ソメイヨシノもどきに不思議がっているうちに、馬車は町外れのアトス寺院に到着した。ここで本日の式典が執り行なわれる。今年元服するこのエリアの貴族はすべて集まるはずだ。
そうはいっても、サイラスと同い年の未成年者は、エリアでたった五名しかいない。貴族街でも外れに位置しているためだ。異世界でも繁華街とそうでない場所では土地の値段に差があるのだろう。このエリアには下位貴族ばかりが住んでいる。
「ご成人、おめでとうございます」
新成人よりも付き添いの家族が多い会場で、シオドアとオリバーも周囲に挨拶して回っている。
サイラスは新成人に用意されたテーブルに近づいていく。
「よっ!」
「やっ!」
同級生が手をあげてサイラスに声をかけてくる。貴族らしい気品もなにもない、男の子同士の挨拶だ。今日成人を迎えるといっても、人は急に大人になれるわけではない。
「サイラス、このアトス寺院で働くんだって?」
「…ああ、ここは寮があるから都合がいいんだ」
僕(サイラス)は同級生たちに頷いてみせる。
「ここは町外れだから、毎日通いじゃ遠いよね~?」
「だけど寮があっていいな。俺の職場は寮がないらしい。毎朝、片道2キロ以上の徒歩だぞ」
「え~、馬車代(通勤費)はつかないの?」
「まさか! 送迎の馬車がつくほど俺らは偉くないだろ?」
「いやいや、2キロくらい歩けよ。鍛錬になるだろ!」
みんな口ぐちに春からの新しい職場の話題を始める。成人すると同時に、貴族はなにがしかの仕事に任官するのが一般的だ。よほど経済的な余裕がなければ無役のまま過ごすことは難しい。
〈ゆうき〉は自分がサイラスとして自然に振舞っていること、友人たちの顔をちゃんと認識できていることにホッとするような、不思議な感覚を持った。
寺院特有のゆったりした音楽が流れてきて、式典が始まることが周知される。
成人の式典はシンプルで美しいものだ。新成人の名前が順番に読み上げられ、成人の証として錫杖と短刀が授与される。役職によっては、錫杖の代わりに長剣と盾を授与される者もいた。
サイラスの順番がきて、名前が呼ばれると白い法衣を着た男性の前までそろりそろりとすり足で進んでいく。お貴族様は決して急がない。
式典の作法は厳格だ。緊張しながら跪いて、法衣の男性から錫杖を受け取る。
(……あっ?)
錫杖を受け取った瞬間、体の中にビリッと大きな痺れを感じた。
(記憶が……)
〈ゆうき〉の中に、サイラスの記憶が下りてくるのがわかる。サイラスの最初の記憶。微笑む父上。今はもういない母上。まだ子供だったあどけないオリバー。それから……。
サイラスの記憶が、どんどんスピードを増して僕の中に溢れてくる。
どこからくるのかわからない、頭の中の「何故か知っている」知識ではなく、サイラス個人の記憶が自分の中に満ちていく。
(記憶がダウンロードされた?)
「サイラス、短剣を授与します」
「謹んでお受けします」
僕は左手で錫杖を持つとシャランと一回遊環を鳴らし、右足を軽く後ろに引く。短剣を右手で受け取ると、左腰の帯にしっかりと差し込んだ。
もう作法に迷うことはない。〈サイラス〉は成人式の作法をしっかりと覚えていたから。
「カッカラ…か」
カッカラというのがこの国での錫杖の呼び方だ。サイラスは家に帰る馬車の中で、自分の錫杖をじっと見つめる。
カッカラを手にした瞬間、自分の中にサイラスが降りてきた。降りてくる…なんていうと心霊系の話のようだが、本当にそんな奇妙な感覚だった。
そして、今はまるでサイラスとゆうきがぴったりと重なり合ったように感じられる。
(なんていうんだろう、こういう感覚。…えっと、二人羽織…かな?)
「不思議な感覚だ」
金色の錫杖は揺らすとシャラシャラ音がする。頭部に遊環と呼ばれる輪っかがついているためだ。サイラスのカッカラには、遊環が二つだけついていた。
「サイラス、どうした? もしかして疲れちゃった?」
馬車の中で兄が心配そうにこちらを見つめている。オリバーは僕の顔色を読むのが、子供の頃から得意なんだ。
「ううん、大丈夫だよ…」
オリバーはいつもそうだ。昔からサイラスを気遣って、とても大切にしてくれる。僕はなんだか姉のさやかを思い出してしまう。さやかも弟の僕に優しかった。
「ほら、サイラス。お前の好きな木だよ!」
馬車は朝も通った小高い丘にと差し掛かっていた。丘の上をオリバーが指さす。日本の桜によく似た満開の白い花が見える。
そうだ、あれはたしかに〈サイラス〉のお気に入りの木だった。日本の記憶を持つ前の、〈サイラス〉が好きだった花。
偶然にも、サイラスはソメイヨシノによく似た花が好きだったんだな。
「きれいだけど、この花はあっという間に散っちゃうんだよな…」
「うん、そうだね」
オリバーと僕は馬車の中から雲のような花を見送る。ソメイヨシノもどきは、悲しいくらい美しく見えた。
馬車はあっという間に丘を通り過ぎて、僕たちのささやかなドイル邸が見えてくる。
「サイラス、着替えておいでよ! みんなでお茶にしよう」
オリバーの快活な声に見送られて、サイラスは重い足取りで自室に戻っていく。
つい昨日まで、ゆうきは母と姉の三人家族だった。三人きりで都内のアパートでひっそりと暮らしていた。日本は治安の良い安全な国といわれているけれど、男のゆうきが思う以上に、母と姉は怖がりだった。
夜間に「物音がした」と怖がるので、野球のバットを持って外を見回ったこともある。「夜道は怖い」といって、母や姉からお迎えの催促がきたりもした。
(…僕がいなくなって、残されたふたりはどうなるんだ?)
