている人たち。一人でいると、それすら、羨望の対象で。
「……寝よ」
眠くなんてない。
それでも携帯を伏せ、目を閉じる。
それと同時に通知音が鳴った。
「また広告……」
面倒くさそうに画面を見る。
着信。
表示された名前を見た。身体が勝手に動いた。布団から飛び出し、ベッドの上で身体を起こす。
たったそれだけで、世界は明るくなる。
『お、出た出た』
電話の向こうから、いつもと変わらない声が聞こえる。
「なにか用? 勉強で忙しいんだけど」
『明日の英語の範囲でさ。文法が──』
最後まで聞く前にベッドから降り、リュックを開ける。
数学。
国語。
これも違う。
「英語どこやったっけ……」
『おーい、聞いてるか』
「聞いてない。英語が何だって」
引き出しを開け、ようやく目的のノートを見つける。
ページを捲れば、自分でも目が痛くなりそうなくらい色だらけだった。
赤。青。緑。蛍光ペンだらけのノート。でも、あいつがこれを分かりやすいと言ったから。
「ノート、写真で送ればいいの?」
『教えてくれないのかよっ!』
思わず笑った。
電話越しの勉強会が始まる。英語の教科書とノートを開き、聞かれたところを一つずつ説明していく。
質問されれば、すぐ答え。教えるのは嫌いじゃない。
むしろ。
頼られるのは、少し気分がいい。
さっきまで、あんなに進まなかった時間が、今は勝手に流れていく。
『いや、まじで助かったわ』
「今日のあんまんのお返しだから。これでチャラね」
『ちっちぇーな』
もう少し。そう思った。
何か話題はないだろうかと部屋の中へ視線を向ける。
でも、何もない。
電話の向こうから、あいつを呼ぶ家族の声が聞こえてきた。
私は、無意識に自分の部屋を見渡す。電気も点けていない。物も少ない。家族が帰ってくるのは、まだずっと先だ。
『悪い。飯だって言うから、一旦切るわ』
「あっそ」
軽く返した。
でも、携帯を耳から離す気にはなれなかった。
また動画でも見るか。SNSも、もう見飽きた。また暗い布団へ戻るしかない。
『あ、そうだ』
「まだ何か用?」
『時間はお前に合わせるんだけどさ。後で、物理も教えてほしくて』
「物理?」
頭の中を英語から切り替える。
「一年の総復習のはずだから、等速直線運動とか──」
『お前、よくそんなすらすら出てくるな……後で! 後で教えてくれ! 今は英語で体力使い切った』
「何それ」
『じゃ、また後でな』
通話が切れた。
一瞬で、部屋が静かになる。壁掛け時計の秒針だけが、カチ、カチ、と音を立てていた。
私はそのままベッドへ倒れ込む。
静寂が、はっきりと存在を主張してくる。
「あ……ご飯とお風呂、先に済ませとこ」
次にいつ電話が掛かってくるか分からない。
だから、今のうちに──。
私は、急いで部屋を後にする。いつでも電話に出られるように、携帯を手に持ったまま。
そう言って、Y字路で私から離れていく後ろ姿。その背中を見送る時間が、私は嫌いだ。
だんだん小さくなっていく姿を眺めていると、自分だけがその場に取り残されたような気がする。
背中が見えなくなれば、急に世界が広くなる。だから私は、一人になると走って帰る。
家まで。玄関を開けるまで。そして、そこで思い出す。帰ったところで、家にも誰もいないことを。
自室へ入り、制服のままベッドへ倒れ込む。
そのまま頭まで布団を被ると、暗い空間の中で携帯の光だけが顔を照らす。
目的もなくSNSを開き、画面を滑らせていく。
通知が表示されれば少し期待する。
開いてみれば、ただの広告。
「……何だよ」
携帯を投げ捨てそうになって、やめた。
きっと、あいつに連絡すれば、たぶん出る。私が悪態をついたって、面倒くさそうに笑うだろう。
