○5月18日(火)
登校後、ハルオくんが週末帰宅でのお出かけの疲れをひきずっていて、授業に集中できず、眠たそうだったので、1時間目が終わった後、別室で休息をとらせることになった。ハルオくんのケース担当の大村先生が2時間目の授業のメインだったので、私が大村先生の代わりにハルオくんの見守りをすることになった。
ハルオくんは別室のソファに横になり、まもなく眠り始めたので、風邪を引かないよう自分が着ていたベストを脱いで、ハルオくんの上半身にかけた。
大村先生の授業が終わったので、別室で眠っているハルオくんの見守りを交代し、私は給食の準備に入った。
授業が終わって、片づけをしようと別室に入った時、私がハルオくんの身体にかけたベストが、床に打ち捨てられているのを発見した。
○6月3日(木)?
朝の添乗で、ナツオくんのケース担・青田先生から次のようなことを言われた。
いわく、ナツオくんは特定の銘柄のペットボトルに強いこだわりがあり、HR教室の向かいにある教材倉庫に大きなビニール袋に入れて片づけてあるペットボトルを取りに、教員が倉庫に入るタイミングをねらって横から入ってしまう。ペットボトルを倉庫にしまわないでほしい。
→私は「では、どこにペットボトルを片付ければいいのか?冬場になるとペットボトルが集まらなくなるから、作業量を確保するためにも、夏場に集めて保管しておかなければならないのだが。昨年度までもそういうふうにしてペットボトルリサイクルの授業をやってきた(昨年度まで、倉庫はペットボトルの袋で足の踏み場もない状態になっていた)のではないか?」と反論したが、代案を聞くことはできなかった。
以前にも複数回同じような話があり、5月始め?に青田先生が教材倉庫の手前にあったペットボトルの袋を奥のほうに片付けた(このことに対して私は青田先生に「きれいにしてくださってありがとうございます」と言っている)。その時の青田先生の話では、倉庫が開いて、その先にペットボトルの袋があると、ナツオくんが入ってしまう、ということだったので、扉を開けても見えない「死角」に片づけておけば大丈夫だと認識した。しかし、そのあと、ナツオくんが倉庫の奥に入ってお気に入りの銘柄のペットボトル(私が廃棄し忘れていたもの)を見つける、ということが起こった。私は当分の措置として倉庫のすみにあった大きな段ボール箱にペットボトルの袋を入れ、上に布をかぶせて見えないようにした(ただし、袋の数が増えるとこのような対応は難しくなる)経緯があった。授業者として、ナツオくんのこだわりに最大限の配慮をしてきたが、青田先生の要求はとどまるところがなく、教材の保管場所がなくなり、授業そのものが成立しなくなる不安を強く覚えた。
数日後、主幹にそのことを話すと、ナツオくんが倉庫にペットボトルが「ない」と認識するまで、しばらくトイレ奥のスペース(ここは一時保管はできるが、長期の保管はできないことになっている)に片づけておいたらどうか?と言われた。私はダンボールに入れ、上から布をかぶせて見えなくしたことを話すと、そのままでよい、という話だった。主幹は、教材倉庫に生徒が入ること自体、あってはならないことだ、ペットボトルは教材倉庫に保管しておくように、と言った。私は、教材を保管するという、授業が成立するための最低条件すら安心して保障されないことに対して強い不安感を持っている、このままでは授業はできない、ということを主幹に伝える。