ふたりのことを考えると、不安な気持ちで押しつぶされそうだ。ゆうきはもうふたりを助けてあげることができない…。
子供の頃から、(お父さんがいたらいいな)と思っていた。同性の兄弟も欲しかった。兄弟とサッカーや野球ができる友達が羨ましかった。
今、僕にはずっと欲しかった「お父さん」ができた。優しい兄のオリバーもいる。
でも、ここには日本で一緒に暮らした母がいない。仲の良かった姉のさやかもいない。子供の頃から欲しいと思っていたものは与えられた。だけど、僕が持っていたものはすべて、本当にすべて根こそぎ取り上げられてしまった。
(結局、欲しいものすべてが手に入るなんて、そんなことはないんだ)
何かを手に入れたら、何かを失う。僕は父親と兄を手に入れて、母親と姉を失った。めでたい成人の日なのに、僕の目には涙がすうっと溢れてくる。
「あぁ、そうか。僕は悲しかったんだ。……泣きたかったんだ」
ひとりで自室に籠った僕は、ぽろぽろと流れる涙を止めることができなくて、両手で顔を覆い隠す。
僕の中のサイラスが「父上とオリバーが心配するぞ!」と忠告してくる。早く服を着替えて、ふたりのもとに戻らなければ…。
だけど、次から次に溢れてくる涙を止めることができない。…サイラス、君は家族と成人を祝うことができたじゃないか?
(僕はもう、お母さんにもさやかにも二度と会えないんだから…。こんなところでホームシックになったって、もう帰れやしないんだから…)
溶け合ってしまえばいい、もっともっと。ゆうきとサイラスが溶け合って、〈ゆうき〉の悲しみを全部なしにして欲しい。今日はサイラスの成人の日で、僕はとても幸せなはずなんだから…。
そうはいっても、サイラスと同い年の未成年者は、エリアでたった五名しかいない。貴族街でも外れに位置しているためだ。異世界でも繁華街とそうでない場所では土地の値段に差があるのだろう。このエリアには下位貴族ばかりが住んでいる。
「ご成人、おめでとうございます」
新成人よりも付き添いの家族が多い会場で、シオドアとオリバーも周囲に挨拶して回っている。
サイラスは新成人に用意されたテーブルに近づいていく。
「よっ!」
「やっ!」
同級生が手をあげてサイラスに声をかけてくる。貴族らしい気品もなにもない、男の子同士の挨拶だ。今日成人を迎えるといっても、人は急に大人になれるわけではない。
「サイラス、このアトス寺院で働くんだって?」
「…ああ、ここは寮があるから都合がいいんだ」
僕(サイラス)は同級生たちに頷いてみせる。
「ここは町外れだから、毎日通いじゃ遠いよね~?」
「だけど寮があっていいな。俺の職場は寮がないらしい。毎朝、片道2キロ以上の徒歩だぞ」
「え~、馬車代(通勤費)はつかないの?」
「まさか! 送迎の馬車がつくほど俺らは偉くないだろ?」
「いやいや、2キロくらい歩けよ。鍛錬になるだろ!」
みんな口ぐちに春からの新しい職場の話題を始める。成人すると同時に、貴族はなにがしかの仕事に任官するのが一般的だ。よほど経済的な余裕がなければ無役のまま過ごすことは難しい。
〈ゆうき〉は自分がサイラスとして自然に振舞っていること、友人たちの顔をちゃんと認識できていることにホッとするような、不思議な感覚を持った。
寺院特有のゆったりした音楽が流れてきて、式典が始まることが周知される。
成人の式典はシンプルで美しいものだ。新成人の名前が順番に読み上げられ、成人の証として錫杖と短刀が授与される。役職によっては、錫杖の代わりに長剣と盾を授与される者もいた。
サイラスの順番がきて、名前が呼ばれると白い法衣を着た男性の前までそろりそろりとすり足で進んでいく。お貴族様は決して急がない。
式典の作法は厳格だ。緊張しながら跪いて、法衣の男性から錫杖を受け取る。
(……あっ?)