でも。今は学校じゃない。帰り道でもない。
何の理由もないのに電話するのは、何となく違う気がした。
「でも、いつも笑ってるから……」
どれだけ悪態をついても。どれだけ面倒を掛けても。あいつは、だいたいいつも笑ってくれる。
だから甘えている。それくらいは、自分でも分かっている。
一人でいることから目を逸らすために、動画アプリを開いて音量を上げる。
「ははっ……この猫、どんな態勢してるの」
布団の中で、自分の乾いた笑い声だけが耳に残る。
次はどの動画を観ようか。画面をスクロールして、動画のサムネを見て、適当な動画を選んでいく。
面白くなければ、次の動画へ。面白くても、コメント欄と並行して眺めて。
時間の消費。この退屈な時間が少しでも減るように。
動画の向こうで、楽しそうにゲームをしている人たち。一人でいると、それすら、羨望の対象で。
「……寝よ」
眠くなんてない。
それでも携帯を伏せ、目を閉じる。
それと同時に通知音が鳴った。
「また広告……」
面倒くさそうに画面を見る。
着信。
表示された名前を見た。身体が勝手に動いた。布団から飛び出し、ベッドの上で身体を起こす。
たったそれだけで、世界は明るくなる。
『お、出た出た』
電話の向こうから、いつもと変わらない声が聞こえる。
「なにか用? 勉強で忙しいんだけど」
『明日の英語の範囲でさ。文法が──』
最後まで聞く前にベッドから降り、リュックを開ける。
数学。
国語。
これも違う。
「英語どこやったっけ……」
『おーい、聞いてるか』
「聞いてない。英語が何だって」
引き出しを開け、ようやく目的のノートを見つける。
ページを捲れば、自分でも目が痛くなりそうなくらい色だらけだった。
赤。青。緑。蛍光ペンだらけのノート。でも、あいつがこれを分かりやすいと言ったから。
「ノート、写真で送ればいいの?」
『教えてくれないのかよっ!』
思わず笑った。
電話越しの勉強会が始まる。英語の教科書とノートを開き、聞かれたところを一つずつ説明していく。
質問されれば、すぐ答え。教えるのは嫌いじゃない。
むしろ。
頼られるのは、少し気分がいい。
さっきまで、あんなに進まなかった時間が、今は勝手に流れていく。
『いや、まじで助かったわ』
「今日のあんまんのお返しだから。これでチャラね」
『ちっちぇーな』
もう少し。そう思った。
何か話題はないだろうかと部屋の中へ視線を向ける。
でも、何もない。
電話の向こうから、あいつを呼ぶ家族の声が聞こえてきた。
私は、無意識に自分の部屋を見渡す。電気も点けていない。物も少ない。家族が帰ってくるのは、まだずっと先だ。
『悪い。飯だって言うから、一旦切るわ』
「あっそ」
軽く返した。
でも、携帯を耳から離す気にはなれなかった。
また動画でも見るか。SNSも、もう見飽きた。また暗い布団へ戻るしかない。
『あ、そうだ』
「まだ何か用?」
『時間はお前に合わせるんだけどさ。後で、物理も教えてほしくて』
「物理?」
頭の中を英語から切り替える。
「一年の総復習のはずだから、等速直線運動とか──」
『お前、よくそんなすらすら出てくるな……後で! 後で教えてくれ! 今は英語で体力使い切った』
「何それ」
『じゃ、また後でな』
通話が切れた。
一瞬で、部屋が静かになる。壁掛け時計の秒針だけが、カチ、カチ、と音を立てていた。
私はそのままベッドへ倒れ込む。
静寂が、はっきりと存在を主張してくる。
「あ……ご飯とお風呂、先に済ませとこ」
次にいつ電話が掛かってくるか分からない。
だから、今のうちに──。
私は、急いで部屋を後にする。いつでも電話に出られるように、携帯を手に持ったまま。