○6月8日頃 N学園から、10日の作業学習の時間に使う教材(作業用エプロン)を入れたダンボールをタクシーのトランクに入れて、帰校した。ダンボールを自分で運ぼうとしたらすでにトランクになかったので、どなたかが運んでくれたのかと思い、職員室に行った。ダンボールは自分の机上にも、訪問学級の教室にもなかったので、他の先生方に聞いた。青田先生がトランクから下ろして玄関において、そのあとどこにおいたかわからない、と言った。人の教材を粗末に扱うことに怒りを感じたが、耐えて、こちらで探すと言って玄関の方を探した。幸い、玄関の脇にあったので何事もなかったが、青田先生はいっしょに探そうという態度すら見せることはなかった。
この日以来、私は自分の教材や水着などは、トランクに入れず、全部自分の手で運ぶようにしている。
○6月10日(木) 出張命令簿
出勤すると、自分の休暇簿が机上に置かれていた。5月31日に提出したはずの6月1・2週分の出張命令簿の上に「6月7日に確認した。出張命令簿は出張に出る前に出してほしい」旨の付箋が副校長名で貼られていた。おかしいと思い副校長に聞くと、自分のチェック漏れを棚に上げ、「あんたがいつ命令簿を出したか知らないけれど、自分が確認をしたのが6月7日だからこのような付箋を貼った。自分は毎日確認をしている。今後遅れないように出してほしい」と自分のミスをこちらになすりつけようとしてきたので、抗議する。
○6月10日(木)添乗・ナツオくんの件(密告事件)
10日の復路(N学園→学校)で、車の大好きなナツオくんは、運転手の側に座りたがるが、興奮してくると運転手や運転台に手を伸ばすことがあり、たいへん危ないので運転手から少し離れた席にいったん座らせた。車が発車し、しばらくすると、ナツオくんは運転手の側に行きたがり、走る車の中でシートベルトをはずし、前の方にどんどん移動をしようとしたので、私がナツオくんの体を必死で押さえた。しかし、私より5センチ以上身長が高く、力の強いナツオくんは半ば私を押し倒すようにして、座席の背もたれ越しに無理やりに前に進もうとしはじめ、揺れる車内で不安定な体勢になった。私と一緒に添乗した大村先生が「危ない!」と支えて、無事に学園に着いた。
添乗から戻って、太田主幹に呼ばれ、添乗中のナツオくんのことについて聞かれる。私が必死になって押さえたのにもかかわらず押し切られてしまったことを問題視され、私はナツオくんにはつかないようにする方向で、という話になった。
ナツオくんを押さえられない「無能」な人間、という扱いを受けることは屈辱的であり、また、この話のソースを主幹が明らかにしなかったことを見ると、学園から来た話ではなくて、大村先生が主幹に「密告」したことは明らかである。
B特別支援学校では「密告」が割合にフツウにあるという話を以前聞いたことがあるが、自分自身があからさまに「密告」されたことを知り、驚きと不信でいっぱいである。
大村先生には、「密告」をすることは人間として恥ずかしいこと、という意識はないようである。以前、教員の子ども時代を生徒の前で語るという内容の授業に、サブとして入った時に、大村先生はクラスでいつも学級委員に推薦された話をしたが、その時に「帰りの反省会などで、私はよく「太郎君がそうじをさぼっていました」と悪い事をした子のことを言っていて、それでまじめな子だと思われていたから、学級委員に推薦された」という内容の話をしていたのを、強い違和感と共に記憶している。私の子どもの頃は、先生に告げ口する子はずるい子、卑怯な子、きたない奴、というのが子どもたちの間で共通認識だったが。価値観の違いといってしまえばそれまでだが、こういう職場で安心して働けるだろうか、と思う。