錫杖を受け取った瞬間、体の中にビリッと大きな痺れを感じた。
(記憶が……)
〈ゆうき〉の中に、サイラスの記憶が下りてくるのがわかる。サイラスの最初の記憶。微笑む父上。今はもういない母上。まだ子供だったあどけないオリバー。それから……。
サイラスの記憶が、どんどんスピードを増して僕の中に溢れてくる。
どこからくるのかわからない、頭の中の「何故か知っている」知識ではなく、サイラス個人の記憶が自分の中に満ちていく。
(記憶がダウンロードされた?)
「サイラス、短剣を授与します」
「謹んでお受けします」
僕は左手で錫杖を持つとシャランと一回遊環を鳴らし、右足を軽く後ろに引く。短剣を右手で受け取ると、左腰の帯にしっかりと差し込んだ。
もう作法に迷うことはない。〈サイラス〉は成人式の作法をしっかりと覚えていたから。
「カッカラ…か」
カッカラというのがこの国での錫杖の呼び方だ。サイラスは家に帰る馬車の中で、自分の錫杖をじっと見つめる。
カッカラを手にした瞬間、自分の中にサイラスが降りてきた。降りてくる…なんていうと心霊系の話のようだが、本当にそんな奇妙な感覚だった。
そして、今はまるでサイラスとゆうきがぴったりと重なり合ったように感じられる。
(なんていうんだろう、こういう感覚。…えっと、二人羽織…かな?)
「不思議な感覚だ」
金色の錫杖は揺らすとシャラシャラ音がする。頭部に遊環と呼ばれる輪っかがついているためだ。サイラスのカッカラには、遊環が二つだけついていた。
「サイラス、どうした? もしかして疲れちゃった?」
馬車の中で兄が心配そうにこちらを見つめている。オリバーは僕の顔色を読むのが、子供の頃から得意なんだ。
「ううん、大丈夫だよ…」
オリバーはいつもそうだ。昔からサイラスを気遣って、とても大切にしてくれる。僕はなんだか姉のさやかを思い出してしまう。さやかも弟の僕に優しかった。
「ほら、サイラス。お前の好きな木だよ!」
馬車は朝も通った小高い丘にと差し掛かっていた。丘の上をオリバーが指さす。日本の桜によく似た満開の白い花が見える。
そうだ、あれはたしかに〈サイラス〉のお気に入りの木だった。日本の記憶を持つ前の、〈サイラス〉が好きだった花。
偶然にも、サイラスはソメイヨシノによく似た花が好きだったんだな。
「きれいだけど、この花はあっという間に散っちゃうんだよな…」
「うん、そうだね」
オリバーと僕は馬車の中から雲のような花を見送る。ソメイヨシノもどきは、悲しいくらい美しく見えた。
馬車はあっという間に丘を通り過ぎて、僕たちのささやかなドイル邸が見えてくる。
「サイラス、着替えておいでよ! みんなでお茶にしよう」
オリバーの快活な声に見送られて、サイラスは重い足取りで自室に戻っていく。
つい昨日まで、ゆうきは母と姉の三人家族だった。三人きりで都内のアパートでひっそりと暮らしていた。日本は治安の良い安全な国といわれているけれど、男のゆうきが思う以上に、母と姉は怖がりだった。
夜間に「物音がした」と怖がるので、野球のバットを持って外を見回ったこともある。「夜道は怖い」といって、母や姉からお迎えの催促がきたりもした。
(…僕がいなくなって、残されたふたりはどうなるんだ?)
ふたりのことを考えると、不安な気持ちで押しつぶされそうだ。ゆうきはもうふたりを助けてあげることができない…。
子供の頃から、(お父さんがいたらいいな)と思っていた。同性の兄弟も欲しかった。兄弟とサッカーや野球ができる友達が羨ましかった。
今、僕にはずっと欲しかった「お父さん」ができた。優しい兄のオリバーもいる。
でも、ここには日本で一緒に暮らした母がいない。仲の良かった姉のさやかもいない。子供の頃から欲しいと思っていたものは与えられた。だけど、僕が持っていたものはすべて、本当にすべて根こそぎ取り上げられてしまった。
(結局、欲しいものすべてが手に入るなんて、そんなことはないんだ)
何かを手に入れたら、何かを失う。僕は父親と兄を手に入れて、母親と姉を失った。めでたい成人の日なのに、僕の目には涙がすうっと溢れてくる。
「あぁ、そうか。僕は悲しかったんだ。……泣きたかったんだ」
ひとりで自室に籠った僕は、ぽろぽろと流れる涙を止めることができなくて、両手で顔を覆い隠す。
僕の中のサイラスが「父上とオリバーが心配するぞ!」と忠告してくる。早く服を着替えて、ふたりのもとに戻らなければ…。
だけど、次から次に溢れてくる涙を止めることができない。…サイラス、君は家族と成人を祝うことができたじゃないか?
(僕はもう、お母さんにもさやかにも二度と会えないんだから…。こんなところでホームシックになったって、もう帰れやしないんだから…)
溶け合ってしまえばいい、もっともっと。ゆうきとサイラスが溶け合って、〈ゆうき〉の悲しみを全部なしにして欲しい。今日はサイラスの成人の日で、僕はとても幸せなはずなんだから…。
