「もう、独りにさせない」―誰にも頼れなかった過去ごと、年下御曹司に溺愛されています










九条様の部屋を担当するようになって、
半年が過ぎた頃だった。








その日、キッチンを掃除していて気づいた。









冷蔵庫の中身が、あまりに寂しい。







ミネラルウォーターと、
開封されたままのバターがひとつ。








作り置きどころか、食材そのものがほとんどない。











――この人、家で全然ご飯食べてないんだ。











メモのやり取りから察するに、
仕事漬けの毎日なのだろう。忙しさのあまり自炊どころではなく、外食かコンビニで済ませているに違いない。










少しお節介な気持ちが湧いた。











依頼された作業ではない。それでも、その日は少しだけ多く時間をとって、簡単な煮物と、日持ちのする常備菜をいくつか作った。タッパーに詰めて、冷蔵庫の一番目立つ場所に置く。












『勝手なことをしてすみません。
もしよろしければ、お召し上がりください』


そんなメモを添えて、部屋を後にした。














次の訪問日、テーブルの上には、
いつもより少し長い一文があった。










『ありがとうございました。
こんなにほっとする食事は、久しぶりでした。助かります。』


















なぜか目頭が熱くなった。
誰かのために作ったものを、ちゃんと美味しいと言ってもらえる。それだけのことが、こんなに胸に響くとは思わなかった。








それから時々、常備菜を置くようになった。



メモも少しずつ増えていった。







『卵焼き、優しい甘さで好きでした』










『そういえば、この前の筑前煮も美味しかったです』










忙しい合間を縫って書かれているのだろう、
決して長くはない文章、律儀な人柄が伝わってきた。

















***











ある日、部屋の隅に、
まだ包装も解かれていない大きな箱が置かれていた。
有名メーカーの、最新式の食洗機だった。
メモが添えられている。
















『いただき物なのですが、うちのキッチンには合わず、
使う機会がないので……もしよろしければ、
お使いになりませんか。捨てるのも忍びなくて』















明らかに、値の張るものだった。
何年か前、家電量販店の店頭で見かけて、値札を見てそっと棚に戻したのを覚えている。
あの時の「いつか余裕ができたら」という気持ちを、思い出してしまった。












いくらなんでも、これは受け取れない。
そう思って一度は丁重にお断りのメモを置いた。











次の訪問時、箱はそのまま同じ場所に置かれていて、
新しいメモが添えられていた。

『本当に困っているので、もらっていただけると助かります。処分費用もかかりますし』












そこまで言われると、断り続けるのも意地になっているようで気が引けた。結局、ありがたく頂戴することにした。


















夜、届いた箱を開けて設置したとき、
陽葵がわー!っと駆け寄ってきた。










「これなあに!」





「お皿とか、洗ってくれる機械だよ」





「すごい!ロボットだー!!」









無邪気にはしゃぐ娘を見ながら、
顔も知らない依頼主に、心の中でもう一度お礼を言った。












***











秋も深まったある夜、天気予報が翌日の弱い雨を告げていた。それほど強い雨ではなさそうだったので、特に気にも留めずにいたところ、スマホが鳴った。
会社からの着信だった。











「優花さん、九条様の件で連絡があって。
明日、雨予報だから日程をずらしましょうかって、向こうから申し出があったの」









「え、そんなに大雨なんですか?」









「それが……うちの基準だと、そこまでの警報レベルじゃないのよね。念のため、足元が悪くなるようなら無理させたくないって、わざわざ言ってきてくれて。こんなお客様、初めてだわ」







電話を切ったあと、
しばらくスマホの画面を見つめていた。












会社の基準にも満たない程度の雨予報で、
わざわざ気にかけてくれる依頼主。
仕事の相手として、そこまで丁寧にしてもらう理由はどこにもないはずなのに。
さりげない気遣いに心が温かくなる。








「ママ、誰から電話?」

隣で絵本を広げていた陽葵が、顔を上げて聞いてくる。











「お仕事の、優しいお客さんから」










「あー!靴下探しの人?」










思わず笑ってしまった。
娘的には同じように靴下を無くす同志のようなポジションになりつつあるようだ。
それでも、「うん、そう」と頷きながら、
窓の外の雲行きに目をやった。








顔も知らない。







声も、まだ聞いたことがない。








それなのに、











誰かに大切にされている実感だけが、
静かに積み重なっていく。










――変なの。

















そう思いながらも、
その”変な感覚”を、決して嫌いにはなれずにいた。