翌11日(金)、訪問授業に出る前に、太田主幹に呼ばれてナツオくんの件で再び話があった。私は大村先生(個人名は出さなかったが)の行為は「密告」であり、このようなことがあると信用できない、という内容の話をした。
主幹「自分は密告とは受け取っていない。もしも昨日のナツオくんの件が看過され、その結果大きな事故につながったら、その方がナツオくんにとっても、私たち教員にとってもはるかにマイナスである」
私「主幹の立場は充分に理解できるが、私の立場から申し上げれば、これはやはり密告といわざるを得ない」
主幹「立場の違いうんぬんではない。これは密告ではなく、正義である」という意味のことを言った。
私「そのような重大なことなら、いっしょに添乗して一部始終を見ていた人(大村先生)はまず、直接当の本人である私に言うべきなのでは?(主幹は私の立場に立って、そのようなことを同僚教員からされたとしたら、正義だと受け取る自信がございますか?)それが全くなくて、いきなりこのような形(主幹から私に)でこのような話をされることが解せない」「ナツオくんについては、私は特にこだわるとか、そのような気持ちはない。ナツオくんにつかない方向で、という話自体は、自分自身の非力それ自体は認めるので、仕方がないと認識している」「私は主幹と考えが違う。その人(大村先生)の行為は「密告」と受け取らざるを得ない」
○6月20日(月)頃 出張命令簿が机上に置かれていて、付箋が貼ってあった。経営企画室の方からのもので、いわく「11日(金)にN学園へ訪問授業に行くタクシーに乗車していないので、11日の分を消して訂正印を押してください」という内容だった。11日は私はN学園に行って授業を行っていたので、おかしいと思い、付箋をつけた経営企画室の方にたしかめたところ、行きも帰りも、タクシー乗車完了の書類(タクシー領収書添付用紙に、その車に乗車した人の名を書く)に私の名前がなかった、という話だった。その日のタクシー料金支払いの当番(当番がN学園から戻って書類を作成・提出する)が私の名前を書き忘れる、という単純ミスに属するものだが、この間、訪問学級の教員の大部分が「仲良しグループ」化していて、オミットされつづけている自分の名が落とされている、ということは、ひとつの事実を物語るものだと、私は受け止めている。
○6月23日(木)体調不良のため、前6で年休を取る。出勤して、昼休みの時間帯にアキオくんが遊出して40分後に校外で見つかったことを聞く。
○6月25日(金) 23日に体育担当の大村先生が足の指を骨折し、24日は1日休暇、25日は出勤したが、体育の水泳指導については入水できない状態だった。青田先生も体調がすぐれないとのことだった。私がケース担をしているマユミさんが、週始めから生理で、入水が微妙なことが話題になり、青田先生が、入水できないからマユミさんにつくと言い始めた。私は、水泳指導の際の打ち合わせで、原則として入水できない生徒にはケース担がつくようにと授業担当者から話があったので、そのつもりでいた。
だしぬけに青田先生が「マユミさんにつくから、課題を下さい」と言ってきたので私はびっくりして、「いきなり言われても……」とつっけんどんな言い方になってしまった。青田先生は「そんな言い方するなら、自分は入水するから」と言い始めたので、私は「そんなことをしなくてもいい、自分が入る」と答えた。青田先生については、ペットボトルの保管の件や、自分の授業の教材を粗末に扱われたことがあったので、不信感が相当にあるのは事実だ。だから、そういう人に、マユミさんの課題(プリント等ではなく、本人と話をして、身体的活動【サーキットなど】または平仮名練習【名前、曜日、本人の好きな歌の名前等を、白い紙に鉛筆等で教員が升目を区切ったものに書く】を行うつもりだった。そのことについて、詳細を話して自分の代わりにやってもらう、などということは、心理的にかなりの抵抗感があったのは事実)その時、職員室にはあら捜しの大好きな副校長がいた。
