声にならない思いをきみに

貴之が鍋からおでんをよそってくれると、愛斗は大根や卵、ちくわなど自分の好きな具材を選んで器に入れてもらい、涼子の分も丁寧に取り分けた。湯気が立つ温かいおでんを前に、愛斗はぽつりと言葉をこぼした。
「涼子さんは毎日こうして手の込んだおいしい料理を食べられて、本当に幸せですね。僕なんて一人暮らしだから、ほとんどコンビニ弁当やインスタントばっかりで、ちゃんとしたものを食べる機会がないんですよ」
「そうなの…?仕事が忙しいのに、自分のことまでなかなか手が回らないのね。大変だね」
「はい。だから本当に、涼子さんみたいに優しくて料理上手な人が奥さんだったら、どれだけ毎日が楽しくて幸せだろうって、いつも思ってるんです」
唐突な真剣な言葉に、涼子は驚いて目を見開き、言葉が出なくなった。しばらくしてふっと頬を赤らめ、照れ隠しに笑いながら話題を逸らそうとしたが、心の奥底ではどきりと胸が躍っていた。
それからも二人は貴之も交えて、仕事のことや最近の出来事などを話しながら、おでんをゆっくりと味わった。食事が終わり、後片付けを手伝ってから、愛斗はその日はそのまま家へと帰宅した。
愛斗の姿が見えなくなると、部屋には涼子と貴之だけが残った。ふと貴之が母親の方を向き、真っ直ぐな目で言った。
「お母さん、愛斗くんのこと、好きでしょ?隠さなくてもいいよ」
「えっ?何言ってるのよ。そんなわけないでしょ、私なんておばさんだし…」
「好きなんだね。僕だってもう大学生なんだから、お母さんが新しく好きな人を作ったり、彼氏ができたりしたって、全然反対しないんだよ。一人で頑張ってきたんだから、これからは自分の幸せも考えてほしいんだ」
息子の優しくて力強い言葉に、涼子は目に涙を浮かべながら、今まで誰にも言えなかった愛斗への想いを、少しずつ打ち明け始めた。
次の日、朝の出勤時間になり、涼子が病棟に姿を現すと、愛斗が先に来ていて、にっこりと笑顔で挨拶をしてくれた。「おはようございます、涼子さん」。愛斗もすぐに制服に着替え、ナースステーションに集まって朝の申し送りを丁寧に聞き、その日の業務の確認を済ませた。
申し送りが終わると、担当している患者たちの食事介助へと向かった。
嚥下が難しい方にはゆっくりと一口ずつ様子を見ながら食べてもらい、「おいしいですか?」と声をかけたり、体勢を整えたりしながら、一人一人に合わせた介助を心がけた。
全員の食事が終わり、片付けも済ませてナースステーションに戻ると、同僚の南碧斗がデスクに座って困ったような顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「あのね、入院してるサチさんがいつも僕のことを『央介さん』って呼ぶんだよ。僕の名前は碧斗なんだけどなあ」
「えっ、そうなんですか。もしかして、サチさんの旦那さんや息子さんの名前が央介さんなんじゃないですか?記憶が混ざっちゃってるのかも」
「確かにそういう可能性もあるね。ちょっと聞いてみるよ」
その時、サチさんの息子の裕也さんが面会に来たので、愛斗たちはそれとなく尋ねてみた。すると、サチさんの旦那さんの名前は榮太郎さんだと教えてくれ、「母は記憶が曖昧になっているところがあるので、すみません」と丁寧に謝ってくれた。その後も業務の合間に少し話をして、やがて休憩時間となった。
休憩室で一息ついていると、涼子が入ってきたので、昨日のお礼を兼ねて話しかけた。
「昨日はおいしいおでんをごちそうさまでした」
。話が弾んでいた時、突然涼子が肩を震わせるように激しく咳き込んだ。愛斗は思わず立ち上がり、
「大丈夫ですか?喉、痛いですか?」
と心配そうに駆け寄った。涼子は手で口を覆いながら、ゆっくりと呼吸を整えてから笑顔で答えた。
「大丈夫だよ。少しむせただけだから、心配しないで」
。それを聞いて愛斗はようやく胸をなで下ろした。
休憩が終わると再び持ち場に戻り、検温や処置、見回りなどの業務を丁寧にこなし、日勤のスタッフから引き継ぎを受けて、そのまま夜勤の体制へと入っていった。