だしぬけに、それも私の感じでは、こちらを「小ばか」にしたような言い方に聞こえたので、感情的にカチンときた部分はたしかにあるのだが、普段ならもう少し落ち着いて対応できたと思うのだが、自分でも、こんなにナーバスな対応をしてしまうことに、驚きと不安を感じた。
仕事と、私的感情は分けたいと思っているのに、こういうことにいたずらにナーバスになるのは、自分的にもまずいと感じた。
副校長が水泳指導の監視にN学園に来た。よっぽど暇をもてあましているらしい。人のあら捜しよりマシな仕事をしろと言いたい。
○7月7日(水)
朝の打ち合わせ、プールを厳しい体制で行わなければならないこと、添乗の人が2人ぬけている中で、身体計測を登校後すぐに行うか、プールのあとに行うかの確認を、「仲良しグループ」の大村t(プール授業担当)と青田tの二人でこそこそと行い、こちらには一言もなかった。身体計測の話は、こちらから「いつ行いますか?」と話を振ったにもかかわらず、無視された。仕事のことなので、割り切って「身体計測は登校後すぐでいいですか?」と二人に確認したら、それで行く、とのことで、たいした話ではないが、学部の運営の中に私を入れたくない、という「仲良しグループ」の強い意思を感じた。
私の立場から言うと、責任はすべて「仲良しグループ」がとるならば、私をオミットするのは自由だ、ということだ。
○7月9日(金)
N学園への訪問で、教材と連絡帳をタクシーのトランクに入れる。
この日はタクシー代精算担当だったので、荷物出しは後ろに乗っていた大村t、小西t、土井垣tの3人が行った。タクシーが出発しようとする段になって、自分が入れた荷物が出されていないことに気づき、大声でタクシーを呼び、トランクを開けてもらった。右隅に入れた教材がそのままになっていたので、タクシーの運転手に謝って、取り出した。
以前、青田tに教材を玄関前にほったらかしにされたこともあり、このまま放ってはいけないと思い、主幹tが呼びかけた臨時の部会で発言した。大村tは「隅においてあったから運転手さんの荷物だと思った」 小西tは「(今年度は荷物のトラブルが例年より目立つという私の発言に対して)今回の1回だけだ」と言う。主幹tが「トランクの中の最終確認はお金当番の職員が行うように」と提案し、一応の同意を得る。
私の関わる荷物が複数回、なおざりな扱いを受けているので、基本的には「仲良しグループ」は信用がおけない。自分の教材は自分で守るしかない、というのが正直な心境。今後は、このようなことが起こるたびに、記録を怠らないようにしていきたい。
登校後、ハルオくんが週末帰宅でのお出かけの疲れをひきずっていて、授業に集中できず、眠たそうだったので、1時間目が終わった後、別室で休息をとらせることになった。ハルオくんのケース担当の大村先生が2時間目の授業のメインだったので、私が大村先生の代わりにハルオくんの見守りをすることになった。
ハルオくんは別室のソファに横になり、まもなく眠り始めたので、風邪を引かないよう自分が着ていたベストを脱いで、ハルオくんの上半身にかけた。
大村先生の授業が終わったので、別室で眠っているハルオくんの見守りを交代し、私は給食の準備に入った。
授業が終わって、片づけをしようと別室に入った時、私がハルオくんの身体にかけたベストが、床に打ち捨てられているのを発見した。
○6月3日(木)?
朝の添乗で、ナツオくんのケース担・青田先生から次のようなことを言われた。
いわく、ナツオくんは特定の銘柄のペットボトルに強いこだわりがあり、HR教室の向かいにある教材倉庫に大きなビニール袋に入れて片づけてあるペットボトルを取りに、教員が倉庫に入るタイミングをねらって横から入ってしまう。ペットボトルを倉庫にしまわないでほしい。
→私は「では、どこにペットボトルを片付ければいいのか?冬場になるとペットボトルが集まらなくなるから、作業量を確保するためにも、夏場に集めて保管しておかなければならないのだが。昨年度までもそういうふうにしてペットボトルリサイクルの授業をやってきた(昨年度まで、倉庫はペットボトルの袋で足の踏み場もない状態になっていた)のではないか?」と反論したが、代案を聞くことはできなかった。
以前にも複数回同じような話があり、5月始め?に青田先生が教材倉庫の手前にあったペットボトルの袋を奥のほうに片付けた(このことに対して私は青田先生に「きれいにしてくださってありがとうございます」と言っている)。その時の青田先生の話では、倉庫が開いて、その先にペットボトルの袋があると、ナツオくんが入ってしまう、ということだったので、扉を開けても見えない「死角」に片づけておけば大丈夫だと認識した。しかし、そのあと、ナツオくんが倉庫の奥に入ってお気に入りの銘柄のペットボトル(私が廃棄し忘れていたもの)を見つける、ということが起こった。私は当分の措置として倉庫のすみにあった大きな段ボール箱にペットボトルの袋を入れ、上に布をかぶせて見えないようにした(ただし、袋の数が増えるとこのような対応は難しくなる)経緯があった。授業者として、ナツオくんのこだわりに最大限の配慮をしてきたが、青田先生の要求はとどまるところがなく、教材の保管場所がなくなり、授業そのものが成立しなくなる不安を強く覚えた。
数日後、主幹にそのことを話すと、ナツオくんが倉庫にペットボトルが「ない」と認識するまで、しばらくトイレ奥のスペース(ここは一時保管はできるが、長期の保管はできないことになっている)に片づけておいたらどうか?と言われた。私はダンボールに入れ、上から布をかぶせて見えなくしたことを話すと、そのままでよい、という話だった。主幹は、教材倉庫に生徒が入ること自体、あってはならないことだ、ペットボトルは教材倉庫に保管しておくように、と言った。私は、教材を保管するという、授業が成立するための最低条件すら安心して保障されないことに対して強い不安感を持っている、このままでは授業はできない、ということを主幹に伝える。
○6月8日頃 N学園から、10日の作業学習の時間に使う教材(作業用エプロン)を入れたダンボールをタクシーのトランクに入れて、帰校した。ダンボールを自分で運ぼうとしたらすでにトランクになかったので、どなたかが運んでくれたのかと思い、職員室に行った。ダンボールは自分の机上にも、訪問学級の教室にもなかったので、他の先生方に聞いた。青田先生がトランクから下ろして玄関において、そのあとどこにおいたかわからない、と言った。人の教材を粗末に扱うことに怒りを感じたが、耐えて、こちらで探すと言って玄関の方を探した。幸い、玄関の脇にあったので何事もなかったが、青田先生はいっしょに探そうという態度すら見せることはなかった。
この日以来、私は自分の教材や水着などは、トランクに入れず、全部自分の手で運ぶようにしている。
○6月10日(木) 出張命令簿
出勤すると、自分の休暇簿が机上に置かれていた。5月31日に提出したはずの6月1・2週分の出張命令簿の上に「6月7日に確認した。出張命令簿は出張に出る前に出してほしい」旨の付箋が副校長名で貼られていた。おかしいと思い副校長に聞くと、自分のチェック漏れを棚に上げ、「あんたがいつ命令簿を出したか知らないけれど、自分が確認をしたのが6月7日だからこのような付箋を貼った。自分は毎日確認をしている。今後遅れないように出してほしい」と自分のミスをこちらになすりつけようとしてきたので、抗議する。
○6月10日(木)添乗・ナツオくんの件(密告事件)
10日の復路(N学園→学校)で、車の大好きなナツオくんは、運転手の側に座りたがるが、興奮してくると運転手や運転台に手を伸ばすことがあり、たいへん危ないので運転手から少し離れた席にいったん座らせた。車が発車し、しばらくすると、ナツオくんは運転手の側に行きたがり、走る車の中でシートベルトをはずし、前の方にどんどん移動をしようとしたので、私がナツオくんの体を必死で押さえた。しかし、私より5センチ以上身長が高く、力の強いナツオくんは半ば私を押し倒すようにして、座席の背もたれ越しに無理やりに前に進もうとしはじめ、揺れる車内で不安定な体勢になった。私と一緒に添乗した大村先生が「危ない!」と支えて、無事に学園に着いた。
添乗から戻って、太田主幹に呼ばれ、添乗中のナツオくんのことについて聞かれる。私が必死になって押さえたのにもかかわらず押し切られてしまったことを問題視され、私はナツオくんにはつかないようにする方向で、という話になった。
ナツオくんを押さえられない「無能」な人間、という扱いを受けることは屈辱的であり、また、この話のソースを主幹が明らかにしなかったことを見ると、学園から来た話ではなくて、大村先生が主幹に「密告」したことは明らかである。
B特別支援学校では「密告」が割合にフツウにあるという話を以前聞いたことがあるが、自分自身があからさまに「密告」されたことを知り、驚きと不信でいっぱいである。
大村先生には、「密告」をすることは人間として恥ずかしいこと、という意識はないようである。以前、教員の子ども時代を生徒の前で語るという内容の授業に、サブとして入った時に、大村先生はクラスでいつも学級委員に推薦された話をしたが、その時に「帰りの反省会などで、私はよく「太郎君がそうじをさぼっていました」と悪い事をした子のことを言っていて、それでまじめな子だと思われていたから、学級委員に推薦された」という内容の話をしていたのを、強い違和感と共に記憶している。私の子どもの頃は、先生に告げ口する子はずるい子、卑怯な子、きたない奴、というのが子どもたちの間で共通認識だったが。価値観の違いといってしまえばそれまでだが、こういう職場で安心して働けるだろうか、と思う。
翌11日(金)、訪問授業に出る前に、太田主幹に呼ばれてナツオくんの件で再び話があった。私は大村先生(個人名は出さなかったが)の行為は「密告」であり、このようなことがあると信用できない、という内容の話をした。
主幹「自分は密告とは受け取っていない。もしも昨日のナツオくんの件が看過され、その結果大きな事故につながったら、その方がナツオくんにとっても、私たち教員にとってもはるかにマイナスである」
私「主幹の立場は充分に理解できるが、私の立場から申し上げれば、これはやはり密告といわざるを得ない」
主幹「立場の違いうんぬんではない。これは密告ではなく、正義である」という意味のことを言った。
私「そのような重大なことなら、いっしょに添乗して一部始終を見ていた人(大村先生)はまず、直接当の本人である私に言うべきなのでは?(主幹は私の立場に立って、そのようなことを同僚教員からされたとしたら、正義だと受け取る自信がございますか?)それが全くなくて、いきなりこのような形(主幹から私に)でこのような話をされることが解せない」「ナツオくんについては、私は特にこだわるとか、そのような気持ちはない。ナツオくんにつかない方向で、という話自体は、自分自身の非力それ自体は認めるので、仕方がないと認識している」「私は主幹と考えが違う。その人(大村先生)の行為は「密告」と受け取らざるを得ない」
○6月20日(月)頃 出張命令簿が机上に置かれていて、付箋が貼ってあった。経営企画室の方からのもので、いわく「11日(金)にN学園へ訪問授業に行くタクシーに乗車していないので、11日の分を消して訂正印を押してください」という内容だった。11日は私はN学園に行って授業を行っていたので、おかしいと思い、付箋をつけた経営企画室の方にたしかめたところ、行きも帰りも、タクシー乗車完了の書類(タクシー領収書添付用紙に、その車に乗車した人の名を書く)に私の名前がなかった、という話だった。その日のタクシー料金支払いの当番(当番がN学園から戻って書類を作成・提出する)が私の名前を書き忘れる、という単純ミスに属するものだが、この間、訪問学級の教員の大部分が「仲良しグループ」化していて、オミットされつづけている自分の名が落とされている、ということは、ひとつの事実を物語るものだと、私は受け止めている。
○6月23日(木)体調不良のため、前6で年休を取る。出勤して、昼休みの時間帯にアキオくんが遊出して40分後に校外で見つかったことを聞く。
○6月25日(金) 23日に体育担当の大村先生が足の指を骨折し、24日は1日休暇、25日は出勤したが、体育の水泳指導については入水できない状態だった。青田先生も体調がすぐれないとのことだった。私がケース担をしているマユミさんが、週始めから生理で、入水が微妙なことが話題になり、青田先生が、入水できないからマユミさんにつくと言い始めた。私は、水泳指導の際の打ち合わせで、原則として入水できない生徒にはケース担がつくようにと授業担当者から話があったので、そのつもりでいた。
だしぬけに青田先生が「マユミさんにつくから、課題を下さい」と言ってきたので私はびっくりして、「いきなり言われても……」とつっけんどんな言い方になってしまった。青田先生は「そんな言い方するなら、自分は入水するから」と言い始めたので、私は「そんなことをしなくてもいい、自分が入る」と答えた。青田先生については、ペットボトルの保管の件や、自分の授業の教材を粗末に扱われたことがあったので、不信感が相当にあるのは事実だ。だから、そういう人に、マユミさんの課題(プリント等ではなく、本人と話をして、身体的活動【サーキットなど】または平仮名練習【名前、曜日、本人の好きな歌の名前等を、白い紙に鉛筆等で教員が升目を区切ったものに書く】を行うつもりだった。そのことについて、詳細を話して自分の代わりにやってもらう、などということは、心理的にかなりの抵抗感があったのは事実)その時、職員室にはあら捜しの大好きな副校長がいた。
だしぬけに、それも私の感じでは、こちらを「小ばか」にしたような言い方に聞こえたので、感情的にカチンときた部分はたしかにあるのだが、普段ならもう少し落ち着いて対応できたと思うのだが、自分でも、こんなにナーバスな対応をしてしまうことに、驚きと不安を感じた。
仕事と、私的感情は分けたいと思っているのに、こういうことにいたずらにナーバスになるのは、自分的にもまずいと感じた。
副校長が水泳指導の監視にN学園に来た。よっぽど暇をもてあましているらしい。人のあら捜しよりマシな仕事をしろと言いたい。
○7月7日(水)
朝の打ち合わせ、プールを厳しい体制で行わなければならないこと、添乗の人が2人ぬけている中で、身体計測を登校後すぐに行うか、プールのあとに行うかの確認を、「仲良しグループ」の大村t(プール授業担当)と青田tの二人でこそこそと行い、こちらには一言もなかった。身体計測の話は、こちらから「いつ行いますか?」と話を振ったにもかかわらず、無視された。仕事のことなので、割り切って「身体計測は登校後すぐでいいですか?」と二人に確認したら、それで行く、とのことで、たいした話ではないが、学部の運営の中に私を入れたくない、という「仲良しグループ」の強い意思を感じた。
私の立場から言うと、責任はすべて「仲良しグループ」がとるならば、私をオミットするのは自由だ、ということだ。
○7月9日(金)
N学園への訪問で、教材と連絡帳をタクシーのトランクに入れる。
この日はタクシー代精算担当だったので、荷物出しは後ろに乗っていた大村t、小西t、土井垣tの3人が行った。タクシーが出発しようとする段になって、自分が入れた荷物が出されていないことに気づき、大声でタクシーを呼び、トランクを開けてもらった。右隅に入れた教材がそのままになっていたので、タクシーの運転手に謝って、取り出した。
以前、青田tに教材を玄関前にほったらかしにされたこともあり、このまま放ってはいけないと思い、主幹tが呼びかけた臨時の部会で発言した。大村tは「隅においてあったから運転手さんの荷物だと思った」 小西tは「(今年度は荷物のトラブルが例年より目立つという私の発言に対して)今回の1回だけだ」と言う。主幹tが「トランクの中の最終確認はお金当番の職員が行うように」と提案し、一応の同意を得る。
私の関わる荷物が複数回、なおざりな扱いを受けているので、基本的には「仲良しグループ」は信用がおけない。自分の教材は自分で守るしかない、というのが正直な心境。今後は、このようなことが起こるたびに、記録を怠らないようにしていきたい。
